警察の「ずさんな捜査」で失われた家族との3年 愛する娘を“窒息死”させたと疑われ 「虐待冤罪」の残酷な被害 "虐待ストーリー"ありきの捜査が背景に 2022年12月28日
冤罪―。
強引でずさんな捜査が奪ったのは、幸せな家族の暮らしでした。
【篠原遼さん】
「もっと色々してあげたかったなとすごく思いますね」
堺市に住む篠原遼さん(27)。
2019年5月、長女の咲舞(えま)ちゃんを突然失いました。
遼さんも妊婦検査や出産に立ちあって生まれた待望の長女でした。
【篠原愛さん】
「へその緒を切ったのも彼で。自分で切りたいと言って切ってくれて。全部彼女の初めてをやりたいという感じだったので自宅に帰ってすぐのお風呂も彼が入れていて。すごく楽しくて、本当にいつ思い返してもストレスがなかった」
娘を溺愛していた遼さん。どこにでもある幸せな家族の日常でした。
2019年5月19日、いつものように家族3人で一緒に過ごした日曜日の夜でした。
【篠原遼さん】
「先に私がお風呂入って、体を流して。妻が、娘をだきかかえて、娘のおしりを向けるように渡してきたので受け取って…」
遼さんは咲舞ちゃんの体を洗い、お座りができるようになっていた咲舞ちゃんを座らせて、自分の頭にリンスをしていました。
【篠原遼さん】
「流し終わって、娘の方を見ると前のめりに倒れていて。最初はバランス崩して倒れたんかなと思ったけど、どう見ても様子が違うので…」
咲舞ちゃんは病院に救急車で搬送されましたが亡くなりました。生後7か月のあまりに短い命でした。
死因もまったく分からないまま、わが子を突然失い悲しみに暮れていた遼さん。
約2か月後、警察署に呼び出されます。
刑事から示されたのは、解剖医の近畿大学医学部・巽信二教授(当時)が作成した「死体検案書」。そこに書かれていたのは、目を疑うような内容でした。
咲舞ちゃんの死因は「窒息」、そして「他殺」と書かれていたのです。遼さんが窒息死させたと決めつけた強引な取り調べが始まりました。
【篠原遼さん】
「急変時に一緒にいた私以外いないだろうと言われて。私はしていませんと言っているんですけど、聞いてくれることはなく…」
刑事は遼さんに顔を近づけて「お前が殺したんやろう!」「子どもより自分がかわいかったんやろう!」と声を荒げ、「じゃあお前は医師(の検案書)が間違っているって言うんか!」などと長時間迫り続けたといいます。
【篠原遼さん】
「私は首を洗っていただけだと。シワがあるので(指で)つまむような洗い方していただけと。もちろん圧迫する力は加えていないですし。泣き止めと思っていたんやろうと言われたが、それは泣いているのにもっと泣けと思う人はいないじゃないですか。泣き止んでほしいとは思ってますよと。そういうふうに答えたものが全部『泣き止んでほしいために首をつまんだ』と捉えられていて…」
遼さんの説明を刑事が切り貼りして作り上げられていった供述調書。読み聞かせの際、何度も訂正を求めましたが応じてもらえませんでした。
【篠原愛さん】
「刑事が言うあらすじ、シナリオが全く違っていて。『殺そうと思ってないが、泣いていたからたまたまやってしまったんやと思う』みたいにずっと言われてたんですけど。あまりにも“殺す”という状況と私たちの本当の状況がマッチしていない。咲舞ちゃんの未来を自分で奪うようなことを絶対するはずがない」
このとき、愛さんのお腹の中には新しい命が宿っていました。
2019年9月、愛さんは次女を出産。次女の存在は、2人にとって唯一の”希望”でした。
しかし、自宅に戻った3人を待っていたのは児童相談所(堺市子ども相談所)の職員。次女はその場で「一時保護」されました。
児童相談所が愛さんの元に戻す条件として突き付けたのが「離婚届」の提出。
