みなさん、殺人や強盗など重大な事件の裁判で「責任能力」という言葉を聞いたことはないでしょうか。
大阪府吹田市で、男が交番を襲撃した事件の裁判ではこの「責任能力」が大きな争点となりました。
事件が起きたのは2年前の6月。
大阪府吹田市の交番で、男が警察官を包丁で刺し、拳銃を奪って逃走しました。
襲われた警察官は、包丁が肺を貫通する重傷。
そして事件から一夜が明けた翌日、男は山の中で逮捕されました。
殺人未遂などの罪で逮捕・起訴されたのは、飯森裕次郎被告(当時33歳)。
発見時、警察官に「拳銃はどこにあるのか」と聞かれた際、こう答えたそうです。
飯森被告 「俺が殺したいやつ、全員殺したら教えてやる」
その後、調べを進めると、この事件の概要が徐々に分かってきます。
飯森被告は重度の統合失調症を患っていて、犯行前後も精神疾患の影響を大きく受けていたのです。
先月から始まった裁判員裁判では、犯行時、飯森被告に「責任能力」が残されていたのかが、唯一の争点となりました。
刑法39条に記載のある「責任主義」の考え方。
その内容を簡単に表現すると、精神障害などの影響で「やっていいこと悪いこと」の判断ができない状態だった人(=責任能力が無かった、もしくは低下していた人)は、その刑を軽くする、もしくは無罪…というものです。
飯森被告の法廷での発言からは、かなり重い精神疾患の影響が感じられました。
例えば、なぜ交番を襲撃したのかについては…
飯森被告
「警察は10歳頃の自分をバラバラにしたり、ひどいことをするから殺せと、幻聴に出てくる知人に命令された」
と話したり、日頃の生活の中でも…
飯森被告「心の中の“せいれいさん”に常に指示されて行動していて、従うしかない」
などと話すなど、理解しがたい内容の証言が続きました。
しかし、検察側は精神疾患の大きな影響を受けていたことは認めつつも、なお正常な精神機能は残っていた、と主張。
その根拠として…
・犯行前にウソの110番通報をして交番の人員を手薄にしようとしていること
・犯行後に服を着替えて、逃走していること
など、合理的な行動をとれていることを指摘し、懲役13年を求刑しました。
対して弁護側は…
東京に住んでいた飯森被告が、大阪に来た理由が
「自分に対しひどいことをしてくる有名人が、大阪にいるから殺してこい」という幻覚・幻聴の指示に従ったものであり、根本に大きな精神疾患の影響を受けていて、その過程で行った行動も自分の意思で行ったとまでは言えないと説明しました。
そして、きょうの判決で裁判所が下した判断は…
裁判長
「被告人を懲役12年に処す」
裁判長
「統合失調症の影響を大きく受けていたことに疑いはない。しかし、犯行前や犯行後に合理的な行動をとっていて
自分の犯行の意味は理解していた。全く責任能力を欠いていたとは言えない」
法律上、刑が軽減される限定責任能力であったことは認めつつも、なお正常な精神状態は残されていたと裁判所は判断しました。
罪になる行動は間違いなく行ったのに刑が軽くなる、また、無罪になる。
一体なぜ「責任主義」の考え方は存在するのでしょうか。
京都大学で「責任主義」の研究をしている安田拓人教授はその理由について…
安田教授
「例えば、ピストル突き付けられて、俺の言うとおりにしろと言われ、そのまま強盗したとしたら、その人は無罪のはず。従わなければ殺されるわけですから」
「それは責任がない、ということで無罪になるはずです。それを統合失調症の病気に置き換えると、それぐらいの支配力を病気の影響力が持っていたとしたら、それはピストル突き付けられた時と同じように、どうしようもなかったんだ、というように無罪判決が出ないとおかしいのではないか」
そのうえで、このような考え方が一般市民に理解を得られると思うか聞くと…
安田教授
「何か一つでもそうだよね、と思い当たるところを見つけていただけたら、納得がいくのかなとも思うのですが、なかなかしかし、そこは感情的な反発もあって難しいところであることはよく、承知しているつもり」
では、精神疾患と犯罪の因果関係については、どう考えればよいのでしょうか。
「やまと精神医療センター」では、精神障害が原因で罪を犯した人が治療を行っています。
Q 精神疾患によって、物事の善悪が判断できないってあり得る?
井上眞医師
「大きな妄想、命令してくるような声、かなり頻繁にひどい場合にそれを避けるため、もしくはそれに従うために普段では考えられないような行動をしてしまうことはあり得る。
もちろん全く(善悪が)分かっていないわけではない人も多いと思うがそういう声に逆らえないということはある」
一方で罪を犯した精神障害者を治療し、退院させていくことについては…
井上眞医師
「正解が無いというか、どの治療方法も長短ある中で、どの方法で行くのかについてはデメリットの大きさと(再犯が)起こったときの重大さは考える」
「自分であり、看護師や心理士、ケースワーカーとくりかえし話の中で、ここまで行けば、もう一回ああいうことは しないよね、ということを確かめる必要があるし、葛藤無いとは言いません、 退院してからそういうことが無いか、気になりますね」
法学や精神医学の世界で、刑法39条や「責任主義」の考え方が必要とされる理由はわかりました。
しかし、それでも、やりきれない感情を抱く遺族の女性がいます。
兵庫県明石市で割烹料理店を営む曽我部とし子さん。
20年以上前、長男の雅生(まさお)さん(当時24)が突然、見知らぬ男に路上で刺され亡くなりました。
男は精神疾患を患っていて、逮捕された後、不起訴に。
裁判すら開かれず、月日が流れてきました。
曽我部とし子さん
「刺した感覚とかはわかっているはず、良し悪しはわからなくても、人を殺してしまったという感覚は残っているはず」
「司法の場で雅生が生きた24年というものの価値というのをこの子はこういうひとりの、名もない青年だけど、 その青年が生きた道というものを、知ってもらいたかったというのが私の気持ち」
Q:専門家などが説明する「責任主義」の考え方については?
曽我部とし子さん
「いろんな意見があっていいと思う、その中から、あちいったりこっち行ったりしながら、『これがええんちゃうか?』
って言いながら、世の中の人が知恵を出し合って、悩んで、決めていくということも大事なことじゃないかと思います」
「被害者に会うと、みんな言いはるんです。被害者感情は100人いれば100人別だけど、同じことは一つ。自分がなると思っていなかった、って」
犯罪と責任能力と刑罰。
法学者も、精神科医も、当事者も、みんな悩みを抱えながら考え、向き合っています。
(2021年8月10日 報道ランナー放送)