入院患者の死亡をめぐり殺人罪で12年間服役した女性に、大津地方裁判所は2020年3月、やり直しの裁判で「無罪」を言い渡した。判決は、殺人事件の存在そのものを否定し、「不当な捜査で自白した疑いが強い」と滋賀県警を厳しく非難した。
西山さんは、身柄拘束に対する補償金として約6千万円を国に請求するという。
滋賀県警は無罪判決の重みを受け止め、再発防止策を講じているのだろうか?関西テレビは滋賀県警に対し、捜査に関する調査・検証を行った文書について情報公開請求し、「冤罪」のその後を追った。
「ウソの自白」で逮捕された西山さん
西山美香さん(40)は、滋賀県の湖東記念病院で看護助手をしていた2003年、当直中に入院患者の人工呼吸器を外し殺害したとして、懲役12年を言い渡され服役した。
この事件には、目撃者の証言や物的証拠がない。有罪の決め手とされたのは、西山さんの「捜査段階の自白」である。
西山さんと当直をしていた看護師は、医師に「人工呼吸器のチューブが外れていた」と説明していた。このため、滋賀県警は「チューブが外れていれば、異変を知らせるアラームが鳴るはずで、それを看護師らが放置した結果、患者が死亡したのではないか」という“ストーリー”を見立てて捜査した。
西山さんの取調べは、滋賀県警の男性警察官が担当していた。この警察官は身の上話などを熱心に聞き、コンプレックスを抱えていた西山さんを励ましてくれたといい、西山さんは次第に好意を寄せるようになる。そして、警察官の関心を惹くために、「チューブを故意に外した」と“ウソの自白”をしてしまうのである。
しかし、殺害など行っていない西山さんが、どうやって患者を殺害したのか説明できるはずがない。当初は「人工呼吸器のチューブを外すと、アラームが鳴ったが放置していた」と供述していたが、その後の捜査で、アラームの音を聞いた人が一人もおらず、供述との矛盾が起きる。
そうしたなか、滋賀県警は人工呼吸器にアラームを消すボタンがあり、1分経過する前に押すとアラームの消音機能が継続することを知る。この機能は、医療行為について制限されている看護助手だった西山さんは、知る由もない。
しかし、西山さんは「アラームは鳴っていない。自分が音を消すボタンを押した」と供述するなど、“殺害”という最も核心の供述について目まぐるしい変遷を繰り返す。“ストーリー”を成立させるため、滋賀県警が供述を誘導したことが強く疑われる。
捜査機関の主張「丸のみ」で有罪・服役
裁判では、西山さんは一貫して無罪を主張したが、1審の大津地方裁判所(長井秀典裁判長)は2005年、司法解剖を行った医師の鑑定書から、男性患者の死因は「人工呼吸器のチューブが外されたことにより、酸素の供給が途絶えた結果」と判断。
(西山さんや弁護側の主張は一蹴した判決に)
そのうえで、捜査段階の自白についても、供述調書などから「信用できる」として、懲役12年を言い渡した。捜査機関の主張をそのまま認め、西山さんや弁護側の主張は一蹴した判決だった。その後、大阪高裁も最高裁も西山さんの不服を退け、懲役12年の判決が確定。西山さんは37歳まで服役した。
滋賀県警が明らかにしなかった「西山さんに有利な証拠」
やり直しの裁判では、検察は一転して、西山さんの有罪立証を事実上、断念した。方針転換をした背景には、滋賀県警が「西山さんにとって有利な証拠」の存在を明らかにしなかったことがあると考えられている。
西山さんの弁護団は、やり直しの裁判に向け、「証拠」を出すよう検察に求め続けてきた。すると2019年10月、西山さんが逮捕前、人工呼吸器を故意に外したことを「否定した」自供書の存在が明らかになる。さらに、患者を司法解剖した医師が「チューブ内で“たん”が詰まったことが原因で死亡した可能性がある」と話した重要な捜査資料が見つかったのだ。しかも、この資料は、やり直しの裁判が決まった後の2019年7月になって、滋賀県警が初めて検察に送ったという。
