兵庫県明石市の花火大会で11人が死亡した歩道橋事故から7月21日で22年となりました。事故の記憶と教訓を伝え続ける遺族は、特別な思いでこの日を迎えました。
明石市の歩道橋で市の新人職員を前に、事故を振り返る下村誠治さん(65)。
【次男を亡くした 下村誠治さん】
「当時33度あったんですよ。かなり暑い日で、風が全く通らない。途中で気を失う人もいた」
22年前、この場所で大切な家族を亡くしました。
2001年、明石市が主催する花火大会で、ずさんな警備により会場につながる歩道橋が異常な混雑状態となり、大勢の人が折り重なって倒れる「群衆雪崩」が発生。11人が死亡、247人が重軽傷を負いました。下村さんは一緒にいた当時2歳の次男、智仁ちゃんを亡くしました。
【次男を亡くした 下村誠治さん】
「やっぱり当日はここに来ると当時の苦しみや悲しみ、私は現場にいましたしね、子供を助けられなかった思いを他の人に味合わせたくない、それが一番」
去年、当時に引き戻される出来事が起きました。韓国の梨泰院で日本人2人を含む150人以上が死亡した雑踏事故。同じ「群衆雪崩」による事故でした。
そのおよそ半年後、下村さんたち遺族は犠牲者の遺族の依頼で事故現場を訪れ、初めて遺族と面会してさまざまな思いを話し合いました。
【次男を亡くした 下村誠治さん】
「国は違うけど、家族亡くした思いはやはり共通で、『いつまでこの気持ちを持ち続けるんや』『楽になるんか』と質問を受けましたけど、『実際、楽になることは私たちもなくて』と正直にお伝えして。ただし前を向いていくことが、亡くなった家族にできること」
雑踏事故の恐ろしさを改めて突き付けられ、迎えた7月21日。22年がたち、当時のことを知らない新人職員たちに、事故の後に経験したことや安全の大切さを訴えました。
【次男を亡くした 下村誠治さん】
「賠償金もらってよかったなとか誹謗中傷もたくさん受けましたし。家族、子供を亡くして、お金もらってうれしいなんて、普通であれば言えない。自分の家族が(被害に)遭わないようにするためにはどうしたらいいのだろう、市民の方がもし何かあったときにどうしたら楽だろうとつねづね考えて、そういうのがこれからの仕事になると思う」
事故を知らない世代が増える中、二度と同じことが起こらないでほしいと下村さんは願っています。
【次男を亡くした 下村誠治さん】
「できれば本当は僕が亡くなって子供を守ってあげたかったけどね。それができなかった。そういう意味で、特に子供さんを守ってあげる活動はしたいなと思う」
(関西テレビ「newsランナー」7月21日放送)