そして、遼さんと次女を一切会わせないことでした。
【篠原愛さん】
「離婚届を出すことによって次女が私と暮らせる環境が彼も一番だと。(子どもにとって)お母さんと離れないことが一番やと思うからと。児童相談所がそういう条件を言うのであれば出すしかないよなと。2人で泣きながら離婚届書いて、2人で出しに行きました」
次女を少しでも早く戻してもらおうと、2人は一時保護されたその日のうちに離婚届を提出し、別居。
結局、次女が愛さんの下に戻されたのは約3か月後のことでした。
そして、2019年11月27日―。
【当日の関西テレビ・『報道ランナー』でのニュース放送】
「大阪府堺市で生後7ヵ月の長女の首を圧迫するなどして窒息死させた疑いで24歳の父親が逮捕されました」
遼さんは、大阪府警に逮捕され、いったん処分保留で釈放されましたが、大阪地検は傷害致死罪で起訴しました。
【篠原遼さん】
「99.9%有罪となるのも知っていますし、絶望感はありましたね」
遼さんの弁護士が最初に気になったこと、それは逮捕前の取り調べで取られた「調書」の存在でした。
【野澤佳弘弁護士】
「窒息の証拠が全然足らないとなった時に、(裁判所が)最終的に悩んだ時の有罪への一押しになるのが一番怖かった。やっぱり印象というのが怖いので…」
裁判員裁判に向けた証拠整理の段階で、弁護側から調書の取り方に問題があったと主張。
調書の証拠採用は見送られ、主な争点は「死因」に絞られていきました。
【川上博之弁護士】
「窒息をきちんと基礎づける診断基準を全然満たしていない。ではなぜ亡くなったのか。反対仮説(別の死因)をできれば提示したい。それが確実な無罪に結び付くためには重要になってくる」
死因を調べる中で、咲舞ちゃんは“心臓突然死”だった可能性もあると考えた野澤弁護士と川上弁護士。「遺伝子検査」ができないか検討することにしました。
【川上博之弁護士】
「(咲舞ちゃんは)もうお亡くなりになっているので、今病院に来てもらって血液検査してもらうこともできない」
何か検査ができるものが残っていないのか。一つ見つかったのが、愛さんが大切に保管していたもの。
それは、遼さんが切り取った「へその緒」でした。
そして、遺伝子検査の結果は…
【川上博之弁護士】
「亡くなってしまった咲舞ちゃんが2つ遺伝子の変異を持っていた。いずれも突然死につながる変異であるということでした。霧が晴れるような印象を持ちました」
そして、2022年12月2日に迎えた判決。
【大阪地裁・西川篤志裁判長】
「主文 被告人は無罪」
判決理由は「窒息死を示す積極的根拠はないとしたうえで、遺伝子変異の影響による心臓突然死の可能性を認め、動機も全くうかがわれない」というものでした。
検察は控訴を断念し、遼さんの無罪は確定。遼さんは、咲舞ちゃんにその報告をしました。
【篠原遼さん】
「娘にありがとうと。こういう疑いかけられて、娘が『そうじゃないんだよ』と教えてくれたんじゃないかと思うので。娘も一緒に頑張ってくれたという思いもあるので。それに対しての感謝ですね」
離れて暮らす次女に一日でも早く会いたいと思いを募らせている遼さん。
部屋の真ん中には、「パパへ」と書かれた次女からの誕生日プレゼントの絵が飾られています。
【篠原遼さん】
「離れていてもこういうのもらえるのは嬉しいですし。いつでも見られるような位置にと、あそこに貼っています」
愛さんも、一日も早く家族が元に戻れる日を心待ちにしています。
【篠原愛さん】
「時間ってなんか巻き戻せないだけに一番残酷なものでもあるなという風に思っていて…。これから次女が成長していくところを早く彼が見守ることができるようになるのが一番いいことかなと思います」
【篠原遼さん】