この事態が発覚した当時、西山さんの弁護を担当した井戸謙一弁護士は「検事が起訴・不起訴を適切に判断するうえで重要な証拠。これが検事の目に届いていなかったのは大きな問題で、意図的なものがあるのではないかという疑いを抱かせる」と滋賀県警を厳しく批判。
(井戸謙一弁護士)
関西テレビも今年1月、滋賀県警に質問状を送ったが、県警は「今後、再審公判が予定されていることから、すべての質問に対し、お答えを差し控えます」としか回答しなかった。
日本の刑事司法に問題提起をした再審判決 一方で滋賀県警は…
今年3月の再審判決で、大津地裁の大西直樹裁判長は「日本の刑事司法の在り方に大きな問題提起」をしたと指摘。とりわけ、西山さんの捜査段階の自白については「自発的になされたものとはいえず、不当な捜査によって誘発された疑いが強い」として、供述調書を証拠から排除した。
大西裁判長は説諭で「問われるべきは、捜査側の在り方。西山さんの話は本当に信用できるのか疑問を挟むべきでした」と、警察の捜査を厳しく批判。さらに「15年以上経って開示された証拠が一つでも適切に扱われていれば、(冤罪は)起こらなかったかもしれない」と、証拠開示にも重大な問題があると指摘した。
(大津地裁・大西直樹裁判長)
さらに、「西山さんは最終陳述で『被告人ひとりひとりの声を聞いて下さい』と言われた。あまりに普通のことを言われたから衝撃を受けました。『疑わしきは被告人の利益に』という原則に忠実にするべきだと思いました」と西山さんに語りかけた。
これに対し、滋賀県警は「今回の判決を真摯に受け止める」と言いながらも、“不当な捜査”と裁判所に一刀両断された点については「コメントする立場にない」などと説明し、捜査に問題はなかったとの見解を示した。
情報公開請求で明らかになったこと
関西テレビは今回の“事件”について、どういう調査・検証を行ったのか、滋賀県警に情報公開請求を行った。
その結果、開示されたのが…
●警察庁の報告について(湖東記念病院再審)(決済日2019年8月1日のもの)
●2019年8月2日付報告書
●2019年8月30日付報告書
●警察庁刑事企画課への報告について(決済日2019年9月19日のもの)
●事実対比表(再審第一回公判に関係するもの)
●事実対比表・判決後(判決後に関係するもの)
という表題が付いた6つの公文書である。
大きく分けると、
警察庁への報告書が2つ
刑事企画課長の「個人メモ」とされる2つの報告書
やり直しの裁判と当時の裁判での事実認定に関する対比表が2つ
合計41ページである。
さらに、滋賀県の情報公開条例を根拠に、特定の個人を識別する情報だけではなく、関係者の供述内容、当時の捜査に関する判断などについても、「公にすることで将来の捜査に支障が生じ、公共の安全の秩序の維持に支障を及ぼす恐れがある」などとして、ほぼ全てが「黒塗り」であった。
(ほぼ全てが「黒塗り」)
捜査の検証「行っていないし、今後も行わない」
開示された資料は、ほぼすべてが黒塗りにされているため、詳細はわからない。しかし、開示された文書の表題には当時の捜査の検証に関する言葉がなく、そもそも検証を行っていないことがうかがえた。そこで、開示された資料について滋賀県警に電話で問い合わせを行った。
関西テレビ:開示された文書の概要はどういったものでしょうか?
滋賀県警 :今回の再審に際して、当時の担当などに聞き取りを行った際のメモです。
(滋賀県警)
関西テレビ:当時の捜査に関する検証は行ったのでしょうか?
