■未来のパイロット 特別な人を乗せて
2021年の9月。
「楽しく旅行」…なんて気分になれなかった時に、賑わいを忘れた伊丹空港の物販店でアルバイトをする女性がいました。
【山本将子さん】
「ありがとうございます!」
山本将子さん、28歳。
パイロットを養成する航空大学校をこの半年前に卒業したばかりの“未来のパイロット”です。
航空会社に2022年入社することが決まっています。
大学校に通っていた時は、苦労もたくさんありました。
【山本将子さん】
「26人男子の中に私1人でした。女子の制服がなかったり、シャツはいまだに男性のものですし」
世界のパイロットのなかで、女性が占める割合は5.8%、日本国内では1.3%です(国際女性パイロット協会2021)。
圧倒的な“男社会”でも、将子さんにパイロットを目指すきっかけをくれた大切な人がいます。
■祖母がくれたきっかけ いつか自分が…
将子さん、この日はおばあちゃんとお出かけ、81歳の和子さんです。
8年前に2人で行ったハワイ旅行で、将子さんは和子さんの勧めで小型機の体験操縦をしました。
【山本将子さん】
「着陸した時の安心感だったり、ホッとした気持ちがあって、おばあちゃんに『ありがとう』って言ってもらえた時に、これを仕事にしたいなって思ったのがきっかけ。エアラインパイロットとしておばあちゃんを飛行機に乗せる夢がかなうのが一番の目標であり、楽しみで」
毎日のように一緒にいる2人。
かつては会社の経営にも携わり、いつでもパワフルな和子さんは、ずっと「憧れの存在」です。
【山本将子さん】
「よう食べてるやん」
【山本和子さん】
「よう食べてるやろ、今日は。まだスカイダイビングせんといかんかなと思って」
■内定通知の日に、祖母の「余命宣告」・・・決意
2021年8月25日、将子さんは航空会社から内定の通知を受けました。
同じ日、和子さんは余命9カ月と宣告されました。
突然体調を崩して受けた診断で、癌が体中に転移しているのが判明したのです。
【山本将子さん】
「受け入れられないというか、なんでちゃあちゃんがって気持ちもあって。今まで体調が悪かったようにも見えなかったし。もしかしたら、もっと気づいてあげたことが今までもあったのかもしれないとか、いろいろこう考えたんですけど・・・」
余命宣告に付き添っていた将子さんは帰り際、内定の報告を迷いながらしなくてはいけませんでした。
【山本将子さん】
「(和子さんは)自分の癌ということとか、余命のことだったりで頭がいっぱいで、『そうかそうか』って感じだったんですけど…夜中に急に電話がかかってきて、『さっきはおめでとうって言えんくてごめん』って、すごいテンションでかかってきて」
和子さんの夢も、将子さんがパイロットを務める飛行機で空を飛ぶことでした。
でも、パイロットになるためには、入社後に2年間の訓練が必要です。
【山本将子さん】
「おばあちゃんは自分の病状も考えた時に、『それは諦めるしかないな』って、ぼそっと言っていた。本当にそうなのか?と思った。おばあちゃんの希望に沿うようにするだけだなと思って、できる限りのことをしていこうという決心はできた」
和子さんの言葉を聞いて決意したのは、航空大学校で免許を取得している小型機に乗せて飛ぶことでした。
フライトコースを入念に確認。
そして、チケットも用意しました。
【山本将子さん】
「すごいシンプルなんですけど、これを明日おばあちゃんに渡そうと思います」
■2人の夢へ 大阪の空を舞う特別なフライト
命を預かる操縦士として迎えるフライト。
神戸空港へと向かいます。
【山本将子さん】
「緊張するよ~、乗せなあかんねんもん」
【山本和子さん】
「この子が操縦でフライトが一番、それが夢やったからね」
【山本将子さん】
「今はもう本物やからな」
【山本和子さん】
「本物やからな。こういう機会をこの子が一生懸命してくれて(現実に)なったっていうのがありがたい。そういうのはできないと思ってたから」
【山本将子さん】
「チケットを用意したので、はい」
2人の長年の夢が現実となります。
いよいよ訪れた、祖母を乗せてのフライトの瞬間。
緊張する将子さん、そして和子さんを乗せた飛行機は大空へ…。
【山本和子さん】
「将子、じいが生きとったら新潟出張、毎回こないしていくんちゃうか」
【山本将子さん】
「困るわ」
【山本和子さん】
「将子、今度いついつ出張やぞ~言うて」
はしゃぐおばあちゃん。
およそ1時間のフライト。
和子さんが住む大阪の空を舞いました。
【山本将子さん】
「降りた時は、『はあ、よかった!、無事に降りられてよかった』がます最初でした」
【山本和子さん】
「感動です! 気分も悪くなかったし」
■容体悪化で入院 大阪を離れる日が・・・
その3日後。
ひどいめまいに襲われた和子さんは、自力で動くことができなくなり、そのまま入院。
将子さんが大阪を離れ、航空会社に入社するまで2か月、面会が制限されるなか、できる限り闘病に寄り添います。
【山本将子さん】
「何もしてあげられないのが悲しくなるって、こういうことなんや…と。実際、ちょっとずつ現実になってると感じる。本当にお話するぐらいしかないし、ずっと一緒に居てあげるしかないのかなって」
その後、容体が安定した和子さんは老人ホームに。
1月8日、将子さんが旅立つ日がやってきました。
これからは、今までのように「いつも」一緒にいることはできなくなります。
【山本将子さん】
「ちゃあちゃん?」
【山本和子さん】
「いよいよ出発やな。制服見せて」
【山本将子さん】
「制服じゃないこれ。スーツ! ここから外見えるやろ」
【山本和子さん】
「うん」
【山本将子さん】
「飛行機飛ばないのかな、ここ」
【山本和子さん】
「飛んだらええのにな」
【山本将子さん】
「見えるのにな」
【山本和子さん】
「あれに頼み」
【山本将子さん】
「アレクサ??に何て?」
【山本和子さん】
「飛行機とばせいって、なんでもできるんやろって」
【山本将子さん】
「いってらっしゃいって言って」
【山本和子さん】
「いってらっしゃい!頑張ってね!ファイティング!ファイティング!」
■未来のパイロット 大切な人を乗せて、いつかまた一緒に
【山本将子さん】
「あれ楽しかったとか、本当はもっと大きな飛行機に乗りたいっていつも言うので。想像以上に元気で「頑張れ!」って言っていたんで、大丈夫やと思います」
どんな時も心から応援してくれる。
どんな時も寄り添ってくれる。
また一緒に空を飛ぶ。
2人はそう願っています。