ある日突然、事件に巻き込まれ、被害者や遺族になったら…。
いつ誰に起きるかもしれないこの状況を生き抜いてきたある母親が、ほかの被害者を支える活動を続けて20年になりました。
家族を奪われた人々の“支え”とは…
寄り添う姿を取材しました。
■ある日突然”犯罪被害者”に…支え続け20年
毎月第3日曜日、大切な人を失った人たちが集まります。
「六甲友の会」は、兵庫県の犯罪被害者遺族で作る自助グループ。
亡くした家族や事件のことを当事者同士で語り合います。
【息子を殺害された堤敏さん】
「(裁判で検事が)早口で淡々と事務処理みたいにやられんのも嫌やで」
【「六甲友の会」世話人・高松由美子さん】
「こっちが選べたらね。この検事にお願いしますって、そんなんはできないから」
会の世話人を務める高松由美子さん(68)。
高松さんは、長男を事件で奪われた経験からこのグループを立ち上げ、20年間この会を続けてきました。
【高松由美子さん】
「会でよく言うのは、『笑顔に戻ってほしい』ということ。みんなが私たちの話を聞いて、『ここへ来てよかった。じゃあ、明日から私また1カ月頑張れる』っていうようになる場所になってほしい」
高松さんの長男・聡至さん(当時15歳)。
事件に巻き込まれたのは、家業の農業について学ぶため農業高校に入った直後、1997年の夏休みのことでした。
自宅近くの神社で、中学時代の同級生を含む少年10人に「生意気だ」などと言いがかりをつけられ、一方的に暴行を受けて亡くなりました。
20年以上たった今も、高松さんは聡至さんの部屋をそのまま残しています。
【高松由美子さん】
「この部屋は事件当時のまま。X-JAPANが好きで、カレンダーも変えずに、(事件のあった)7月・8月のまま」
聡至さんが子どもの時に、自宅の畑で撮った写真を見て、懐かしそうに振り返ります。
【高松由美子さん】
「聡至に『あんたはキャベツの中で生まれた子や』と(冗談で)言ったら、それでごっつ泣いて。『あんたキャベツから生まれてんで』って言ったら『嘘や、嘘や』って」
■経験した苦しみ…支えとなった”つながり”
当時、遺族は加害少年の処分を決める少年審判にまったく関わることができず、なぜ聡至さんの命が奪われたのか知ることはできませんでした。
【高松由美子さん】
「自分たちは法律に守られているもの…と思ってたら、全然、そうではないものなので、自分が何をしていいのか分からない。前も後ろも分からないし」
そんな中で高松さんにとって支えになったのは、当時ほとんど知られていなかった犯罪被害者の自助グループでした。
【高松由美子さん】
「アドバイスをしてもらったり、また食事もできない時に、『一緒に食べよう』って言ってくれたりして。温かく迎えてもらったことが、私にはこんなにも前に進めるんだ、生きてて良かった…と」
自助グループでのアドバイスを受け、高松さんは2000年に加害少年や保護者を相手取り民事裁判を起こします。
少年審判では許されなかった本人たちへの直接質問のためでした。
実現したこと自体は画期的だったものの、納得のいく答えを聞くことはできませんでした。
【高松由美子さん(2003年・民事裁判判決を前に)】
「『知りません、わかりません、覚えてません』そんな声が聞こえると、どうしてもまたそこで悔しい」
■静かに寄り添える場を…”犯罪被害者支援”の20年
こうした状況を変えたいと、全国犯罪被害者の会で活動を重ねた結果、少年審判を被害者遺族が傍聴できるようになったほか、裁判に被害者が参加できるようになりました。
そして2002年に高松さんは「六甲友の会」を創設。
加害者や制度と戦い続けないといけなかった遺族が、ありのままの気持ちを吐き出し受け止める場所にしました。
【参加していた女性】
「痛かったやろうなって…あれだけの暴行…」
誰も自分が「犯罪被害者」になると思っていませんでした。
【高松由美子さん】
「いろんな事件があります。交通事故もあるし、放火もあるし、少年事件もある。そういう経験した人と話するのが一番安心だと。『つらくても1人ではないよ。1人で耐えたらあかんよ、私たちがいるよ』というのが六甲友の会では言えるのかなと思って」
さらに高松さんは毎週のように全国各地に赴き、犯罪被害者遺族の支援などを続けてきました。
ことし2月には、情報提供を呼び掛けるビラ配りに参加しました。
19年前に神戸市須磨区で発生して、今も犯人が捕まっていない殺人事件についてです。
【高松由美子さん】
「情報提供をお願いします」
【妻を殺害された寺田さん】
「高松さんは最初の時からずっと来てもらっていて、寄り添いっていうんですかね。ふと気づいたら横にいてくれたというイメージがあるんで、ありがたいですね」
ことし1月、高松さんの自宅を訪れた夫婦がいます。
12年前に神戸市北区で殺害された堤将太さんの両親・敏さんと正子さんです。
去年、事件当時17歳の男(現在29歳)が逮捕され、裁判が始まるのを待っています。
【堤さんの父・敏さん】
「起訴が決まって…殺人罪で起訴になったからね。そこは心配しとってん」
【高松由美子さん】
「思いの丈を言わなあかん」
【堤さんの父・敏さん】
「思いの丈を言わなあかん」
裁判の実現をずっと待ち望んできた2人。
事件直後から寄り添ってきた高松さんには、複雑な胸の内を打ち明けます。
【堤さんの父・敏さん】
「(妻が)『犯人の顔見えるの?』って言うから、『そら向かい合うから、見えるよ』って言ったら、『嫌や』って…。にらみつけたったらええねん」
【高松由美子さん】
「でも最後の仕事やで、こんなん言うたらあれやけど」
【堤さんの母・正子さん】
「顔を見るのも…」
【堤さんの父・敏さん】
「鑑定留置が終わったぐらいから、寝られへん」
【高松由美子さん】
「私も裁判の頃、睡眠薬飲んでた。寝るんじゃなくて、横になるだけ。それでええやって」
話を聞き、支える…、それが自分自身の支えにもなっているといいます。
【高松由美子さん】
「(活動は)息子のためです。私は息子のため。もしかしたら供養になるん違うかな、と。そう思って、私はさだめのように、しんどいこともつらいこともあるけど、息子と一緒に戦っていると今もそう思っているし…」
高松さんはいまも自宅に聡至さんの遺骨の一部を残しています。
【高松由美子さん】
「聡至の骨です。これを撫でるんです。事件があったら『こんな事件あったけど、聡至君どうしよう?』って触れたら、すぐに会えないけど、(遺族に)2、3年後には会えるんです。それが不思議。だから、これがあるから私も支えられる。みんなに会える…」
4月17日、高松さんは六甲友の会の集会を開きました。
亡き息子と歩みながら、「支えの場」は21年目を迎えました。
(2022年4月18日放送)