プロサッカーリーグのJリーグには、全国にJ1からJ3まで、あわせて57ものチームがありますが、まだ7つの県ではチームがありません。
そのうちの1つ、滋賀県に初のJリーグチームを作ろうと奮闘する、元Jリーガー・村田和哉さんの挑戦を追いました。
滋賀県守山市のグラウンドで子供たちにサッカーを教えているのは、村田和哉さん、32歳。
ここ、守山市で生まれ育った元Jリーガーです。
村田さんは、滋賀県有数の強豪校、野洲高校で全国優勝を果たし、大学でも日本一に輝いた後、セレッソ大阪に入団。
その後、清水エスパルスなど、合わせて5チームを渡り歩き、今年、10年の現役生活にピリオドを打ちました。
村田さんは今、「故郷の滋賀県に初のJリーグチームを作る」という大きな夢に向かって、歩き出したところです。
村田さんは現役時代から、引退後を見据えて家族と話し合い、準備を進めていました。
【村田和哉さん】
「2016年ぐらいから、構想は僕らの中でもあったから。それじゃないと12月(シーズンオフ)、海外旅行とか行くじゃないですか、普通。ずっと滋賀県に缶詰やったから」
【妻 愛さん】
「そやね、本当行かへんかったね。やっぱり現役のうちに、影響力あるうちに滋賀県に還元してほしいっていうのがすごくあったので、『オフはもうどんどん行きましょう』っていう感じでした」
■引退直後に会社設立 共感した学生たちも協力
同じ滋賀県出身の妻・愛さんの強力なバックアップもあり、引退後まもない今年2月に、「人生最幸」と名付けた会社を設立しました。
村田さんの下には、志に共感した学生たちが集まってきています。
【大学生 安原宏起さん】
「僕自身も滋賀県にJリーグチームを作るっていう夢、思いがありまして、熱弁させてもらったんです。そうしたら『1回会おう』って言ってもらって、オフシーズンの時とかに」
【大学生 石原蓮さん】
「(中学生の頃)野洲高校のグラウンド借りて僕が練習させてもらってる時があって、その時ちょうど和哉さんがオフシーズンで帰ってこられてて、『一緒にサッカーしようや』みたいな感じのノリで話し掛けてきてくださって、守山の地でもう一度お会いするっていうご縁を頂いて、本当に感謝してます」
■サッカースクールを開校 指導は「褒める」スタイル
彼らの協力を得て、今年6月には、子どもたち対象のサッカースクールを開校しました。
練習では、滋賀県の特産品や観光スポットなどの写真を使って、子どもたちの郷土愛を育む試みも。
【村田和哉さん】「(写真を見せて)これは?」
【参加した小学生】「守山メロン」
【村田和哉さん】「お、知ってる。守山メロンや、これ」
【村田和哉】「ドリブル、ドリブル。日本一の湖。湖どこ、日本一やぞ」
【村田和哉さん】「切り返しがいいね」「最高! 120点!」
指導は、子どもたちの良いところを積極的に褒め、自信を引き出すスタイルです。
【参加した小学生】
――Q:村田コーチはどんな人?
