1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災直後の神戸で生まれた歌、「しあわせ運べるように」。
作者である音楽教師は、去年定年退職しましたが、教師を目指す学生を指導する道を歩んでいます。
震災から27年。伝え続けることを選んだ者の思いを取材しました。
■27年歌い継がれる 作者は元小学校教師
【しあわせ運べるように】
「響き渡れ僕たちの歌 生まれ変わる神戸の街に 届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように」
ことしも被災地に響いた「しあわせ運べるように」。阪神淡路大震災への祈りを込めて、そして震災を伝えるために歌い継がれてきました。
この歌の作者で小学校の音楽教師だった臼井真さん(61)。
【臼井真さん】
「木っ端みじんになったような、絶望感という感じでした」
神戸市東灘区にあった臼井さんの自宅は全壊。小学校は避難所となり、臼井さんも避難所運営の仕事が続きました。
【臼井真さん】
「精神的におかしくなりそうだったんですよ。避難している方、今までやったことのない避難所の中で待ち受けているものとか、自分の今の精神的な重さの中で本当に苦しかった」
目の当たりにした神戸の姿から衝動的に書き記した言葉が「しあわせ運べるように」となり、震災から1カ月後に避難所で初めて歌われました。
【臼井真さん】
「弱い心になっている自分に、亡くなった方の分も前を向いて生きていかなければという誓いでもあり、これを歌う子供にもそう思ってほしいし、聞いた人に子どもが持つ小さな幸せも届いて欲しいと。作った瞬間に思っていたことなんですね」
神戸で生まれた歌は、宮城県や熊本県など、津波や豪雨の被害を受けた全国の被災地でも歌われるようになりました。
震災の経験や被災地との交流から感じた「命の大切さ」や「生きる希望」を、臼井さんは多くの子どもたちに伝え続けてきました。
■教師になった教え子 子供たちに語る震災
教え子の1人、藤原龍太郎さん(33)。6歳の時に被災し、小学校で3年間、臼井さんから学びました。
今は小学校の教師をしています。
【藤原龍太郎さん】
「地震が起きて先生の家は崩れて全壊。屋根から何から、ぐしゃりとなった。隣で寝ていたお父さんが支えていた。だって命がかかっているから。命って大切なんだなと、当たり前が当たり前じゃなくなる地震が神戸でもあったことを知って、日々過ごしていってほしいなと先生は思います」
藤原さんが臼井さんから学んだように、子供たちも藤原さんの話から思いを感じ取っていました。
【児童】
「自分の命は自分で守って、余裕があったら人を助けたい」
「生きていることが当たり前じゃないから毎日を大切に生きていきたい」
■定年後も大学の教壇に 次世代に伝え続ける
去年3月に小学校を定年退職した臼井さん。今は、大学の准教授として教師を目指す学生に自身の経験を伝えています。
震災を経験しているかだけではなく、当時の想いに心を寄せられるか。臼井さんは「胸の痛み」や「想い」を伝えるために教壇に立ち続けます。
【臼井真さん】
「長年の月日の中で、若い先生には行きわたらないところもあって。我々の世代もやめていくので、話を聞いたみなさんが先生になった時に、たくさんの生きたくても生きられなかった人が命を落とした日であるということを、そういう思いを、日を迎えないといけませんと。作者が言っていたと次の時代も伝えてほしいなと思います」
あの日に想いを寄せて。子どもたちが歌いつないでいきます。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年1月17日放送)