さまざまな事情で児童養護施設に預けられた子供たちは、原則18歳までに施設を退所しなければなりません。
施設を退所後、葛藤しながらも自立を目指す少女を取材しました。
■「孤独で仕方なかった」
兵庫県明石市内の人材派遣会社でアルバイトをしている、19歳のみるさん。児童養護施設で育ちました。
両親はみるさんが2歳の時に離婚し、母親との二人暮らしに。母親は仕事でほとんど家におらず、多くの時間を独りぼっちで過ごすようになります。
そして4歳になったある日、突然、神戸市内の施設に預けられました。
みるさんは、施設に預けられた日のことを今でも覚えています。
【みるさん】
「自転車で来たっていうのも覚えてる。気付いたらここにおった。自分の意思で来てないし、寂しかったっていう記憶しかない。もう孤独で仕方なかったもん」
定期的に会いに来てくれていた母親は、施設に入って約2年がたったころ、突然来なくなりました。
【みるさん】
「最初のころは待ってた、小1、小2ぐらいまでは。分かってくるやん、自分で。もう会えへんのやなと思ってた」
――Q:納得できた?
「多分できてなかったと思う、言い聞かせてたっていうか…会えるんやったら会いたいし。それは一生ずっとあるんやなと思う、気にしてないだけで」
■「5人に1人」
これは厚生労働省などが行った、児童養護施設を始めとした社会的養護から離れた“ケアリーバー”と呼ばれる人たち約2万人への調査で、「退所後のサポートがなかった」と答えた割合です。
児童養護施設にいる子供たちは、必要と判断されれば22歳まで過ごすことも認められますが、原則18歳での退所を求められます。
退所後は身近に頼れる大人がおらず、孤立して経済的に問題を抱えるケースも少なくありません。
みるさんも、その1人でした。
■退所後の一人暮らし、不安定な日々
みるさんは18歳の時、高校卒業とともに施設を出ました。
専門学校に通うため、大阪で一人暮らしを始めましたが、 “寂しさ”と戦う日々。
専門学校の授業は新型コロナの影響でほとんどがオンラインになり、だんだんと欠席が多くなりました。
念願だった留学も、断念せざるを得ませんでした。
時間を持て余すなか、みるさんは、留学のための貯金を切り崩し、ホストクラブに通うようになります。
夜遊びを繰り返し、気付けば昼夜逆転の生活を送っていました。
【みるさん】
「もうどうしたらいいか分からなかったし、ただ何かにすがりつきたかったと思う。穴を埋めたかった。ホストってすごい『かわいいかわいい』ってしてくれる世界だから、その時の自分にぴったりやったんやろうね。お金はなくなった。貯金した半分ぐらいのお金はぶっ飛んでいった」
学校は1年で中退。
状況を見かねた施設の元関係者がみるさんを連れ戻し、再び施設での生活を送ることに。
生活を立て直すため、施設出身者を雇用する有志の取り組みに参加していた人材派遣会社社長・松下真由実さん(61)を紹介され、まずはアルバイトとして働くことになりました。
■寄り添う人との“出会い”
みるさんの仕事は、ミシンを使った縫い物や郵送物の発送。
さらには空いた時間で、敬語の使い方なども教わります。
今後、一人暮らしをした時や将来母親になった時に、少しでも役に立つようにー
松下さんは単なるアルバイトとしてではなく、子育てをするように、みるさんの指導に努めます。
【松下さん】
「どこに出しても恥ずかしくない、ちゃんとできるっていう状態で送り出すことができたら、もうそれだけで本望かな。自分の娘もいますけど、次女のような感じで思っているので」
なぜ松下さんは、みるさんをサポートするのでしょうか。
【松下さん】
「私の分からない彼女の『闇の部分』っていうのを、闇じゃないように、明るいところに持っていけたらっていう気持ちだけです。なんとか幸せになれる道を自分で見つけてほしい」
■憧れの振袖
去年10月、20歳を目前にしていたみるさん。しかし、成人式への参加は諦めていました。
レンタルでも高額な振袖を、購入することも借りることもできなかったのです。
その話を聞いた松下さんは、娘のために買った振袖を、みるさんに貸すことに。
通常数万円するはずの成人式の前撮りも、松下さんが知り合いに頼み、カメラマンや撮影場所を用意しました。
【松下さん】
「一番輝かしい時の思い出を、ちょっとでも私が助けてあげられたら」
【みるさん】
