「仕事と人生立て直したい」 娘夫婦を頼って…ウクライナから日本へ避難したウクライナ人が滋賀に郷土料理のお店オープン 自立に向けての第一歩 他のウクライナ避難民の雇用つくる場にも 2023年06月05日
2022年2月、ロシアによる軍事侵攻が始まり、ウクライナの街も人々の生活も一変しました。日本では今もなお、2000人を超える人々が避難生活を余儀なくされています。
そんな中、滋賀県彦根市で新たな一歩を踏み出した人がいました。ウクライナ第二の都市・ハルキウから避難してきたイリーナ・ヤボルスカさん(52)。
1年以上の避難生活を通して、「好きな料理で生計を立てていきたい」と決意。ウクライナ料理店「The Faina(ザ・ファイナ)」を5月末に始めました。
【ウクライナから避難したイリーナ・ヤボルスカさん】
「人生と仕事を立て直してここで生きていきたい。日本が大好きです」
日本で暮らす決心をしたイリーナさんの料理店オープンまでの日々を取材しました。
■ウクライナから日本へ避難 キッチンカ―でウクライナのおやつを販売
2022年3月、イリーナさんは母・ギャリーナさん(81)とともに、ハルキウから避難してきました。2年前から彦根市に住む、娘のカテリーナさん(32)・菊地崇さん(29)夫婦を頼っての来日でした。
【イリーナ・ヤボルスカさん】
「私たちみたいに日本に避難しているウクライナ人は落ちこまないように何か仕事などを始めてほしい」
日本で「自立した生活をしたい」と感じたイリーナさんは、2022年5月からクレープに似たウクライナのおやつ「ムレンツィ」を販売。キッチンカーで全国各地のイベントに出店し、この1年でのべ2万人以上の人にウクライナの味を堪能してもらいました。
Q.キッチンカーでの1年は?
【イリーナ・ヤボルスカさん】
「私は仕事が好きだし料理をするのが大好きです。そして一番良かったのは、いろんな人と触れ合えたことです。キッチンカーのおかげで新しい友人がたくさんできました。とても幸せです」
■ウクライナの郷土料理を滋賀で 仕事と人生立て直す 自立に向けての第一歩
キッチンカーで1年間販売する中で、「もっと本格的なウクライナ料理を楽しんでもらいたい」と思うようになったイリーナさん。オーブンなどプロ仕様の調理設備をそろえて、ウクライナ料理店を彦根市に構えることにしました。
この日、イリーナさんたちは、滋賀・彦根市の地元企業・一圓興産の一圓泰成社長に会いに行きました。
【イリーナ・ヤボルスカさん】
「私が作りました、アップルケーキです」
【一圓興産 一圓泰成社長】
「素晴らしい、ありがとうございます」
この会社はウクライナから避難してきたイリーナさんを何とか支援したいと、1年間、調理場を無償で提供。そのおかげで、イリーナさんたちはキッチンカーで販売する料理の仕込みをすることができました。今回、お店をオープンするにあたり、お礼を伝えにいきました。
【イリーナ・ヤボルスカさん】
「私たちにこのキッチンを貸していただいて、とても感謝をしています。どこで仕事をすればいいのかと心配していたところ、一圓さんのおかげで救われました。とても助かりました」
【一圓興産 一圓泰成社長】
「私たちもこういう形でお役に立てたっていうのがうれしいです。何も一切できないじゃないですか。募金するぐらいしか。ですから、本当に良かったと思っています。イリーナさんたち(の活動)はすべての避難民の方の先駆けだったと思うんですね。これが突破口でいろんな支援が広がっていくといいですね」
多くの支援に支えられたキッチンカーでの成功を弾みに、自立の第一歩となる料理店の開業に向けて進みだしました。
■ハルキウに一人残る夫からアドバイスも 出店に向け奮闘
開業資金の一部はクラウドファンディングで募り、およそ350万円の支援が集まりました。
少しでも費用を抑えるため、店内の塗装や設備の取り付けなどはできる限り自分たちで行います。
お店では、本格的なウクライナ料理を提供したいと思いますが、日本で手に入る食材には制限があるためレシピや付け合わせをどうするかなどメニュー決めにも時間がかかります。
メニューづくりに悩むイリーナさんを助けてくれたのが、故郷ハルキウに一人残っている夫のローマンさん(54)です。
