9月4日は、紀伊半島を中心に多くの人が犠牲になった豪雨水害からまる9年となる日です。
今この時も厳重な警戒が必要な台風が日本に接近していますが、毎年のように豪雨で犠牲者が出てしまう現実を少しでも変えたいと願う遺族がいます。
コロナの影響で…例年とは違う慰霊祭
毎年、多くの人が祈りを捧げていた慰霊祭。
今年は新型コロナウイルスの影響で式典は取りやめになりましたが、小雨の中、遺族と町長だけで花を手向けました。
遺族会の代表をしている岩渕三千生さん。
【遺族会代表・岩渕三千生さん】
「何年経とうが思いは一緒で、伝えていくことには変わりないんで。今も雨が降ってるんですけど、台風10号気をつけろよって雨なんかなって自分の中では解釈しているんですけど」
犠牲者29人…紀伊半島大水害
9年前、台風による記録的な豪雨で那智川が氾濫し、那智勝浦町では29人が犠牲になりました(28人死亡・1人行方不明)
家屋が押し流されてしまった集落。
救助の現場には岩淵さんの姿もありました。
【遺族会代表・岩渕三千生さん】(2011年9月)
「あれだけ顔が腫れとったらわからんわ。顔パンパンに腫れあがって唇も…」
被害から一夜明け、岩渕さんは自宅のある三重県から実家にかけつけ、中学3年生の甥、絋明さん(ひろあき 当時15)の姿を探しました。
濁流で家から流された紘明さんは、6日後、遺体でみつかりました。
その一月後、岩渕さんの父、三邦さん(当時76)も復旧作業をしている最中に倒れ、この世を去りました。
自分の命は自分で守れ…それしかない
8月13日、那智勝浦町の青岸渡寺へ法要に訪れていた岩淵さん。
毎年この時期には思いがこみ上げてきます。
【遺族会代表・岩渕三千生さん】
「盆から9月4日にかけてはずっと気持ちがブルーです。自分の気持ちがあがってこない。悲しんでばかりおれんので何か後世に残していかないと」
あれから9年。被害があった場所は復旧とともに砂防ダムなどの整備が進んでいます。(国の砂防ダム工事約7割の箇所で終了)
住民の中には「もう思い出したくない」と当時を語ろうとしない人もいました。
その一方で、岩渕さんは各地で豪雨によって大きな被害が毎年出ていることに、もどかしさを感じています。
【遺族会代表・岩渕三千生さん】
「9年前から毎年同じことの繰り返しで、こんな(災害が)過去に記憶がないとか、そんなんじゃもう済まされないんですよもう。人のことあてにせんと生きたいんやったら、何回も言うけど我が命は我がで守れ。それしかないと思うんですよ」
今こそ…娘へ「語り継ぐ」
この夏、岩渕さんは、9歳の娘、まりあちゃんをある場所へと連れて行きました。
指さす方向には、熊野大橋が見えます。
【岩渕さん】
「あのね、9月4日の日ね。お父ちゃんじいじのところ(実家に)行こうと思ったらね この橋あるやろ 手前の橋ね、水があそこを超えたんよ」
【娘・まりあちゃん】
「え、そうなん」
当時、生後9か月だったまりあちゃんは小学4年生に。成長する娘の姿を見て、初めて真正面から、あの時何が起きたのかを伝えようと決めたのです。
災害当時の写真を見ながら、岩淵さんがまりあさんに語り掛けます。
【岩渕さん】
「これが那智川 一日前こんなん、もうあと50センチや…」
【まりあちゃん】
「…すごい」
【岩渕さん】
「お父ちゃんの実家はこういうことがあったんやってね、すごいやろこんなんなったら嫌やろ?ことしも九州の方であったやろ、40年前とかにこんなんあったやよって言うねんけどそれを知らん人が多かってん。人間ってすぐ忘れてしまうねん。だから忘れさせたらあかんねん。まりあが色んな人、友達とかに伝えていってほしいな」
今まで触れることのなかった父の記憶に、静かに耳を傾けます。
【岩渕さん】
「今、テレビとかインターネットとかで避難勧告避難指示とかあるが、本当に自分が生きたかったら死にたくなかったら自分の判断してこれあかんって思ったらすぐ逃げないとあかんねんで」
犠牲者と同じ「29」の灯
土石流が発生した時刻とされる午前1時。
犠牲者の数と同じ「29」の灯りがともされました。
1人でも多くの人が自分の命を守れるように伝え続けます。