東日本大震災から3月11日で10年となりました。
津波で大きな被害を受けた宮城県名取市の閖上地区は、高台などに移転せずに、元の場所での再建が進められています。
人々は新たな街と、どう向き合っているのでしょうか。
【関西テレビ・新実彰平キャスター】
「ここは、震災前からあった小さい山のようになってる場所なんですが、閖上の町を一望することが出来ます」
「海から近いエリアは人が住んではいけないエリアなんですが、ちょっと内陸に行くと、復興住宅が立ち並んでいます」
宮城県名取市「閖上」地区。
仙台市の南に位置する海沿いの町です。
あの日、東北を襲った地震と津波。
閖上でも753人の命が失われました。
沿岸部の被災地に、国は高台などへの移転を促していました。
しかし、市が選んだのは閖上を“元の場所で再建”することでした。
【格井直光さん】
「こういう未曽有の大震災になったので、(行政は)新しく街を造りたいのは分かりました。でも、そこはある程度冷静になって考えておけばよかったんじゃないかと、今は思います」
格井直光さん(62)。
震災当時から、町の復興状況について伝える地元紙「閖上復興だより」を発行してきました。
10年経った今でも市の姿勢に疑問を感じています。
「閖上復興だより」を通じて行ったアンケートでは、8割近い住民が、現地再建ではなく、内陸移転を望んでいたというのです。
【格井直光さん】
「当初はみなさん津波アレルギーで、本当に津波来ないようなところに町を造ってほしいということを、ほとんどの方が叫んでました」
「(現地再建することで)水産事業漁業者を大事にするというのはそれでいいんだけど、数が多い人たちのことを全く後回しにして、数を少ない人たちのことを優先したという部分はあると思います」
結局、市は住民の意見をまとめきれないまま、“現地再建”を進めました。
海側を人が住めないエリアに陸側は一部地盤のかさ上げ工事を行った上で居住エリアにする復興計画。
予定通り進んでいるものの、閖上の人口は2011年2月末時点で5686人だったのが、2021年2月末時点で1661人と、震災前の3割未満に留まっているのが現実です。
■息子を失った母親の決断 「魂がいるであろうこの地に、戻って住みたい」
多くの住民が「閖上」を去ることを選んだ中、残ることを決めた人もいます。
丹野祐子さん(52)。
津波で自宅を流され、仮設住宅で暮らしていましたが、3年前この町に戻ってきました。
【丹野祐子さん】
「どこも面影がないんです、別の街です。全然知らない町です。だから楽しく歩ける、あの当時の景色が残ってたら、多分思い出したり、悲しかったりするほうが多いかなと思うので、全然違うから平気で歩けるというところもあります」
丹野さんは当時中学1年だった長男、公太くん(当時13歳)を震災で亡くしました。
高台にあった中学校に向かおうとしていたところ、津波に巻き込まれてしまったのです。
3年前に新しく立てた住宅。今は夫と娘との3人暮らしです。
【丹野祐子さん】
「できれば老後は、息子の魂がまだいるであろうこの閖上に戻ってのんびりお茶を飲みながら、外の景色を眺めていたいなと思ったので」
「他の人が『戻りたくない』とか、『現地再建は嫌だ』とか、いろんな話も聞いてはいるけど、自分の中では戻って住みたいという思いはずっと持ち続けていたんですね」
「ただ、余震がくるたびに、津波警報が出るたびに自分の決断が果たして正解だったのかどうかは、今も迷っているというか揺れてます」
2階には公太くんの部屋があります。
公太くんが好きだった雑誌。
丹野さんは今でも毎週買い続けています。
【丹野祐子さん】
「唯一の私が今息子にできる供養はこれしかないから、自己満です自分の。息子に自己満足に付き合わせているだけ」
戻るという答えが正しかったのかは今も分かりません。それでも、公太くんを感じられるこの場所で暮らしていきます。
■「震災前には考えられなかった…」 若い人でにぎわう街を目指して“新スポット”も
この10年で閖上は大きく姿を変えました。
【新実彰平キャスター】
「元の閖上地区の高さからは、5メートルほどかさ上げされています。ここに住宅などが立ち並ぶわけなんですけれども、そこに去年ようやくスーパーが入る施設がオープンました。ここで生活をスタートという方の心の後押しになっているようです」
整備された住宅街には大規模な復興住宅など、真新しい家々が立ち並びます。
3年前には小中一貫の新しい学校も開校し、町には元々閖上に住んでいなかった人も増えています。
市はハード面の整備がおおむね終わったとして去年3月に『復興達成宣言』を出しました。
インフラが整い始めたこの町で、賑わいを取り戻そうと奔走する男性がいます。
櫻井広行さん(66)です。
【櫻井広行さん】
「我々被災地なんですけど、仙台の隣なんで、ものすごくいい条件なんですよ、助かりました」
櫻井さんが中心となって企画したのは、商業施設「かわまちテラス閖上」。
2020年オープンしたばかりですが、市内外から多くの客が訪れています。
出店している3分の2以上が閖上以外からの店舗です。
【櫻井広行さん】
「よその人に入ってもらわないと、我々だけでは無理だろうと、被災してない人をどんどんいれようと1年がかりで募集したり、説明会したりしました」
【おきたやま店長・児玉憲章さん】
「山形出身だったんですけど、生活を仙台市に移しまして、たまたま、何かしら震災にあった土地ですけども、活気ある場所でなんかできたらいいなという気持ちもあって、いろいろやってみたところでお店出させていただきました」
【仙台市から来た高校3年生】
「卒業式終わったので、2人で卒業記念に来ようと」
【新実彰平キャスター】
「デートスポット?」
【櫻井広行さん】
「デートスポットでは…どうなんだろう、でもカップルで来る人も結構いると思います」
残ることを決めたこの町で自分は何ができるのか。
櫻井さんの答えは、外から若い人を呼び込むことでした。
【新実彰平キャスター】
「若い人、閖上の外の人でにぎわってる今の状況はどう?」
【櫻井広行さん】
「震災前は絶対に考えられなかったですね。こういう年代層、若い人とかこんなに来てもらえると思わなかったし、それも私たちの努力もあるかもしれないけど」
「大きな被害にあって、やっと地元の良さとか、地元の自然の良さ分かったので。なんとかこれを活かさないといけないなって」
被災地のまちづくりに全員が納得できる答えはありません。
それでも、人々は新たな町とどう向き合うべきか…それぞれが考え、歩み出していました。
(カンテレ「報道ランナー」3/10放送)