実はローマンさんは、元プロの料理人です。調理の仕方や、ヤボルスカ家直伝のこだわりレシピをアドバイスしてくれました。
【イリーナ・ヤボルスカさん】
「夫がプロとしてキッチンや料理について様々なアドバイスをしてくれました。夫は心の中で私たちとここにいます。ウクライナの戦争が終わり、夫が無事に日本に来て、夫婦でウクライナ料理店をしたい。誰かの役に立てるような小さくても家族でお店をやりたいです」
ウクライナの国民総動員令で18~60歳の男性は出国できないので、夫・ローマンさんの来日がいつになるか分かりません。
「夫のローマンさんと一緒に日本でウクライナ料理店をする」、その目標が、日本という異国の地で生活するイリーナさんの心の支えになっています。
■日本で迎える2度目の誕生日 他のウクライナ人の雇用つくる場に
オープン3日前、この日は、イリーナさんの誕生日です。日本で迎える2度目の誕生日。想像よりも長くなった避難生活ですが、家族や日本でできた友人、スタッフからイリーナさんが大好きな花のプレゼントがたくさん贈られました。
オープン準備で忙しい日々を過ごしていたイリーナさんの笑顔がこぼれた時間でした。
オープン前日。仕込みも大詰めでイリーナさんの表情も真剣です。そこへ栗東市に避難しているイリーナ・チュプラさんも駆け付け、ホールスタッフとして接客の練習をします。
慣れない日本語を使うだけではなく、コップを静かに置くこと、言い終わってからテーブルを離れることなどの日本式の接客を一生懸命練習します。
店を開くことで、不定期営業だったキッチンカーに比べて、働く時間もスタッフの人数も増やすことができます。店がイリーナさんが求めていた「他のウクライナ避難民の雇用をつくる場」にもなっています。
■ついにオープン いつか夫も含めた家族みんなでお店に立ちたい
そして5月27日。ついにオープンの日を迎えました。
【イリーナ・ヤボルスカさん】
「店のオープンは私にとって初めてで、不安でいっぱいです。私たちは今まで全力を尽くしました。カフェのリフォームをし、メニューや料理に力を入れました。お客様に気に入ってもらえるのを期待しています」
ウクライナの古民家をイメージしたという内装は、白を基調としていて、美しかった頃のウクライナの写真も飾りました。
母・ギャリーナさんも駆け付け、「いいんじゃない」と最近気に入っているという日本語で激励します。
お店ではキッチンカーで人気だった「ムレンツィ」に加えて、ボルシチなどウクライナの家庭料理を提供。ヤボルスカ家のレシピで作ったアップルケーキなどのデザートも楽しむことができます。
日本では珍しいウクライナ料理を食べてみたいと店内は多くの人でにぎわいました。
【来店客】
「おいしい」
「ボルシチが思ったよりピリッとしていて、夏でも冬でも温まるスープだなと」
イリーナさんや娘のカテリーナさんは仕事終わりに毎日、ウクライナに残るローマンさんに、電話で報告をします。
【イリーナさんの娘・カテリーナさん】
「お父さんはどうなの?」
【イリーナさんの夫・ローマンさん】
「大丈夫だよ。今、職場に来たところ!仕事はこれから」
【イリーナさんの娘・カテリーナさん】
「私たちは終わったところだよ。これから明日の支度をして、掃除するつもり。あとママは明日の仕込みをして、家に帰って休むよ」
ローマンさんがいつか日本に来て、家族全員でお店ができる日を待ち望んでいます。
【イリーナ・ヤボルスカさん】
「(ハルキウの)家に帰りたいという考えは時々あります。もちろん、主人や飼い猫にも会いたいです。しかし、ここで住み続けないといけないという気持ちの方が強いです。ここは私たちの娘とその家族がいて、私は若くないので、家族みんなでいたいです。だから人生とビジネスを立て直してここで生きていきたいです。日本が大好きです」
イリーナさんは、祖国・ウクライナで戦争が終結して帰ったとしても50代の自分が働く場所があるかどうか、不安を抱えています。帰国するより、日本で人生を立て直したい…そう考えるようになりました。
ウクライナから彦根市に避難して1年以上たちました。イリーナさんは、家族全員が日本で暮らせる未来に向けて、歩み出しています。
(関西テレビ「newsランナー」6月5日放送)