滋賀県警 :「検証報告書」と題して作ったものは、ないです。
無実の人を逮捕して、12年もの間、服役を余儀なくさせたにもかかわらず、検証を行わないのは、一体なぜなのか…。その答えは、滋賀県警トップが県議会で話した内容にあった。
滋賀県警トップが「当時の捜査に問題なかった」と公の場で明言
2020年7月3日の滋賀県議会で、県警トップの滝澤依子本部長に今回の再審無罪に関して議員から質問があった。
滝澤本部長は「確定審と再審公判で証拠の評価が異なったものの、西山さんに結果として大きなご負担をおかけしたことについては、大変心苦しく思っている」と答弁し、公の場で謝罪した。しかし、当時の捜査に関する検証に話が及ぶと、歯切れの悪い答弁に終始した。
【議員】
今回の事案を徹底的に検証し、二度と冤罪を生まないように、捜査のあり方を改善すべきではないでしょうか?
【滝澤本部長】
当時、事件発生を受け、県警察におきましては、事件解決に向け必要であると考えられる捜査を尽くしたところであると考えており、また事件後、これまでも適切な捜査を推進するべく、各種取り組みをすべく進めてきたところであります。
(滋賀県警・滝澤依子本部長)
【議員】
取調べ・客観証拠の検討・証拠開示の適否について、1つ1つを具体的に検証してもらいたいが、いかがお考えでしょうが?
【滝澤本部長】
(再審)判決についての評価は差し控えますが、県警察においてはご指摘いただいたような、不適切な取調べ、あるいは恣意的な証拠開示、予断に基づいた死因鑑定といった事実は、確認されておりません。しかしながら、県警は無罪判決が言い渡されたことについては真摯に受け止め、被疑者の特性に配した取調べや客観証拠の吟味を行うなどの取り組みをさらに進めて参る所存であります。
一連のやりとりからも明らかなように、滋賀県警は「当時の捜査には問題がなかった」との認識をいまだに貫いている。
この認識に基づけば、当時の捜査に関する検証は当然するはずもないのである。
専門家「一般社会では信じられないほど“説明責任”が欠如」
滋賀県警の一連の対応について、冤罪問題の研究をしている甲南大学の笹倉香奈教授(刑事訴訟法)は、「取り調べや死因の問題など、どの面をとっても検証をしないというのは、あまりにも乱暴。ましてや『捜査に問題がない』というのも、第三者による検証委員会などを立ち上げて調べた結果ならわかるが、自分たちで調べた結果というのは一般社会では信じられないこと。“説明責任”という考え方からは、かけ離れている」と強く非難する。
(甲南大学・笹倉香奈教授)
また、滋賀県警が公開した文書の大半が黒塗りだったことについても、「公文書は税金で作成しているものであって、公共財。“捜査の秘密”を守っているなら、必要最小限だけ隠せばいいと思うが、ほぼ全て隠すことはありえない。できる限りのことを明らかにするのではなく、『できる限り明らかにしない』のが今の滋賀県警の姿勢。それが冤罪被害者からどう見えるのか、社会の人が納得するのかを考えてほしい」とも指摘している。
真摯に反省し、再発防止に向けて徹底検証する「ラストチャンス」を逃すな
滋賀県警をめぐっては、ほかにも冤罪が強く疑われる事件も起きている。36年前に日野町で起きた強盗殺人事件・通称「日野町事件」だ。
「自白を強要された」として無罪を主張したが無期懲役を言い渡され、獄中で死亡した阪原弘さんの遺志を継ぎ、遺族が再審請求。2018年に大津地裁が「脅迫や暴行を受けた結果、自白した疑いがある」などと指摘して、裁判のやり直しを認める決定を出した。その後、検察が不服を申し立てたため、現在大阪高裁で審理が続いている。県警の捜査には、西山さんの事件が起きる前から疑義の目が向けられているのである。
真摯に自らを振り返り、反省すべき点は反省し、同じことを二度と繰り返さないようにすることが、滋賀県警にいま一番求められているのではないだろうか。