附属池田小学校事件から20年…「意識が低かったと言わざるを得ない」 当時6年生の担任だった校長の反省と使命感 そして遺族の願い 2021年06月07日
児童8人の尊い命が奪われた、大阪教育大学附属池田小学校事件から6月8日で20年です。
事件は「学校の安全」を見直すきっかけとなりました。
受け継がれる教訓と、遺族の願いを取材しました。
■「奥に行ったぞ!」「救急車呼びます!」刃物を持って侵入した不審者に対応する訓練
5月下旬、大阪教育大学附属池田小学校で、不審者対応訓練が行われました。
怒声が聞こえ、声の方向に教師が走っていきます。
突然不審者と遭遇。
【訓練の様子】
「奥に行ったぞー!奥に行ったぞー!」
教師が大声を上げます。
手に「サスマタ」を持った複数の教師が集まり、不審者を追い詰めました。
別の教師たちが次の行動に移ります。
【訓練の様子】
「救急車呼びます、呼びます!」
「AEDが余ってる場所どこですか!」
「本部に連絡ください!」
「しっかり!」
これは、刃物を持って侵入した不審者に、対応する訓練。
一瞬での判断が求められる状況に、教師たちの緊張感がありました。
附属池田小学校では年に5回、不審者対応訓練を行っています。
訓練後の反省会では…
【参加した教師】
「(不審者を)行かせてはいけないと思って、本当はやってはいけないけれども道具がない状態で、動きだけでも止めて落ち着かせようと思ったが、切りつけられてしまった」
【附属池田小学校・眞田巧校長】
「もし何か起きた時に我々がけがをすると子供を守れない。けがせずに子供から犯人を遠ざけて自分の命を守るか想像してもらえれば」
激しい訓練を続ける教師たち。
小学校に受け継がれる強い意志の背景には、20年前の反省と教訓がありました。
■「意識は低かったと言わざるを得ない」当時6年生の担任だった校長の反省
2001年6月8日。
開いていた小学校の通用門から、刃物を持った1人の男が校内へ侵入 。
休み時間だった1年生と2年生の教室で児童を次々に切りつけました。
児童8人の命が奪われ、15人の児童と教師が負傷。
当時の映像には、男が乗り捨てた車と、開いたままの通用門が映っています。
「もし門が閉まっていたら乗り越えてまで入ろうと思わなかった」
裁判で、男はこう話しています。
眞田巧校長は、事件当時、6年生の担任でした。
【眞田校長】
「当時は外部からの侵入をしっかり考えられていませんでした。だからこそ門も開け放たれたままでしたし。意識は低かったと言わざるを得ない」
事件の1年半前には京都市で、小学校に侵入してきた男が児童を殺害する事件が起きていました。
しかし、附属池田小学校はその教訓を活かすことができていませんでした。
事件後、学校には防犯カメラや非常ブザーなどの設備が強化されました。
また、学校では「安全科」という特別な授業を全学年で導入しています。
通学路の安全、災害の対応など、様々なテーマで「安全」について児童に考えさせるプログラムです。
【眞田校長】
「教訓を伝えるということがベースにはあるのですが、学校の安全を考える上で、アンテナを張って、どういうことが求められているか…事件があった学校なので、いろんな所に示していかないといけないという、使命・責任もあります」
■7歳の娘を亡くした遺族「悔いが残る」…公的な報告書を作らなかった学校
遺族もまた、「学校の安全」と向き合い続けてきました。
酒井肇さんは2年生だった、娘の麻希さん(当時7歳)を事件で亡くしました。
【酒井肇さん】
「20年間、脇見もせず、学校の安全についてもずっと突っ走ってきた感じがありますね。愛する娘への気持ち。私たち夫婦を20年間突き動かしてきたものだと思います」
学校の備えで事件の被害を抑えられたかもしれないと、悔やまれる部分もあります。
侵入した男と中庭ですれ違った教師は、軽く会釈をしただけ。
教室にいた教師は、通報のために部屋を離れ、児童の避難誘導ができませんでした。
しかし学校は、外部の専門家による調査や公的な報告書づくりをしませんでした。
あるのは、教師たちへの聞き取りを内部的にまとめた資料で、公開して社会的に共有できるものではありません。
学校は、「事件から時間が経ち、もう一度さかのぼって報告書にまとめるのが困難」と説明します。
この点について、「悔いが残る」と酒井さんは言います。
【酒井肇さん】
「多くの尊い命が失われた大きな事件なので、なぜ事件が起きたのかしっかり検証してもらって、そこからどんな教訓が学び取れるかを整理してほしいとお願いしたのですが、結果的にそれができなかったのが、正直悔やんでも悔やみきれない非常に残念なことです」
そんな酒井さんが「大きな前進」と捉える動きが2016年、文部科学省でありました。
重大な事件・事故が起きた場合に、客観的な調査や報告書作りをすることが一つの指針にまとめられたのです。
酒井さんの妻の智恵さんが指針策定のための有識者会議メンバーに選ばれ、指針作りに携わりました。
【酒井肇さん】
「被害者の声を指針作りに組み入れてきたことには感謝しています。学校安全の論点で考えた場合、事件でこれが教訓として残り、こういうものが再発防止としてつながるという1つの共通の考えが必要だと」
■「学校の安全」のために…事件の教訓をふまえた高槻市の取り組み
大阪府・高槻市では、この指針に従い、小学校での死亡事故調査を行ったことがあります。
2018年、大阪北部地震の影響で小学校の敷地を囲うブロック塀が倒壊し、登校中だった小学4年の児童が犠牲となりました。
高槻市は外部による事故調査委員会を設置し、検証結果が報告書としてまとめられました。
事故発生から約4カ月での報告書でした。
【高槻市教育委員会 学校安全課 今福幸正課長】
「学校の事故ってどう検証したらいいか、難しかったり、分かりにくかったりしますが、指針に従って客観的に検証いただけたことで、教育委員会だけでなくて、高槻市全体として再発防止策に取り組めているという実感がある」
報告書には、ブロック塀の対策だけでなく、「組織体制の課題」や「安全マニュアルの形骸化」といった、安全に対する根本的な問題への指摘も含まれました。
高槻市教育委員会は、これまでいくつかに分かれていた学校安全に関する部署を1つにまとめて、新たに「学校安全課」を設置し、市の「学校安全に関する指針」も約20年ぶりに改訂しました。
【高槻市教育委員会 学校安全課 今福課長】
「事故の教訓は絶対風化させてはいけない。人の入れ替わりがあった場合には、必ず私から事故の報告書を必ず読みなさいと話をしています。組織的に、形として仕組みがないと、なかなか継続して取り組めないんじゃないかという懸念を持っています」
今では当たり前となった「学校の安全」の背景には、附属池田小学校での悲しい教訓があります。
事件から学ぶべきことを、誰でも共有できる方法は何か。
20年という時間が浮き彫りにした、これからの課題です。