いまも芦屋の街に鳴り響く…『ドラム缶』の鐘の音 “お風呂”や“炊き出し”でみんなを支えてくれた 両親失った男性「自分に気合いをかける“音” 」【阪神・淡路大震災から28年】 2023年01月17日
■ ドラム缶が支えた避難生活
20人ほどが集まり、震災のあった1月17日の午前5時46分に思いを寄せました。
寺にある鐘は、少し割れたような、独特の音が鳴ります。使われているのは、「ドラム缶」です。
建物の半数以上が全壊または半壊した芦屋市。およそ2万人が、避難所で生活を送ることになりました。
避難生活の拠点になった西法寺。 ドラム缶が炊き出しやお風呂を支えました。
【西法寺・上原照子副住職】
「とりあえず暖をとらないといけない。寺には昔からいっぱいドラム缶があって。周辺はいっぱい倒壊していたので。木をいただいてきて、暖をとってもらって。生きているうちは生きている人間を優先させてくださいと言ったんです」
■ 両親を亡くした男性の思い
震災後、寺は地震に強いコンクリート造りになりました。再建する時に、建築士の藤野春樹さん(70)が住職の願いを受けて、ドラム缶で「鐘」を作りました。
【藤野春樹さん】
「(鐘ができてから)20年ぐらい経ちますから、薄汚れてきて。形として残っていることは大切に思いたいことですね」
あの日、両親が倒壊した自宅の下敷きになり、命を失いました。
【藤野春樹さん】
「近所の人が手伝ってくれて両親を掘り出したんですけど。多分一瞬で・・・怖かったと思います。両親とも布団を顔の上に被っていましたからね。(救出したのは)地震から2時間ちょっと。まだ温かかったですね」
2人は毛布一枚で安置されていました。それでも、藤野さんは、震災直後から殺到する家の修理の依頼に対応し続けました。
【藤野さん】
「大切な人が亡くなったのに、何もしてあげられないという心の葛藤。両親の看取りはどうせやってくると、気持ちをそっちのほうに押し付けていったというか。仕事が忙しいからと感情をなるべく抑えこんでしまったのがありますね」
復興のために汗をかいた街。見渡す限り、きれいになりました。
【藤野春樹さん】
「『阪神淡路大震災の場所です』と語り継ぐには、この状態ではなかなかわかってもらえない部分もあります。いろんな方が来られて今もモニュメントとして残っているのは、命があるわけではないけれど、1人でドラム缶の存在を誇示しているというか。この鐘は長いことここにあってほしいですね」
■ 震災を知らない世代に伝えたい「1.17」
この日、当時を知らない子供たちに、初めて震災を話すことになりました。
【藤野さん】
「みんなで助け合ってもう一回取り戻そうという気持ちは絶対忘れたらあかん。いろんな人にお世話になったしみんなが助けてあげようという気持ちの繋がり、あたたかい思いがたくさん残っています」
–Q)若者にどんなことをしてほしい?
【藤野春樹さん】
「1.17の日にちを忘れないということ、その積み重ねでしょうね。それを繰り返すこと。毎日はできないから」
あれから28年。残された人々は懸命に前を向いて生きてきました。
【藤野春樹さん】
「1月17日は今から考えたら苦労したな、一生懸命頑張ったなというのがあるから。それを忘れないように今年も一生懸命がんばろうと、自分に気合をかけるような音ですね」
地域を支えたドラム缶が、これからも1月17日を思い出させてくれます。