「どうしても患者が入らない」重症者が病床数を上回った日々 大阪府コロナ対策のキーパーソンが語る“3年間の闘い” できたことできなかったこと…“大きな教訓” 2023年02月15日
3月13日から、マスクの着用が個人の判断に委ねられ、5月8日には、新型コロナウイルスの感染症法の位置づけも「2類相当」から「5類」に引き下げられます。
およそ3年間にわたるコロナとの闘いは大きな節目を迎えようとしています。新型コロナが脅威となり、もう3年が経過しました。
全国に先駆けた独自施策も打ってきた大阪府ですが、できなかったことも多く、数多くの患者が亡くなりました。吉村府知事を支え、コロナ対策の中心的な役割を果たしてきたキーパーソンにこの3年で得た教訓について話を聞きました。
■大阪府と新型コロナの3年…独自の対策も
【大阪府 吉村洋文知事】(2020年3月11日)
「入院フォローアップセンターを設置します」
【大阪府 吉村洋文知事】(2020年5月5日)
「大阪モデルを決定したい」
保健所に替わって、病状に応じた入院先を調整する「入院フォローアップセンター」や府内の感染状況を示す「大阪モデル」など全国に先駆けて、いくつもの独自策を行ってきた大阪府。
その中でも、中心的役割を果たしていたのが、大阪府健康医療部の藤井睦子部長です。
【大阪府 吉村洋文知事(2021年2月)】
「(感染者数の推移が)右肩下がりの状況が確認されれば、(緊急事態宣言)解除の要請をすべきじゃないかと」
【大阪府健康医療部 藤井睦子部長】
「感染者は急減をしていますが、ベッドの状況(病床使用率)はまだ改善はしておりません」
【大阪府新型コロナウィルス対策本部専門家会議 朝野和典座長】
「健康医療部の人たちが支えているからこそ(大阪府の判断を)信頼しています」
–Q:藤井部長はどんな人?
【大阪府健康医療部の職員】
「非常にスピード感があって、決断力がある」
「何よりパワフルな方。何とか我々もついていけてるというような形」
■3年間を振り返り…「大阪コロナ重症センター」の運用
大阪のコロナ対策のキーパーソンが、今、振り返るコロナの3年間とはー。
大阪市の大阪急性期・総合医療センターの敷地内に設置された「大阪コロナ重症センター」。
新型コロナウイルスの重症患者に特化した治療を行う全国で初めての臨時医療施設として、大阪府が3年前から運用を始めました。
【大阪府健康医療部 藤井部長】
「ここのおかげ、大阪の重症病床が回ったのは。回ったっていうか4波は苦しかったけど」
【大阪コロナ重症センター 藤見聡センター長】
「4波は苦しかったね、ワクチンがまだなかったから」
【大阪府健康医療部 藤井部長】
「でも、ここがなかったらもっと苦しかったと思うと」
【大阪コロナ重症センター 藤見センター長】
「僕も(重症患者が計)500人入ると思っていなかったから」
大阪コロナ重症センターは、重症化率が低いオミクロン株への置き換わりに伴い、府内の重症病床の使用率も低い水準で推移していることから、3月末で役割を終え、閉鎖します。
–Q:第4波のピーク時はどういう状況だった?
【大阪コロナ重症センター 藤見センター長】
「1日(重症患者が)3人入って、そのために4人出すみたいな運用で、(重症患者が)30人がマックス入っていた時期があって。今の重症の患者と何が違うかというと、当時(第4波)はワクチンがまだなくて、ワクチンない人はめちゃくちゃ肺が悪くなる。重症度は4波のときは相当高い」
■「コロナ重症センター」建物は完成…しかし、運用には高い壁が
「大阪重症化センター」の計画は、第2波の初期(2020年7月1日)に発表されました。
第1波(2020年1月29日~6月13日)では、院内で未知のウイルスの感染を防止しながら、重い肺炎の治療ができる医療機関は少なく、重症病床は32床から188床まで増やしましたが、次の波に備えたさらなる確保が喫緊の課題でした。
健康医療部の発案で、計画からおよそ5カ月後、プレハブの「重症センター」が完成。
しかし…稼働するには、越えなければならないもう一つの壁がありました。
【大阪府 吉村洋文知事】(2020年12月7日)
「人工呼吸器の装着のケアができる、経験のある看護師、1カ月程度勤務可能な看護師(の募集)をよびかけたい」
人工呼吸器の装着を想定した30床を運営するには、ICUでの勤務経験がある、およそ130人の看護師が必要でしたが、2020年11月30日の時点で集まっていたのは50人ほど。
大阪府の要請を受け、自衛隊や全国の自治体などから看護師が派遣されたほか結婚や育児などで一度辞めた“潜在看護師”を掘り起こそうと、大阪府看護協会も採用活動を行い2020年12月15日、ようやく5床からの運用にこぎつけました。
【大阪府健康医療部 藤井部長】
「強制力がない中で、病床確保するという制度上の難しさがある。強制的に病床を確保してもらっても、病床を動かすだけのその医療機関の機能やスタッフがないとそれは運用できない病床になると思う。制度と医療機能の実態を確保するという2つのハードルがあると思います」
医療機関や自衛隊など、およそ120の機関が協力し、大阪府内外から派遣された看護師は500人以上。稼働から、2023年1月末までの3年余りで、およそ500人の重症患者を受け入れました。
【大阪府健康医療部 藤井部長】
「これ(重症センター)がなくなると思うと感無量なところが」
【大阪コロナ重症センター 丸尾明代副センター長】
「よくここまで来たなと」
【大阪府健康医療部 藤井部長】
「色んなところから看護師集めて運営するということについて、だいぶ丸尾さんに相談しながら、『できるかな』とかっていう相談しながら」
