惜しまれながら「防空壕」 解体工事始まる 特攻機が飛び立った飛行場に隣接の「戦争遺跡」 道路建設のため取り壊し 市長「管理の問題が難しい」 兵庫・加西市 2022年08月22日
兵庫県加西市で、太平洋戦争中につくられた貴重な防空壕が取り壊されることになり、8月22日に解体工事が行われました。
なぜ、保存することができなかったのでしょうか。
兵庫県加西市に旧・日本海軍が終戦の前の年に完成させた「鶉野飛行場」があります。
この滑走路からは、多くの特攻隊員が飛び立ちました。
滑走路上には、今年4月に地域活性化の拠点として平和学習施設「sora(そら)かさい」がオープンし、のべ3万人以上が訪れています。
飛行場近くには防空壕があります。
太平洋戦争中に作られたもので、全長およそ30メートルのコンクリート製。
具体的な用途は分かっていませんが、爆風を防ぐため扉が2重構造となっているなど、当時の面影を感じることができます。
この防空壕を解体する理由は「道路建設」です。
市によると、国道の渋滞解消などを目的にバイパスとなる市道を建設中で、このルート上に防空壕があるというのです。
市の担当者は「周辺には農業用のため池や店舗があり、迂回することは難しい」と話します。
【兵庫県加西市土木課・仲井正文課長】
「片一方ではアピールし、片一方では壊すというご意見もございますけれども、アピールするためのいい道をつくっています」
市は7月下旬、解体を前に防空壕を見てもらおうと見学会を開きました。
飛行場の資料館を管理している上谷昭夫さん(83)。
30年にわたって飛行場や、周辺の戦争遺跡の調査を続けてきました。
【鶉野平和祈念の碑苑保存会 上谷昭夫さん】
「何十機という戦闘機が襲ってきて、ここに爆弾を落とすわ、機銃掃射をするわ、ここにいた人たちは必死の思いで逃げ込んだ場所(かもしれない)。どういう思いでつくったか、そういう人たちの思いを思うと、残してほしいなというのが本当の気持ち」
また、戦争当時を知る小谷裕彦さん(95)は、防空壕の建設には民間人も数多く動員されたのではないかと話します。
【小谷裕彦さん】
「尋常高等小学校の1年2年(12歳~14歳くらい)のもんがここにきて、モッコかついだり、防空壕ほったり、滑走路つくったりやってる。当時は今みたいにユンボとかダンプとかあらへん。そういう時代に、みな子供がえらい目にあって。こういうことがあったということを後世に残してもらいたい」
【加西市 西村和平市長】
「移転、あるいは大きな橋をつけてまたいでいくというのもご提案いただきましたが。大変大きな費用がいる。なおかつ残すことにより、かえって、後々の管理上の問題も大変難しい」
そして、8月22日に防空壕の解体工事が行われました。
【上谷昭夫さん】
「道路ができた後も、かつては戦争中に防空壕があったということを残してほしい」
加西市は、すでに防空壕のレーザー測量を行っていて、今後、WEB上で3D画像などを公開することを検討しています。
加西市の鶉野飛行場周辺には、ほかにも防空壕がいくつか点在していて、その中の1つでは、特攻隊をテーマした映像作品を見ることができます。
戦争遺跡に詳しい慶應義塾大学の安藤広道教授は、「戦争遺跡を残す基準を作ることは難しい」と指摘します。
【慶應義塾大学 安藤広道教授】
「戦争遺跡は人によって多様な考え方がされるもので、客観的な評価が難しい。少なくとも数万件以上あると推定されている戦争遺跡をすべて残すことも現実的にはできない。自治体が遺跡を残そうとしても、どの遺跡を選んでいいかわからず、結果的に放置状態になっている現状がある」
また、戦争遺跡の保存に向けて重要な点について安藤教授は「地域住民と自治体が、どの戦争遺跡を残すことが大事なのか、双方が歴史を知った上で対話し、選択していく必要がある」と話し、地域で合意して、対象を選択して残すことだと指摘しました。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年8月22日放送)