ロックダウンから3年 中国・武漢の今 活気が戻る一方で… 地図アプリから消えたウイルス研究所 娘を失くした母は「隠ぺいで感染が拡大し娘の死につながった」と訴え 尾行を受けながらの現地取材で見えてきたもの 2023年01月30日
コロナの感染が最初に拡大した中国・武漢(ぶかん)。「ロックダウン」から3年がたった街を取材すると、生活の大きな変化と遺族の変わらぬ思いが見えてきました。
■ロックダウンから3年 中国・武漢の今
中国・湖北省武漢。1月17日にこの地を訪れた取材班が目にしたのは、中国の旧正月春節休みを前に、各地へ出かけようとする人の多さでした。
【駅前にいた武漢市民】
「ことしは規制がなくなってすごい解放感です!」
「うれしいです」
中国・武漢は3年前、最初に「新型コロナウイルス」という未知のウイルスによる感染症が拡大した街でした。
2020年1月には中国政府が近年まれにみる「都市封鎖」いわゆるロックダウンに踏み切ったため、無人となっていましたが…
現在は、今では何事もなかったかのように市内の飲食店が人であふれています。その内の1つ、日本料理店「天の橋立」を取材しました。
【森雅章記者 リポート】
「武漢で人気の繁華街の近くにある日系の飲食店です。開店したばかりですがほぼ満席です」
【店の客】
「街がにぎわっていてコロナ前に戻ってとてもいい感じです」
「マスクをしなくてもとやかく言われなくなってうれしいです」
【日本料理店 天の橋立 長尾和良店長】
「この3年間コロナ、コロナ、コロナで結構苦しめられた。これからようやく長期的な希望を持ってお店ができるかなと思っています」
また、武漢市内の一角で廃墟のようになっているのは、2020年の感染第一波で急きょ建てられた臨時病院「雷神山医院」。
当時、市内の病院に患者が押し寄せ大混乱となったことからおよそ10日ほどの突貫工事で建てられ、重症患者を含む2011人がここで治療を受けていました。
■取材班を尾行する“謎の黒い車” 中国当局なのか? 監視の中での取材
武漢が「感染の震源地」だったことを象徴する場所をめぐっていたとき、取材班の乗った車の後ろをどこまでもついてくる黒い車に気が付きました。
【森記者】
「やっぱり付いてきてますね、あれ…」
取材班が車を止めると、黒い車も止まります。中国当局の監視なのか…。そして取材班から隠れようとして、バックで角に入っていくなどしながら、尾行を続けます。
謎の黒い車から尾行や監視をされつつも、次に取材班が向かったのは、海鮮市場です。
【森記者 リポート】
「当初、多くの感染者が出た海鮮市場です。今も高い壁に囲まれたままになっています」
海鮮市場という名前ながら、野生動物も販売されていたこの場所で多くの感染者が出たことから当初、ここが感染源とされていました。
また一時は、武漢ウイルス研究所も発生源ではないかと指摘されていましたが、地図アプリで検索すると、ウイルス研究所があった場所には、何も表示されていませんでした。
■「隠ぺいが娘の死につながった」 母親、涙の訴え
ウイルスの発生源の解明もなされないまま風化が進むことに憤る人がいました。感染拡大の第一波で当時24歳だった娘を亡くした楊 敏(よう びん)さん(52)。
【娘を亡くした楊 敏さん】
「娘はおしゃれが好きで、よく食べて、よく遊び、私によく甘える普通の女の子でした。娘は明らかに“殺された”のに親として正義の訴えをすることもできない。合わせる顔もありません」
楊さんは地元政府が当初、新型コロナウイルスの人から人に感染する可能性を公表せず、情報を隠蔽したことで市内に感染が広がり、娘の死につながったとして謝罪を求める裁判を起こそうとしています。
【楊 敏さんの訴状】
「私は50歳になる普通の武漢市民であり、感染拡大のせいで24歳の愛する娘を失った母親でもあります」
楊さんの娘は3年前の1月、武漢市内の病院に乳がんの治療で入院した時に新型コロナウイルスに感染。病状は日に日に重くなり、何とか重症病床のある病院に転院したものの、当局からの情報がない中で、病院は十分な対応が取れない状態でした。
【楊 敏さんの訴状】
「医療体制の不足が深刻な中、娘は自力で起き上がることができず、唾液さえ飲み込む力もありませんでした。排泄物は掃除されず、完全に汚物の中で眠っていました。私は娘が口を開けて一生懸命息をしようとしているのを見ていると、まるで水からつかみ出された魚が大口を開けて苦しんでいるのを見るようで、胸が張り裂けそうで…娘と代わってやれない自分を恨みました。娘が死んだと知った時、私は激しいショックを受けました。手のひらの中の宝物が、こんな恨みとともに、こんな無念さとともに、この世を去るなんて!」
訴状は裁判所に2度提出しましたが、1度目は「受け取れない」と電話で告げられ、2度目は返事すらありませんでした。
取材班が武漢に滞在中に、中国は春節を迎えました。武漢の空は、色とりどりの光を放つドローンのショーで彩られました。
しかし楊さんにとっては辛い記憶が残る時期です。3年前の春節のとき、当局は人から人に感染する恐れを公表しないで、市民の宴会を中止させなかったため、感染拡大を招いたからです。
【娘を亡くした楊 敏さん】
「政府には失望しました。コロナ禍の3年間、正常な国にあるべき国民への愛がなかった。感染拡大の原因が解明されたら娘に『愛している』と伝えます。世界の人にお願いします。コロナ禍の原因に関心を持ち起源を追究してください」
実は、楊さんを取材している間も、黒い車に乗っていた男たちによる尾行は続いていました。
取材を終え、自宅付近に戻った楊さんに監視の男たちが駆け寄り、スマートフォンのレンズを向けてきました。翌日にも4人の男が現れ、楊さんの行動を監視しました。
しかし楊さんは取材班に、「私がしていることは公明正大で何の問題もないはず。今回の取材をしっかりと報道するように」と自らの覚悟を示すように念を押しました。
ロックダウンから3年、中国・武漢の街には活気が戻っていました。しかし、いくら活気が戻っても風化させてはならないことがあります。
(2023年1月27日放送)