元「新党さきがけ」代表で官房長官・大蔵大臣を歴任の武村正義さんが死去、88歳 細川政権誕生の立役者…「小さくともキラリと光る国」掲げて政界に大きな”存在感” ムーミンパパの愛称も 2022年10月02日
【2018年 関西テレビの取材に応じる武村さん *トップの写真】
■滋賀政界の重鎮が逝く
滋賀県出身で、滋賀県知事を経て、新党さきがけの代表や細川政権で官房長官を務めた武村正義さんが、9月28日亡くなりました。88歳でした。
【1974年 滋賀県知事に当選時】
滋賀県出身の武村さんは、東京大学卒業後、旧・自治省に入省、滋賀県八日市市長を経て、1974年に滋賀県知事に就任しました。
【新党さきがけ結成時 1993年】
■非自民連立の「細川政権」誕生の立役者
そして、1986年に自民党から衆議院選挙で初当選しました。
1993年に、自民党を離党し、政治改革の実現を掲げて、鳩山由紀夫氏らと新党さきがけを結成しました。
【細川氏の首班指名時、拍手する武村氏 1993年】
そして、日本新党の細川護熙代表を首班とする非自民連立政権で、官房長官に就任し、衆議院小選挙区比例代表並立制導入などの実現に努めました。
しかし、細川政権では、次第に細川氏や小沢一郎・新生党代表幹事らと「国民福祉税」導入などをめぐって対立。
【自社さ政権では大蔵大臣に】
■「自社さ」政権では大蔵大臣も、『排除の論理』で
政権崩壊の後は、1994年に誕生した自民・社会・さきがけ連立政権で、村山内閣の大蔵大臣も務めました。
1996年の旧民主党結党時には鳩山由紀夫氏から「排除の論理」で入党を拒否されました。
【政界引退表明の会見 2001年】
2000年の衆院選で落選、翌2001年に政界引退を表明しました。
【官房長官時代の武村氏】
目指す国家像を「小さくともキラリと光る国」と表し、その風貌からムーミンパパの愛称でも知られました。