パラアイスホッケーにかける16歳の高校生 事故で脊髄損傷も再び氷上へ…日本代表の「主軸」に 母と共に目指した北京パラリンピック 2022年01月19日
「氷上の格闘技」ともいわれるパラアイスホッケー。平均年齢が35歳を超える日本代表チームの中で、中心選手として活躍する高校生が東大阪市にいます。
母と目指した、北京パラリンピック、その軌跡を追いました。
■パラアイスホッケー 躍動する16歳の日本代表
伊藤樹(いとう いつき)さん、16歳。小さい頃からの憧れの舞台に手が届くところまで、ようやく来ました。
足に障害がある人がスレッジと呼ばれるそりに乗り、スティックを両手に持って行う「パラアイスホッケー」。
去年9月、北京パラリンピックへの出場権をかけた戦いを控え、日本代表チームの合宿が行われました。
【信田憲司監督】
「本当に、自分たちの1つ1つの瞬間をどうやってやるか自分で考えてください、これから北京までそういう時間を過ごさないと、自分たちの目標を達成できない」
■母と目指す大舞台
樹さんは、東大阪市で母親の紅子さんと暮らしています。
【母 紅子さん】
「毎朝、いってらっしゃいって、(『いってきます』を)言ってくれるまで叫んでいるんです」
【樹さん】
「うるさいからやめてくれない?」
【母 紅子さん】
「いってきますくらいね、これが最後のあいさつになるかもしれないのに、いつ何があるかわからないのに」
■事故で脊髄損傷…でも再び氷上に
幼稚園の頃にアイスホッケーを始めた樹さん。小学3年生の時、車で練習に向かう途中、センターラインをはみ出してきた対向車と衝突し、運転していた紅子さんとともに、集中治療室がある病院に運ばれました。
樹さんは、脊髄を損傷し、下半身が動かなくなりました。
【樹さん】
「ホッケーどうする?足じゃなくて手だったら良かったのに」
あの日から、見える景色が、変わりました。そんな中、前を向くきっかけをくれたのが、パラアイスホッケーでした。
自信があったホッケー。しかし、これまでと違い、なかなかうまく滑ることができません。それでも、何度も、何度も、起き上がりました。
【日本代表・熊谷選手】
「もう結構滑れるの?」
【樹さん(当時9)】
「うん滑れる。ブレーキもできる。日本代表よりも、もっとうまくなりたい」
あの日の事故で紅子さんも右足を粉砕骨折するなどの大けがをしました。手術は5回に及び、一時的に車いすを使って生活することもありました。
【母・紅子さん】
「毎日痛いです、痛くない日なんかないですよ。今は立てないので、不便です。でもどうにか工夫してやっている」
大事故を経験しても、樹さんの練習は、できる限り紅子さんが車で送り迎えをしています。
【母・紅子さん】
――Q:運転するのは怖くないですか?
「ドキドキしていますよ、毎回」
――Q:どうしてそこまでできるんですか?
「行きたい、やりたいっていうからやらせたい」
樹さんの夢が、紅子さんの夢になりました。
■過酷な練習でも…前を向き続けて
中学1年生の時には、初めて日本代表の合宿に参加します。ケガの影響で下半身だけでなく腹筋もうまく使えない樹さん。
その障害は代表の中でも最も重い部類で、過酷な練習についていくのがやっとでした。それでも、前を、向き続けました。
【樹さん(当時13)】
「日本代表はめちゃめちゃうまいから、いけるところの限界がある、(自分みたいな)下手くそは伸びシロがあるからよく伸びる」
日常に欠かせないものになったホッケー。仲間も、樹さんに勉強を教えたりしながら、成長をやさしく見守ります。
【樹さん(当時13)】
「事故がなければホッケーにも出会わなかったし、仲間たちとも一緒に話したりプレーすることはおもしろい。世界と戦って勝てるようなチーム、選手になりたい。そこから積み重ねて(パラリンピックで)金メダルをとりたい」
少しでも早くトップ選手たちに追い付こうと、普段の練習以外にも、健常者のチームに交じるなど、自ら練習時間を確保し、テクニックを磨いてきました。そしてコロナの影響で思うようにリンクが使えない時も、人一倍努力を積み重ねてきました。
そして、日本代表の中心選手となった樹さん。
練習が終わった後、樹さんの部屋には多くの仲間が集まります。代表としては先輩にもなり、教えてもらう存在から、教える存在になりました。
■年齢制限で…見守るしかない「北京五輪」
しかし…。
【樹さん】
「ルール改正があって、(チームが)IPCに、樹の年齢で出場できませんかって申請したけど、その返事が来てない。だからごめんって謝られた」
パラリンピックの出場権をかけた予選には出られないことが分かったのです。「選手は試合が行われる年(2021年)の1月1日時点で16歳以上」という規定があり、樹さんはその時点では、15歳だったからです。
それでも、仲間たちが出場権を獲得できれば、ことし開かれる北京パラリンピックには出られるため、代表の練習には、参加し続けました。
【樹さん】
「自分は何もできないかもしれないけど、試合では結果を出せないかもしれないけど、ほかのところで貢献できればなって思う」
予選を前に、パラアイスホッケーを多くの人に知ってもらうため、開かれた体験会。障害がない子どもたちも多く参加しました。樹さんも、子どもたちに指導します。
【樹さん】
「お兄さんの方にパック出せる?お~いいね」
パラアイスホッケーを通して、樹さんは、大きく成長しました。
【母・紅子さん】
「あの笑顔は私には向けてくれないんです」
■日本代表はパラリンピック出場かなわず…次を目指して
そしてパラリンピックの出場権をかけた予選初日。夢は仲間に託し、樹さんはテレビで見守りました。
日本は、格上のノルウェー相手に、一進一退の攻防を繰り広げましたが、惜しくも敗退。その後も日本は予選に全敗し、パラリンピック出場はかないませんでした。
【樹さん】
「北京行きたかったな。みんなうまいよ、世界はうまいやつばっかりだ」
敗退が決まった後、樹さんと、母親の紅子さんの2人が向かった先はリンクでした。
【母・紅子さん】
「自分で勝ち取るって言っていました。最終予選も出ていないし、次の出場権は全部勝って自分でとるって言っていました。6年あっという間だったから、2年なんて一瞬かもしれないですよ」
2人で目指す夢の舞台。これからも、その道のりを、歩んでいきます。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年1月19日放送)