京都アニメーション放火殺人事件から3年 大切な人を失い、残された人たちの今は・・・ 代表作のファン”聖地”、元・同僚、そして家族の“思い” 2022年07月19日
3年前の7月18日、京都アニメーション第一スタジオがガソリンで放火され、36人が死亡、32人が重軽傷を負うという痛ましい事件が起こりました。
事件の発生時刻に合わせ、京都アニメーション第一スタジオの跡地では、遺族や京都アニメーションのスタッフなどおよそ120人が参列して追悼式が営まれ、夢を絶たれた”無念の死”を悼みました。
犠牲となった中に44歳の女性がいます。
クリエーターとして、そして母親として、かけがえのない存在を失った、残された人たちの3年です。
■今もファンに愛され続ける”聖地”兵庫・西宮市「珈琲屋・ドリーム」・・・京都アニメーションの代表作”涼宮ハルヒの憂鬱”の舞台
兵庫・西宮市にある「珈琲屋・ドリーム」は、京都アニメーションの代表作・「涼宮ハルヒの憂鬱」の中で描かれた”聖地”の内の1つで、今でも多くのファンが店を訪れます。
【珈琲屋・ドリーム店長・細海章子さん】
「あのアニメの力ってすごいなと。すごいこの子たち(ファン)も、この店を愛してくれてるし、わたしもこの子たちも、大事にしなきゃっていうのは、感じてはいます」
毎年、七夕の時期に「ドリーム」では、笹飾りを店の前に出しています。
【店を訪れたファン】
「(ここで)飾り付けってできるんですか?・・・お願いしてもいいですか」
アニメの中に七夕のエピソードがあったことをきっかけに、長年、ファンたちが自主的にお店に集まって笹飾りを手伝っています。
【女性ファン】
「父がアニメ好きで、(放送)当時、私は6歳くらいだったんですけど、見ていた録画が残っているので、”一挙見”みたいな形で見ました。個性豊かなキャラクターが多くて、特に私は当時から『みくるちゃん』が好きで、かわいらしくて」
ある男性ファンは、「私は(笹飾りを手伝って)10・・・年くらいになるかな?」と店長に確認しながら、事件についても気持ちを話してくれました。
【男性ファン】
「事件があったというのは、結構大きなショックではあったけど、この活動自体(笹飾りのお手伝い)は変わることはないと思います」
■今も愛され続けるアニメキャラクターのデザインを手がけた池田晶子さん 残された家族の”悲しみ”と”思い”
放送から15年以上経った今でも愛され続ける、「涼宮ハルヒの憂鬱」の登場キャラクターたち。
キャラクターのデザインを手がけたのは、池田晶子(いけだしょうこ)さん(享年44歳)。
3年前の放火殺人事件で命を落とした1人です。
あれから3年、池田晶子さんの夫・寺脇譲さんが、今の気持ちを語りました。
【池田晶子さんの夫・寺脇譲さん】
「僕も子供に対してピリピリっていうか心配していたこと(突然、母を失ってしまった子供の心のケア)から、少しちょっと安心できるようになったかなって・・・」
事件当日、晶子さんはいつものように、京都アニメーションの第1スタジオで働いていました。
事件の知らせが入り、夫の譲さんも、すぐ現場へ駆けつけましたが、晶子さんを見つけることはできませんでした。
譲さんが晶子さんの死を知ったのは、数日後のことでした。
【夫・寺脇譲さん】
「(息子に)ママにお別れするために何かちょっとコメントを書いて。手紙を書いて、お供えしにいこうって。(息子は)何かいろいろ書いてました。『ママありがとう』とか。僕が(晶子さんに)思ったのは、もう『ごめんね』っていう一言しかなかった」
譲さんは、晶子さんに対しての『ごめんね』の意味についてこう語りました・・・
【夫・寺脇譲さん】
「もっとアニメも描きたかったやろうし、もっと生きてたかったやろうし、色んな大きな意味で『何もしてあげられなかったね』って。『ごめんね』っていう」
譲さんが、晶子さんとのホームビデオの映像を見せてくれました。
映っていたのは、手に持ったナンを回す笑顔の晶子さん。
譲さんが晶子さんとの”思い出”を振り返ります。
【夫・寺脇譲さん】
「言えば、(晶子さんは)アニメバカなんでしょうね。人生を本当にこう前向きに楽しんでる子だなあっていうのが」
アニメーターとして、常に自分を磨いていた晶子さんのある”エピソード”も話してくれました。
【夫・寺脇譲さん】
「『パパ、そこ座って、服を脱いで座って』っていうから『分かった』と言ったら、首のこの筋を見てデッサンしていた。首筋の”そのライン・角度・曲がり方”・・・そんな所まで気にするんでしょうね。そのスキルを磨かないといけないために、わざわざそこをデッサンする」
