ウクライナに家族を残し…"ひとりきり"日本で生きる25歳の避難者 今は「心が疲れて心配する力がない」 ウクライナ侵攻から1年 大阪での“温かい出会い”も 2023年02月24日
ロシアによるウクライナ侵攻から1年。日本ではいまも2000人以上の避難者が暮らしています。そのうちの一人、家族を残して大阪に避難した女性の1年を追いました。
大阪で一人暮らしをしているユリア・チェピジコさん、25歳。
この日は、週に一度の食材の買い出しです。
【ユリア・チェピジコさん(25)】
「(物価が)上がりました。牛乳・卵が結構上がった、20%くらい(高くなった)。給料が変わらないですから、買う量を減らしました」
その姿は、日本社会に溶け込んでいるように見えました。
去年4月、両親を母国に残し、スーツケースひとつで日本に避難してきたユリアさん。
地元の大学で日本語を専攻していたこともあり、避難者を受け入れていた大阪の専門学校で学ぶことになりました。
【ユリアさん】
「ホームシックも結構大変でした。知らない人とすぐ人間関係を作るのは結構難しいですね。最初はひとりぼっちでした。」
授業が終わってクラスメイトが帰宅する中、ユリアさんが向かったのは小さな教室。
ほかの避難者にアルバイトで日本語を教えています。
【ユリアさん】
「あなたの街には何がありますか?」
【生徒】「私の街は古いです」
【生徒】「家の近くに教会があります」
ユリアさんは、ほかにもウクライナの子どもたちに日本語を教えるオンライン授業も掛け持ち。
その忙しさが少しだけ気持ちを紛らわせてくれます。
ユリアさんの故郷・ドニプロ。
今年1月、ロシア軍のミサイル攻撃で40人以上が死亡しました。
今でも、連日のように空襲警報が出されています。
【ユリアさん】
「心が疲れて心配する力がない…(戦争で)あっという間に仕事がなくなって、家族に色々な問題が起こって、親戚が亡くなって、毎日大変なことが起こるかもしれませんから、そんなに”安定”は感じられません」
【ユリアさん】
「授業で『10年後はどういう目標がある?』私にはこういう質問はちょっと辛いかな。10年後のこと考えても、何か起こったらこれはなくなるかもって考えてしまって怖いです」
戦争が起きるまでは、ウクライナで日本語の先生になりたいと思っていました。
この日訪れたのは、大阪の北新地にある居酒屋。
【ユリアさん】
「お邪魔します」
【「千鈴」・土井千恵さん】
「お久しぶりです」
ユリアさんたち避難者に無料で夕食をふるまってくれています。
【「千鈴」・土井千恵さん】
「(鍋を持っている手を)離すよ?大丈夫かな?」
【ユリアさん】
「熱い!」
【「千鈴」土井千恵さん】
「熱いね…ごめんね…」
【ユリアさん】
「猫舌!」
ユリアさんにとって、家族と一緒にいるような、温かい場所です。
【「千鈴」・土井千恵さん】
「悲しいね自分の国に戻れないって」
【ユリアさん】
「でも仕方ないですね」
【「千鈴」・土井千恵さん】
「言いたくないことは言わなくていいけど、言いたくなったら言ってくれたらいいし」
避難生活も1年を迎えようとしています。
ユリアさんの中で戦争への思いが変わってきました。
【ユリアさん】
「最初はすごく危険で恐ろしい、怖かったです、家族のこともすごく心配で。今はそんなに心配する事はなく、怒りの方が、どうして今戦争があるのかって、早く終わってほしい。でも終わらないのが残念、苦しいっていう気持ち」
■避難者の帰国意思は-
日本への避難者750人に帰国の意思と希望を聞いたアンケート結果(日本財団による調査)です。
「日本の環境によって判断したい」と答えた人が23.5%。
「できるだけ長く日本に滞在したい」と答えた人が24.7%。
「状況が落ち着くまでしばらく日本に滞在したい」が40.8%
滞在したいと答えた人の中では「発展した経済・技術・文化などをこの国で多くを学ぶことができる」や「日本と将来のウクライナに役立つことを願っている」、「いつか恩返ししたい」という意見がありました。
日本への避難者に対して日本財団では、ウクライナからの渡航費が1人当たり30万円、生活支援で1人当たり年間100万円、住宅手当で一戸当たり50万円を支援していて、期限は3年間となっています。
このほかにも各自治体が主体となっている支援もあります。
関西テレビが取材したユリアさんは、「支援には感謝しています。ただ今後自立していくためには避難者への日本語教育がもっと必要」と話しました。
(2023年2月24日関西テレビ「報道ランナー」放送)