凶弾に倒れ3年…アフガニスタン支援に力を尽くした中村哲さん 「100の診療所よりも1本の用水路」 独学の土木技術で建設した「命の水」は今も人々を潤す 現地では飲食店もスーパーも「ナカムラ」 大阪のジャーナリストが語り継ぐ中村さんの遺志 2022年12月06日
アフガニスタンで人道支援に力を注いだ中村哲さん。現地で凶弾に倒れてから、12月4日で3年になります。
用水路を造って65万人もの命を救い、アフガニスタンでは知らない人がいない中村さん。その功績を語り継いでいる、大阪のフリージャーナリストを取材しました。
■中村哲さんの功績語り継ぐ 大阪のフリージャーナリスト
11月、大阪の摂津市立第四中学校で、20年以上にわたりアフガニスタンの取材をしている大阪出身のフリージャーナリスト西谷文和さん(62)が特別授業を行いました。
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「みなさんも給食食べる前と後で、どっちがけんかしやすいか?アフガニスタンの人は一日1回、食べられるか食べられないか、だからずっとお腹減らしているわけね。中村さんは何を考えたか。お米や小麦を作ったら、みんなの気持ちが落ち着くのではないかと」
用水路を造り、住民を干ばつから救った日本人医師・中村哲さんの活動について語ります。
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「きょうのテーマの一つ、中村哲さん。アフガニスタンに住んでおられて。僕がちょうど12年前に偶然会いました」
■ジャララバードではいたる所に「ナカムラ」が
ことし8月。西谷さんが向かったのは、中村さんの用水路があるアフガニスタン東部のジャララバードです。
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「今からジャララバードに行きます。ここはカブールとジャララバードの分岐点です。こちらジャララバードで、ずっと坂をくだるようにして降りていくという不思議な地形になっています」
険しい山々の間を通り、ジャララバードに到着すると…あるお店の前に足を止める西谷さん。
【ジャーナリスト 西谷文和さん】
「これペルシャ語で『ナカムラ』と書いていますね」
–-Q:なぜ店を「ナカムラ」と名付けたの?
【お店の地元民】
「良い人だったからだよ。国の再建に尽くしてくれた。亡くなったと聞いたときは、本当に残念だった」
地元のスーパーも…
【スーパーの地元民】
「中村さんを尊敬している。偉大な功績を残されたからスーパーの名前を『ナカムラ』にした」
■独学で土木技術学ぶ アフガンに遺した「命の水」
2003年、アフガンでは干ばつによる死者が増える中、中村さんは「100の診療所よりも1本の用水路」と独学で土木技術を学び、用水路を建設し始めました。
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「中村さんの用水路がここにも見えてきて…すごい。水が満々と流れております。せきが見えてきましたね。山がはげ山でしょ。アフガニスタンは雨が降らないので、こんなに緑が生えているのはこの用水路があったから」
西谷さんは2010年、この同じ場所で用水路建設真最中の中村さんに取材していました。
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「中村さんが朝8時ごろに『よう来たね』って出てきて、びっくりして、あ!本物がいはる!って感動して、握手して…中村さんカマの取水口に連れて行ってくれて、その時にクナール川って暴れ川なんですよ、すごい急流でね、こんなところにせきができるのかと、あの急流に石だけで作るのはね。見事にできていて、うれしかったですね」
取水口へ向かう車中で、次のような会話を交わしました。
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「2003年から中村さんたちがこれ(用水路)を作られて、ここまで23.数キロメートル、頭が下がります」
【日本人医師 中村哲さん】
「ここに水が落ちるとこっちが全部潤うんですよ。少しずつ広がったけど、全部砂漠だったんですね」
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「もともと砂漠の土地だったんですね」
【日本人医師 中村哲さん】
「ほぼもう時間の問題で、全部畑になりますよ」
この水のおかげで、乾いた大地が緑のオアシスに。65万人に「命の水」を届けることに成功しました。住民たちは農業を営むようになったのです。
【日本人医師・中村哲さん】
「水を出してみんなが生活できるようにして、そして豊かな気持ちにしないとですね。水の大切さというのを身に染みてみんな知っていて、水は命だということ。そのことはやっぱりアフガニスタンを知る上で、前提となることの一つじゃないですかね」
現地の人からは、「Kaka Murad(カカ・ムラド)=中村のおじさん」と親しまれた中村さん。しかし、3年前の12月4日、志半ばで凶弾に倒れました。
■「中村のおじさん」と親しまれるも…志半ばで凶弾に倒れる いったい誰が?
西谷さんはことし、その事件現場を訪れました。
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「中村さんが殺害された現場にいます。このあたりで1台目の車が中村さんの車に衝突して事故をさせて。2台目の車が暗殺集団で撃ち殺されたと。暗殺集団はこちらの方へと逃げて行ったと」
【事件の目撃者】
「あそこの店で座っていて、朝の8時30分だった。ここにはアフガンの兵士もいた。見知らぬ人に中村さんは殺された」
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「中村さんのことは、アフガニスタン人は殺さない。だから別の国の人が殺害したのではないかと。なぜかというと、中村さんの用水路は中村方式で、今やアフガン全土で作ろうという動きがあって、もともと戦争さえなければ、農業国なんですよ。アフガニスタンが自立することを望まない人たちが、中村さんに手をかけたのではないかと」
■タリバンの支配下で厳しい生活 カブールでは中村さんの肖像画消される
アフガニスタンでは、2021年、イスラム主義組織タリバンが国を制圧。国際社会から孤立し、人々はさらに厳しい生活を強いられています。中には、こんな厳しい選択をしなくてはならなかった父親もいます。
–-Q:いつ娘を売った?
【父親】
「タリバン政権になってから、仕事がなくなったから仕方がなかった」
タリバンの支配下で、偶像崇拝も禁じられ、カブール市内に大きく描かれていた中村さんの肖像画は消されてしまいました。しかし…
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「よかったー!肖像画はまだ残っているわ!」
中村さんの「命の水」が流れるジャララバードでは、肖像画は残されていたのです。
【地元の人】
「私たちは中村さんを尊敬している。彼はここでは忘れられない存在。建設も農業も、公園もみての通り。みんな中村さんを愛している」
ことし9月には、地元の人の手で新たな用水路が完成しました。中村さんの遺志は引き継がれています。
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「この用水路、誰が作ったか知っている?」
【現地の子供たち】
「日本人のナカムラさん!ナカムラ!!」
■日本の若者に伝えたい 中村さんの思い
西谷さんは取材から戻るたびに、アフガニスタンの現状や中村さんの功績を日本の若者に伝えています。
【摂津市立第四中学校の生徒】
「中村さんが生きていたら、次はどんなすごいことをしていたと思いますか?」
【フリージャーナリスト 西谷文和さん】
「中村さんが生きていたら、ずっと用水路を延ばしていたと思います。砂漠を緑に変えて、そして人々を救っていると思います。色んな場所で続けていたと思います」
西谷さんの講演を聞き終えた生徒は…
【中学1年生の女生徒】
「自分もできることがあればやってあげられたりしたらいいし、自分たちが大人になって、他の貧しい国にもいろいろしてあげられたらいいなと思いました」
中村哲さんがアフガニスタンに照らした希望の光。多くの人の記憶に生き続けます。
(2022年12月5日放送)