「振袖がきれい。こんなんできると思ってなかった。着たいなと思ってて、でもどうしたらいいか分からんかったから諦めてた。嬉しい」
■突然の“無断欠勤“ー抱える「不安定さ」
仲睦まじく写真を撮った日から、わずか2カ月後のある日。
会社の事務所を出たり入ったりしては、不安げに携帯電話の画面を見つめる松下さんの姿がありました。
前日、みるさんが初めて無断欠勤をしたのです。
連絡は1日たっても返ってきません。施設にも帰っていませんでした。
みるさんは、働き始めてから5カ月がたったこれまで、会社を休む時も、遅刻する時も、一度も連絡を欠いたことがありませんでした。
何か事件に巻き込まれたのではないか―
はたまた、みるさんの心にある“不安”が顔を出して、どこかに逃げてしまったのか―
もし出勤してきたら、なんて言おうか―
松下さんは、悩んでいました。
【松下さん】
「あんまりやんややんや言わない方がいいんかな…でも無断欠勤はだめですもんね。好き勝手して、『こんなに勤怠悪かったらうちで働くの無理だね』って言ったときに、彼女が『本当にやばい』って思うのか『もっと働きたい』って思うのか分からないけど、そこまでいかなきゃ分からないのかな…」
無断欠勤翌日のこの日も、出勤時間はとっくに過ぎています。
【松下さん】
「あ、来た!!」
入り口には、化粧もろくにせず、髪も整えていないみるさんの姿が。
松下さんの顔を見るなり、次々に涙があふれ出しました。
【みるさん】
「ごめんなさい…すみませんでした」
【松下さん】
「ほんとよ!みんながどれだけ心配したと思ってんの!いい加減にしいよ!もう来ないのちゃうかなと思った…」
みるさんをしかる松下さんは涙を流しながら、その顔にほっとした表情を浮かべていました。
みるさんは大阪の歓楽街で過ごしていたようです。
支えられているはずなのに、なぜ逃げてしまったのか。
みるさんは胸のうちを、ぽつぽつと話し始めました。
【みるさん】
「みんなが色々してくれて、それに答えられない。期待されてはないと思うねんけど、めっちゃプレッシャーなんです」
【松下さん】
「ええやん、みるちゃんはみるちゃんのまんまで。しんどいならしんどいって言い」
【みるさん】
「しんどかった。生きてんのがしんどいわって。とにかく逃げたかった」
【松下さん】
「逃げてみてどうやった?」
【みるさん】
「変わらん…紛らせられるかなと思ったけど全然そんなことなかった」
【松下さん】
「みるちゃんの周りには、施設の人だけじゃなくて、もっといっぱい心配してくれる人が増えてきているわけやから。それは自分が生きていく上で増えてきた知り合いやし仲間やから、そこを裏切ったらだめや」
みるさんは何度もうなずきました。
20歳になったみるさんは、今年4月、再び一人暮らしを始めました。
仕事も、アルバイトから契約社員に変わりました。
家計管理がきちんとできるか不安を抱きながらも、一歩ずつ進んでいきます。
【みるさん】
「施設で育った人間やから、ろくに過ごせへんのやろなと思ってた。この先ずっと苦しみながら生きていくんやろうなって。『あの人よりめっちゃ頑張ってんのに、なんでみるに親おらんの?』って素朴に、ほんまに謎やなと思う。うらやましい通り越して疑問になってきて…親おるやつはチートやなと思ってるから」
「生きておきたいなって思わせてくれたのは社長かな。自分にとって存在が大きすぎて、感謝しても感謝しきれへん」
――Q:目標ってある?
「ない、ほんまにない。普通にもうなんか『平和に暮らせたらいいなあ』ってなってる、まじで。のんきに、平和が一番」
■「大学・専門学校卒」1割 調査で浮き彫りになった“ケアリーバー”の現状
施設や里親などの社会的養護から離れた“ケアリーバー”。
去年、厚労省が約2万人のケアリーバーに行ったアンケート調査では、最終学歴について「大学・専門学校を卒業」と答えた人は約1割。一方、「高校卒業」と答えた人は約5割と、2人に1人が大学や専門学校に進学できていないことが分かりました。
また金銭面においても、「収入より支出が多い」と答えた人が約2割と、困窮の現状も明らかになっています。
国は今後、「原則18歳まで」としている施設の年齢の上限を撤廃する方針ですが、これだけで問題が解決するわけではありません。
施設出所後の生活を見据えた新たな仕組みづくりが、今、必要とされています。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年5月10日放送)