岸和田の秋、街中を熱狂の渦に巻き込む「だんじり祭り」。
このために帰省する人も少なくないという、地元で心から愛されるお祭りです。
その歴史は300年以上。まさに岸和田の“伝統”といえます。
でも、脈々と受け継がれる伝統は、だんじり以外にも。
それが「武道」です。
2月のある朝、午前6時。竹刀の打ち合う音と剣士たちの掛け声が聞こえてきます。
厳かな空気の中で朝の稽古が行われているのは、岸和田城のすぐそばに作られた市民道場「心技館」。
小学生から80代まで、およそ130人の剣道部員が腕を磨きます。
この剣士たちが、岸和田のある伝説にちなんだ、新しいお祭りを作ろうとしているのです。
その伝説とは、「蛸地蔵伝説(たこじぞうでんせつ)」。
■岸和田城に伝わる「蛸地蔵伝説」
時は戦国時代。
羽柴秀吉が大坂を離れた隙に、紀州から根来・雑賀の軍勢が攻め込んで来ました。
多勢に無勢で岸和田城もあわや落城か…と思われたその時。
無数のタコを従えた法師が突如現れて、あっという間に敵を蹴散らしてしまったそう。
「あの法師は地蔵菩薩の化身に違いない」ということで、「蛸地蔵伝説」と呼ばれるようになりました。
■伝説を祭りに 剣士たちの挑戦
戦国時代の勇ましい伝説が残る岸和田城。
その城下町にふさわしい武道の繁栄を目指して、心技館は昭和36年に建造されました。
戦後のすさんだ若者たちの心を、武道の力で奮い立たせようとしたのです。
心技館でおよそ60年間剣道に励んできた、部長の松端孝元(まつのはな たかはる)さん。
剣士たちと一緒に、蛸地蔵伝説を再現する“祭り”を発案しました。
【松端さん】
「先人の思いをただつなぐというだけでなく、自分がここで育てられた、ありがたいという気持ちがある。育てられた恩を次につないで、武道の厳しさを伝えるという責任がある」
自分を育ててくれた「心技館」。一度も改修工事をされたことがなく、老朽化が進んでいます。
道場の存在と岸和田の武道の伝統を知ってもらうための、勝負をかけた“祭り”です。
■令和の岸和田城を舞台に開戦!
2022年4月に開催された「第66回岸和田市お城まつり」。
晴れ渡った岸和田城二の丸広場で、「実録岸和田合戦絵巻」の火ぶたが切って落とされます。
戦国時代の戦い「蛸地蔵伝説」を再現しようと集まったのは、地元中学の剣道部員たち。
「武士の命」の紙風船を頭につけて、割るか割られるかの真剣勝負が始まります。
「かかれー!!」の合図で、激しい戦いが始まりました。
根来・雑賀に扮する軍勢と岸和田軍に扮する軍勢が入り乱れて、一心不乱に目の前の相手と打ち合います。
一瞬でも気を抜くとあっという間にやられるので、よそ見はできません。
一進一退の譲らぬ戦いが続いて、とうとう決着は、両軍の大将が、一騎打ちして決めることになりました。
お互い手練れの強者同士、一瞬の隙も許されない…というその時、根来・雑賀の大将が、自らの刀で紙風船、武士の命を絶ってしまいました。
最後の最後で、目に見えないタコが岸和田の大将に助太刀したのでしょう。
岸和田の軍勢が勝どきをあげて、めでたく伝説と同じ結末で幕を閉じました。
大盛況で祭りを終え、ほっとした顔の松端さん。
もうすでに、来年を見据えています。
【松端さん】
「観客から『非常に良かった』と言ってもらえてうれしい。『こんなのがある』と噂になれば、どんどん応援もしていただけるのかなと。大いに応援していただいて盛り上げたい。『心技館』という道場を知っていただきたい」
このお祭りが、いつか岸和田の「春の風物詩」と呼ばれるように。
剣士たちは、これからも“伝統”を守り続けます。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年5月6日放送)