神戸市立王子動物園のジャイアントパンダ、タンタン。
短い手足がチャームポイントです。
9月16日、25歳になりました。
人間でいうと、もう70才。
これが、タンタンが神戸で迎える最後の誕生日です。
これまで、多くの人に愛されてきました。
【来園した人】
「”パンダさんは特別”というのがあるので、せっかく神戸で見られていたのに会えなくなっちゃうのは寂しい」
【街の人】
「ありがとう、というのが一番。震災後の神戸の土台を築いてくれて感謝です」
タンタンがやってきたのは20年前。
阪神淡路大震災で傷ついた街を元気にしたいと、当時、神戸市や動物園の関係者がパンダの誘致に乗り出し、中国・四川省から雄のコウコウ、メスのタンタン、つがいで神戸にやってきました。
当時、日本にパンダがやってくるのは、3例目。
パンダを一目見ようと連日、多くの人が訪れました。
【神戸市立王子動物園・上山裕之 園長】
「園だけではなくて、神戸市民含めて、全体がものすごく盛り上がったんです。お客さんが前年の倍来た。それぐらい人気が出たんです」
タンタンは当初、中国政府から10年という期限付きで貸し出され、これまでに2度延長されましたが、今年7月、ついに期限が切れ、帰国することになりました。
今は新型コロナウイルスの影響で中国・四川との直行便が運休していることから、帰国の具体的な日程は決まっていません。
残された時間を、特別な思いで過ごす人たちがいます。
神戸市北区にある、淡河町の人たちは20年間、えさとなる竹を収穫し、王子動物園に運びつづけてきました。
【淡河町自治協議会 笹部会のメンバー】
「タンタンは好みがはっきりしとんねん。食べるものと食べへんものと」
「匂いに敏感で鼻へ持っていって、『あかん』と思ったらすぐほかす」
タンタンの好みの竹を選んで伐採し、冷蔵して毎日新鮮な状態で届けます。
そんな大変な日々も、あと少しの間です。
【淡河町自治協議会 笹部会のメンバー】
「おいしそうに食べてるのを見たら、よかった、ええの持って行ってよかったと思う」
「そら寂しい。ずっと付き合って来たんやから」
タンタンは今、どのように過ごしているのでしょうか。
12年前から飼育を担当している梅元良次さん。今も、試行錯誤を続けています。
【梅元良次さん】
「鳴き声っていうのが良くないですよね。普段パンダは鳴かないですからね。一番多いのは発情、出産のシーズン。‘偽育児’っていうものに入ってしまっていて、落ち着かなかったり、食べなかったり鳴いたりっていうのがあるんですよ」
大好物の竹を食べずに、ぎゅっと抱きしめるタンタン。
その背景にはある出来事がありました。
繁殖が難しいとされるパンダですが、タンタンには2度妊娠した経験がありました。
2007年は妊娠したものの、子供は死産に。
その翌年、2008年にも妊娠し、出産に成功しました。
しかし生まれたばかりの子どもは、生後4日で死んでしまったのです。
【梅元良次さん】
「亡くなって取り上げたときの数日間はすごく子ども探して…という行動は見られたんですけど、落ち着いたんですよね。次の年からまた発情した時に、あれ?という感じで竹を抱き始めちゃったんですよね」
その後、オスのコウコウもこの世を去り、妊娠はかなわなくなりましたが、発情期が来るたび、まるで子供を抱くように、竹を抱えるようになったのです。
12年前にタンタンが出産したとき、梅元さんはまだ飼育担当になったばかりでした。
【梅元さん】
「僕の一つの夢は子パンダを見ちゃったので、3日、4日の子なんですけど見ちゃったので、自分の手で、神戸のここで、子パンダを育てたかったなっていうのが夢でした。僕には生まれた3日間ていうのはずっと忘れられないんですよね」
いつ訪れるわからない別れの時。
梅元さんはあるメッセージを日々のツイッターに込めています。
【梅元さん】
「”#また明日ね”って入れてるんですよ。パンダが帰るって決まるまでは明日もタンタンがここにいるのが当たり前だったんですけど、帰国がいつっていうのが分からない状態になったので、何かみなさんに伝えたいと思って、また明日ねって書いたんですよね」
【梅元さん】
「自分の中での気持ちもありますし。『明日ね』って言えるのが普通で幸せだったのかな。最後は『タンタン シェイシェイ』で終わります」
神戸での最後の誕生日に合わせて発売されたタンタンの写真集。
ここには全国のファンから寄せられた1万枚以上の写真の中から、厳選された1000枚が掲載されています。
【写真が掲載された人】
「今回、帰国が決まってからの発売で、本当にみんなの記念だなって思っています。幸せでいて欲しいと思っています」
震災後の神戸に、希望の灯りをともし続けたタンタン。
別れのその時まで、そして、その先の幸せを、神戸の人たちも願っています。