「次女とは(生後)5日くらいしか一緒にいなかったので。(再会したときに)どんな反応するんですかね…。どんな反応でもしっかり関係を築けるように頑張りたいです」
■「虐待冤罪」を生む構造とは
なぜ、このような冤罪を生んでしまったのか。捜査過程を振り返ると、“虐待ストーリー”ありきの捜査だったことが見えてくる。
一つは、解剖医による死因鑑定を鵜呑みにしてしまったこと。“窒息死”と決めつけて遼さんに強引な取り調べを行うなど、解剖医の鑑定を所与の前提にして捜査を進めてしまっている。
しかし、判決でも「窒息死を示す積極的根拠はない」と判断されているように、そもそも“診断基準”に当てはまらないものであった。
警察が意見を聴取した解剖医以外の医師の中にも、「不整脈(心臓突然死)の可能性」を指摘する意見や、「窒息死と判断できる解剖所見はない」との意見など、死因を“窒息死”とすることに疑問を投げかける意見が複数出ていたことが分かっている。
“窒息死”という鑑定が適切なのかどうかを医学的に吟味する姿勢に欠けていたと言わざるを得ない。自分がすでに持っている先入観を肯定するため、自分にとって都合のよい情報ばかりを集める傾向があることは社会心理学の用語で「確証バイアス」と呼ばれるが、まさに捜査機関の見立てに沿う医師の意見だけが、捜査員の目には輝いて見えていたのではないか。
もう一つの要因は、供述調書の取り方にある。任意取り調べの段階で、解剖医の検案書を示して死因が“窒息死”であると決めつけたうえで、それに沿う供述を引き出そうとした強引な取り調べが行われた。
任意段階での長時間に及ぶ取り調べは、娘の命を結果的に守れなかったという “自責の念”を持つ遼さんに「子どもより自分がかわいかったんやろう!」との暴言を大声で浴びせながら行われている。
そうした環境下で、「首のシワを指でつまんで洗っていた」「泣き止んでほしかったと言われればそうだ」といった遼さんの説明を「泣き止ませるために首をつまんだ」と捜査員が“作文”して、それを読み聞かせてサインを迫っているのである。
読み聞かせも、文書そのものを見せることなく、早口で聞かせるだけ。遼さんが何度も訂正を求めても、「そういうつもりじゃないのは分かっている」などと応じてもらえなかったという。
本来、供述調書は、その人が持つ情報を正確に引き出すために行われるもの。話した内容がそのままの形で録取されるべきものなのに、こうしたやり方では“情報”が歪められていくことになる。こうした過程を経て出来上がった「調書」の内容が、捜査機関の中では「遼さんが自ら語ったこと」という情報として報告されていった結果、“窒息死”ありきの捜査を軌道修正できなかったのではないか。
取材によると、実際に警察が死因について医師に意見を求めていた際に、「調書」の内容を前提にして意見を聞いていたこともあったようである。先入観(バイアス)がかかった情報をもとに専門家の意見を求めていたのだとすれば、専門家から正確な鑑定結果を引き出すことも困難になる。
■(取材後記)遼さんから向けられた報道機関への厳しい目
遼さんは、逮捕後に釈放された後、自身の逮捕を報道したニュースを目にする機会があったという。今回のインタビュー取材の終わりに、逮捕の報道を見た感想を率直に語ってくれた。
「逮捕報道を見た100人中100人、私が娘に手をかけたと思うでしょうね」
この言葉の後、遼さんは私の目をじっと見続け、その場に10秒ほどの重い沈黙の時間が流れた。私には返す言葉が見つからなかった。
逮捕報道を伝えているマスメディアの一員として、その後何があったのか、捜査や公判過程で問題がなかったのか、きちんと検証していかなければならない。今回、あらためてその責任を痛感させられる取材だった。
(関西テレビ報道センター記者・上田大輔)