東京オリンピック開幕の1週間前。ウガンダから来日していた重量挙げのジュリアス・セチトレコ選手が、「日本で仕事がしたい」というメモを残し、合宿先の大阪府泉佐野市のホテルから逃走しました。
逃走から4日後に三重県内で保護されましたが、なぜ逃走したのか、真相は語られぬまま帰国の途に。
あれから5か月、ウガンダに戻ったセチトレコ選手が語ったのは「日本に戻りたい」という言葉でした。
■ウガンダの生活は厳しすぎる…語った逃走理由
【セチトレコ選手】
「(帰国後)何も知らされずに拘置所に入れられてしまった。6日後に犯罪者ではないと解放された」
帰国後、関係者と共謀してウガンダを出国した疑いで逮捕されたというセチトレコ選手。逃走の引き金になったのは、来日後に世界ランキングが下がり、オリンピックに出られなくなったことでした。
――Q:どうして誰にも言わずに大阪のホテルから逃げたんですか。
【セチトレコ選手】
「オリンピックに出たら家族を養えるかもしれないし、ウガンダに戻ってきたらビジネスもできるかもしれない。それができなくなったので、逃げようと思った。とにかくウガンダでの生活は厳しすぎます」
■「ぜひとも日本に戻りたい」仕事もなく競技もできず
12月、第一子が産まれたセチトレコ選手。大切な家族を養うために仕事をしようとしていますが、いまだ見つかっていません。自分では家賃すら払えず、競技もできない状況です。
【セチトレコ選手】
「ほかの国ではアスリートに対してお金をあげたりしていますが、ウガンダは貧しい国なので、そういったことが叶いません」
リスクを冒してでも日本に残ることにこだわったのは、家族を支えるため、そして競技を続けるためでした。
【セチトレコ選手】
「日本人は手厚く面倒を見てくれて…ぜひとも日本戻りたい」
■選手団内でコロナ感染判明…ホテルに届いた誹謗中傷
一方、ウガンダ選手団が宿泊した泉佐野市のホテル「ホテルニューユタカ」は、別の問題にも直面しました。選手団の1人の新型コロナ感染が判明し、濃厚接触者となった残る8人の「隔離施設」としての対応を迫られたのです。
【ホテルニューユタカ 西隆代表取締役】
「えっ、と思いましたね。(来日は)嬉しい反面、気を使う方が多かったです」
滞在中も選手1人の陽性が判明し、部屋での隔離は2週間続きました。その頃ホテルには、誹謗・中傷の電話やメールが1日20件ほど届いていたといいます。
【ホテルへの電話】
「ホテルの近くを通るとコロナにかかるやないか」
【ホテルへのメール】
「今回はガチで爆破します」
【西代表取締役】
「なんて卑怯なことするんだと。正面切って言えないんかと。一方的なメールは遺憾に思います」
■ウガンダ選手団 地域と唯一の交流は地元の子供たちと
外部との接触を禁止された選手たち。そんな中でも、ホテルから唯一できた地域との交流がありました。近くにあるこども園の園児たちが、ホテルに向かって手を振りながら応援してくれたのです。
【なかよしこども園 中村谷淳子園長】
「時間合わせて選手たちに、(ホテルの窓の近くに)来てもらって、がんばれということで応援しました。(子どもたちは)地球儀を見たり、旗に色塗ったり。親しみ持ってくれたと思います。(子供たち)喜んでいましたよ」
次々と起きた非日常に向き合ってきたホテルの代表は、「後悔はない」と話します。
【西代表取締役】
「選手団から頂いた木彫りのお土産です。おもてなしいただいた感謝の気持ちだと。オリンピックという一大イベントに参加して色々ありましたけれど、選手団には責任はないので。あと何年かたってみればよかったかなと」
(関西テレビ「報道ランナー」2021年12月27日放送)