【夫・寺脇譲さん】
「彼女は自分で楽しいアニメが作れたらいい、更にその見てくれた人が楽しんでくれたら、もうそれでいい」
その一方で、晶子さんはアニメ界の”未来”も常に考えていました。
【夫・寺脇譲さん】
「後輩の子とかに厳しかったかな。この業界できちっと成果を出して、それなりの給料を稼げるところまでスキルを上げてあげる。給料を『上げられる』ようなレベルにその子(後輩)を育ててあげなあかん。(と、いうのが)彼女の持論でしたね」
■ともに”ハルヒ”描いた元・京都アニメーション社員の思い 『逃げちゃダメ』作品通じて”語り継いでいく”のが使命
「涼宮ハルヒの憂鬱」の画集をパラパラめくりながら、先輩の晶子さんとの思い出を話すのは、京都アニメーションの一員として、晶子さんとともに「涼宮ハルヒの憂鬱」を手がけた、山本寛(やまもと・ゆたか)さん。
【山本寛さん】
「”ハルヒ”がぱっちり決まってましたよ。やっぱり華がありましたよ。なるほどな。これが池田晶子の実力かと思って舌を巻いた記憶があります」
また、当時のことを笑いながら、晶子さんとのことを一緒に働いていた時のことを話します。
【山本寛さん】
「ええまあ、とにかく(晶子さんに)怒られました。なんかね、ずっと雑談してるんだけど、なんか知らないけど怒られてるんですね。『山本君、それあかんと思うわ』って。『山本君そんなこと言ってたらあかんと思うわ』って」
「(晶子さんは)キツさが嫌味にならないというか、なんかね、愛すべき人・憎めない人になってしまうっていう。そういう人でしたね」
事件後、アニメの仕事を辞めることも考えた山本さん。
時が経った今、改めて事件と向き合い始めています。
【山本寛さん】
「どんな事件でも、どんな震災でも、必ずみんな言うんだけど、忘れないっていうね。忘れちゃうから次の事件が起こっちゃうっていう。経験した記憶であるかのように刻みつけるのはやらなきゃいけないと思う。この事件に関しても逃げちゃダメなんですよ」
山本さんは、亡くなった先輩たちに背中を押され、「この事件」を作品を通じて”語り継いていこう”と心に決めています。
【山本寛さん】
「いなくなった人にすごくあおられているような気がしてね。『私たちがいなくなったらあんた何すんの?』そして、『このまま尻尾巻いて逃げちゃうの?』とそんなことを言われているような気がして。自分なりのやり方でこの状況をまとめるっていうのかな、世に残すっていうのも含めて、表現としてまとめるっていうのが、僕の下手すりゃ”最後の仕事”なのかなと思ってます」
■事件から3年・・・”聖地”では笹出し そして、残された家族たちの”思い”
事件から3年・・・”聖地”「珈琲屋・ドリーム」では、今年もファンの方々と一緒に笹出しをしていました。
短冊には、「心は共に」「見守ってくださいね、いつも一緒です」など書かれていて”涼しげ”に風で揺れています。
【珈琲屋・ドリーム店長・細海章子さん】
「みんな頑張って書いてくれてるやん。みんなの気持ちがこもってるからね。またこれで1年過ごします」
晶子さんがいなくなって3年が経ちました・・・
夫・譲さんは、学校から帰ってきた息子を、元気よく笑顔で「おかえり!」と迎えていました。
【息子】
「ただいま~」
帰ってきた息子が譲さんの横に座って会話が始まります。
【夫・寺脇譲さん】
「どうでしたテスト何点やった?」
【息子】
「算数100で理科が93やった。」
【夫・寺脇譲さん】
「93?微妙やな」
【息子】
「高得点やと思いますけど・・・」
事件後、譲さんは息子に、「前を向いてほしい」と励ましてきました・・・
息子も小学5年生になり、”ある夢”に向かって進んでいます。
–Q:(記者)何を目指して頑張っている?
【息子】
「灘(中学)に行って、お医者さんになること」
譲さんは答えを聞いて笑いながら息子に話し掛けます。
【夫・寺脇譲さん】
「自分の口で吐いたら責任取れよ?」
息子の頭を愛おしそうに撫でながら話を続けます。
【夫・寺脇譲さん】
「『うん』じゃないよ。何で自信もってうんって言えるのかな(笑)」
譲さんは、最近、ようやく息子が楽しそうに急に「パパ、ここママと食べにきたよね」「パパ、ママとここに遊びに来たよね」と話をするようになり、少し安堵しています。
【夫・寺脇譲さん】
「1年2年まではちょっとうん。晶子に対して子供のことについて報告はようしなかったですけど。やっとこさかな、3年経って」
3年前に大切なものを失った人たちは、色々な思いや決意を抱いて、それぞれの道を前を向いて少しずつ、歩き始めています。
(2022年7月18日放送)