悲惨な事故から生き残った人たちの中には、その後、複雑な思いを抱えて生きてきた人が多くいます。
つらい記憶に向き合う生存者を支えた、「つながり」を取材しました。
■あの日の空をしおりに デザインは1両目に乗っていた女性
透き通った青い空が描かれた「空色の栞(しおり)」。
17年前の4月25日の空をイメージしています。
毎年、JR福知山線脱線事故の被害者や家族などによって配布されてきました。
このしおりのデザインを、10年以上担当し続ける人がいます。
事故当時、大阪芸術大学の3年生で、日本画などを学んでいた福田裕子さんです。
【福田さん】
「元々絵が好きでしたね」
――Q:事故がなかったら美術教師に?
「多分そういう方向に行ってたんじゃないかなと思いますね」
あの日、いつも通り大学へと向かうために乗った列車は、カーブを曲がり切れずマンションに激突しました。
福田さんが乗っていたのは1両目。駐車場に突っ込んで大破し、同じ車両で42人が命を失いました。
福田さんは重傷を負った状態で、およそ1時間半、車内に閉じ込められました。
【福田さん】
「窓の外を流れる景色のスピードがいつもより早かったんですね。窓ガラスもすごいビリビリいってて。ふわって急に体が浮いた感じがして、頭が真っ白になって、ここで死ぬのかって強く思いましたね」
■生き残った者の責任感じ…繰り返したスケッチ
事故のあと、福田さんは入院中から、あの日自分が見た光景のスケッチを繰り返しました。
【福田さん】
「亀裂が入ってて、車体が傾いてるからそこに血が集まってきていて。裂け目のところから下にポツポツと血が落ちているのが見えたんです」
記憶に刻まれた、同じ車両にいて息絶えた人たちの姿。
事故後しばらくの間、人物を描くことができなくなりました。
それでも、あの事故が一体どういうものだったのか、残さなくてはいけないという使命感が芽生えたといいます。
【福田さん】
「できるだけ元のイメージに近いものを残しておく必要があると思っていっぱい描いてたんですけど。なかなか思い出せなくて悔しい思いもしました。生き残った者としての責任というか、それくらいしかできないですからね」
■同じ列車に乗った友 お互いの存在が救いに
事故の記憶と向き合う中で、福田さんはある人とずっと付き合い続けています。
高校時代からの友人の木村仁美さん。福田さんと同じ車両に乗り、重傷を負いました。
あの日、駅のホームで偶然会った2人。
面接に行くため急いでいた木村さんは、福田さんに誘われ、快速列車に乗り込みました。
【福田さん】
「授業にギリギリだったので、私がちょっとでも先に出発するほうの電車に乗り換えるって言ったら、彼女も『じゃあ私もそっち乗るわ』って」
【木村さん】
「私もすごく急いでたから。面接遅れそうやったからね」
【福田さん】
「すまんなぁ」
【木村さん】
「正しい判断なのよ。だって面接遅れそうやったから、私」
犠牲になった人たちへの、ある感情にとらわれることもありました。
【福田さん】
「こんなつまらない生き物よりももっと活躍すべき人がいたのではないかっていう、そういう気持ちが時々浮かんでは消えることはありました」
生き残った人々が「自分だけが助かってよかったのか」と罪悪感に駆られる「サバイバーズギルト」。
福知山線脱線事故だけでなく、様々な事件・事故・災害の生存者が抱く感情で、PTSDにつながる恐れもあります。
そんな中で、取材にもしばしば応じ、思いや記憶を語ってきた2人。
お互いの存在が、救いとなっていました。
【福田さん】
「2人で話しているうちに、あぁ今私こんな気持ちだったんだなって再確認することもできましたし、同じ強さでキャッチボールができるというか。(ケガしたところ)めっちゃ痛くならへん?とか天気悪いとめっちゃ痛むやろ、とか」
【木村さん】
「同じようなことが起きた人生を歩んでますからね。この人生面倒くさいな、この人生大変やな、みたいな」
負傷者やその家族の集いにも、当初から2人で参加しています。
思いを共有できた友人に助けられてきたからこそ、当事者の集いの場が続くことの大切さを実感しています。
【福田さん】
「ひょっこり行きたくなったときに誰かがいる場所っていうのは、貴重なんじゃないかなって思います。私は話したいなと思ったときに話せる人が身近にいるんですけど」
【木村さん】
「私には福田がいるし福田には木村がいるけど、みんなには木村も福田もいない。それはしんどいやろうなって思いますね」
福田さんは保育関係の仕事につき、去年、娘が生まれました。
事故に対する向き合い方も変化してきたといいます。
【福田さん】
「前は忘れたらいけない、ずっと事故のことを考えておかないといけないと思っていたんですけど。忘れていくものがあるとしても、それは私の一部としてずっと残っていくものなんだよと自分に言い聞かせていく中で、だんだん気持ちが安心していったというか、忘れるわけではないんだなって」
■同じ事故や悲しい出来事が起こらないように
社会が事故を少しずつ忘れていったとしても、ほんのひととき、思いをはせてほしい。
あの日の空を描いたしおりに、その思いを込めます。
【福田さん】
「日常生活のちょっとした気の緩みで、事故とか事件って起こると思っているんです。ちょっとでもこういう事故があったってことを思い出していただくことで、最近ちょっと心に余裕がなかったかなとか、もうちょっと車を運転するとき気を付けてみようかなとか。しおりを見ることをきっかけに思い出してもらえたら、同じ事故とか悲しい出来事をちょっとは回避できるんじゃないかなと期待して続けています」
事故から17年を迎えた4月25日、2人は事故現場で営まれた追悼式に参列しました。
時間が過ぎ、風景が変わっても、この場所には特別な記憶があります。
【福田さん】
「あの日のあの時間にこの場所で起こったことっていうのが、自分の人生において一つの大きな出来事として記憶されているので、自分にとって今日はここで時間を過ごすことが自然なことだなって。(追悼式に)参加することができて、また1年無事に過ごすことができたんだなって思っています」
今日も多くの命を乗せて、列車は走っています。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年4月25日放送)