「優しいし、精一杯教えてくれる」
「失敗してもやればできるっていうのをコーチに教えてもらったので、これからも続けたいと思います」
この日も練習の予定でしたが、あいにくの雨。
しかし、中止するわけではありません。
子どもたちがヒーローインタビューを体験する内容に急遽変更しました。
聞き手は、実際にJリーグなどでインタビュアーとして活動している、フリーアナウンサーの森田みきさんです。
【森田みきさん】
「きょうのヒーローインタビューは、未来スタジアム・赤渕選手です」
「見事、ワールドカップで優勝しました。今のお気持ち聞かせてください」
【参加した小学生】
「全国民のみんなに恩返ししたいなという気持ちでやりました」
【森田みきさん】
「将来の夢を聞かせてください」
【参加した小学生】
「『イナズマイレブン』のシュートを打つことです」
村田さんが子どもたちの育成に力を入れるのは、目指す道のりが簡単なものではないからです。
【村田和哉さん】
「サッカーだけ上手くなればいいっていう問題じゃないんで、その中で将来をイメージさせる、想像させる、自分の未来をワクワクする、そういうものを作ってほしいなと」
■企業訪問に、市長への協力要請…一歩ずつ夢へ
新しいチームはまず滋賀県リーグからスタートし、関西リーグ、JFLと一歩ずつ階段を上っていかなければならず、最短でも10年近く掛かります。
壮大な目標を見据え、将来の選手たちを育てるとともに、企業へもアプローチして土台作りに取り組んでいます。
サッカーボールなどで国内トップシェアを誇るメーカー「モルテン」を訪れ、スポーツを通じた地域の活性化を目指して、協力を呼び掛けます。
さらには、夢の実現に向けて、地元・守山市のトップとも、積極的にコミュニケーションを取ります。
【村田和哉さん】
「将来的にはコミュニティチームであったりとか、それはずっと僕が思い描いていたことなので、その足掛かりとして、チーム名を公募っていう形で、色んな方に応募していただいて、その中で決めていきたいなって思ってます」
【滋賀県守山市 宮本和宏市長】
「楽しみですね。うち何か手伝えないですか?」
【市職員】
「ホームページに上げるのはできますよ」
【滋賀県守山市 宮本和宏市長】
「広報も載せられるなら載せたら」
この場で、チーム名公募の告知を、市が広報することが決まりました。
【滋賀県守山市 宮本和宏市長】
「大きなうねりになる可能性があるなと思ってまして、そういった意味で我々も応援したいですし、期待もしています」
■高校の同級生も協力 広がる仲間の輪
故郷で着々と根を広げていく村田さんに、さらに力強い同志が。
【村田和哉さん】
「高校の同級生なんですよ。農家で頑張ってるんで」
【中道農園 本郷浩貴さん】
「ある日ラジオ聞いてると、『村田和哉』っていう名前が聞こえてきて、聞いたことある名前やなって思ってたら、まさかの同級生やって、『ぜひちょっと協力させてよ』みたいな感じで連絡させてもらったとこやな」
チーム名を応募してくれた人に抽選でプレゼントする賞品として、本郷さんが働く農園の米を提供してもらいました。
【中道農園 本郷浩貴さん】
「『村田に負けないように』とかじゃなくって『村田がやりたいことに協力できることないかな、その代わり僕がやりたいことに対して、何か協力してもらえないかな』みたいな持ちつ持たれつが、友達の間でできるっていうのが、僕は非常に生きてて楽しいですね」
活躍する分野は違えど、夢を共有できる仲間の輪が広がっています。
■自分の「原点」グラウンドから始まる挑戦
村田さんが、サッカースクールを開いているグラウンド。
自分の「原点」だと語る、思い出の場所です。
【村田和哉さん】
「一番最初に井原さんと会った場所ですね。井原正巳さんに」
滋賀県出身で、Jリーグ草創期を支えた元日本代表の井原正巳さんにここで出会い、村田さんはプロサッカー選手を目指しました。
【村田和哉さん】
「実際に身近に感じたことによって、『あ、俺も(プロに)なれるかも』みたいな、そういう思いにさせてくれたのが井原選手だったから。海外移籍しようとした時も挫折とかもあったんですけど、その時もここに帰ってきて、1人であっちのグラウンドで泣きながら練習してた時もあった。本当にあの隅っこで線引きながらボール1個でやったりしてたんで」
村田さんは今、自分の夢が始まったグラウンドで、子供たちと一緒に、新たな夢を追い掛けています。
【村田和哉さん】(子どもたちに)
「サッカー選手になりたいとか思ってるでしょ。それと同じように俺だって夢がある。みんながどれだけ努力して、夢を諦めないか。それがすごく大事」