【大阪コロナ重症センター 丸尾副センター長】
「とても話しやすい部長なんで、管理の面で協力体制、チームワークはできていたのかなと思う。いざ終わるとなるとさみしいなって話を(看護師らと)していますが、ちょっとほっとしてます、本当に。大きな事故なくここまでこられたのがとっても良かった」
■「どうしても患者が入らない」…重症者が病床数を上回った日々も
この3年間で、大阪の医療が最も危機的状況に追い込まれたのが、感染力・重篤度共に高い「アルファ株」への置き換わりにより重症者が急増した第4波(2021年3月11日~2021年6月20日)です。
【大阪府 吉村洋文知事】(2021年3月31日)
「国に『まん延防止等重点措置』の要請をし、より強い一段強い感染症対策を実施する必要がある」
2021年3月31日、大阪府は、「まん延防止等重点措置」を国に要請。4月5日から大阪市内で適用されましたが、感染を抑え込むには至らず、その12日後…
【大阪府健康医療部 藤井部長】
「重症患者の入院調整が行き詰まるという事態が発生しました。フォローアップから『どうしても(患者が病院に)入らない』という報告を受けた日というのは、私にとっても忘れられない。ドクターに電話して『1例でも何とかとっていただけないか』とお願いして、その日できるだけの手を尽くすということを何日間か続けて…」
第3波の3倍もの速度で重症者が増加。重症者の数が、200床余りの重症病床を上回る日が続き、入院先が見つからず救急車で長時間待機したり、自宅療養中に死亡する人が相次ぎました。
中等症や軽症患者を受け入れていた堺市の耳原総合病院でも重症化した患者の治療をしなければならない状況に追い込まれました。
【耳原総合病院 大矢 亮副病院長】
「より高度な治療が受けられる病院に行けば救えるんじゃないかと思っても、行く先がないって状況があったから、そこが(当時は)一番つらかった。(大阪府の)確保病床が間に合っていなかったとも言えますし、確保病床に収まるキャパで感染を抑えきれなかったという面もあると思う」
【大阪府新型コロナウィルス対策本部専門家会議 朝野和典座長】
「(コロナ以外の)手術、救急がかなり抑制されてしまった。(必要な重症)ベッド数が300とか400とか言われたときは、いわゆる『医療崩壊』ですよね。もう無理だと思いましたね」
【大阪府健康医療部 藤井部長】
「いかに今、医療ひっ迫が危機的な状況になっているかというのは、毎日知事にも報告していたし、当時大変、そのことを知事もそのことを重く受け止めていたと思う。知事自身も『街中の救急車の音を聞くといたたまれない』ということを話していた」
状況は悪化の一途をたどり、まん延措置から2週間たった2021年4月20日、結局、吉村知事は国に緊急事態宣言を要請しました。
■判断と対応に追われた3年間 得られた“大きな教訓”
当時、「まん延措置」から2週間後の「緊急事態宣言」を要請したタイミングについて、改めて吉村知事に尋ねると…
–Q:災害級の医療非常事態だったが2週間(まん延措置の)効果をみる必要があったのか
【大阪府 吉村洋文知事】
「(感染者数の)上がり下がりはもう分からないので、そのうえでかつ社会全体を止めるという判断は、そこにも暮らしや命もあるわけです。当時の判断としてはできる限りのことをやった」
第4波では、自宅などで待機中に少なくとも19人、全体では、1540人が死亡しました。また、第1波から第7波までの死者は合わせて6514人にのぼります。
未知のウイルスは変異を繰り返し、そのたびに判断と対応が迫られた3年間。しかし、その教訓から得たものもあります。
【耳原総合病院 大矢 亮副病院長】
「重症を今、ここで診ているが、当時はここではそれを診る技術はなかったので、集中治療室に入れていたが、だんだん経験・スキル上げて、今はこうやって重症の方もここで診られるようになったのは病棟の頑張りかなと思う」
大阪府健康医療部は2022年12月末、3年間のコロナ対応についてまとめた検証報告書を公表しました。
–Q:大阪のコロナ行政の大きな教訓は?
【大阪府健康医療部 藤井部長】
「何を私たちは学んだのか…やっぱり、現場に近い情報をしっかり集めて、判断する、行動するということですかね」
–Q:それができたからスピーディに必要な対策が打てたのか?
【大阪府健康医療部 藤井部長】
「っていう面もありますし、その情報が十分集められていなくて遅れたという面もあると思う」
3年間、休むことなく走り続けた大阪のコロナ対策のキーパーソンは2023年3月に、定年を迎え37年間務めた府庁を後にします。
■3年間の大きな教訓…課題にどう対策するか?
大阪府健康医療部の藤井さんはこの3年で得られた教訓は、「現場に近い情報をしっかり集め、判断・行動すること」だと語りましたが、情報が集められず遅れた対応もあったと話しました。
また、3年間のコロナ対策で、大阪急性期・総合医療センター内で人材と医療機能を確保することはできたが、重症の感染症患者を診ることのできるスキルの高い看護師130人を短期間で集めることはできなかったと振り返りました。
大阪府のケースでは、先んじた施策もありますが、うまくいかなかった面があったのも事実です。
大阪府新型コロナウイルス対策本部専門家会議の朝野和典座長は、「感染防止に対応できる看護師がいる病院でしか病床は増やせない。人材育成が課題だ」と話しています。
こうした中、大阪府看護協会では感染管理分野に特化した認定看護師(30人)の育成を2022年10月から始めています。
(関西テレビ「報道ランナー」2023年2月13日放送 菊谷雅美記者)