当時、「被差別部落」と呼ばれていた街
京都市中心部に位置する崇仁地区で始まった公営住宅の解体作業。
145世帯が入居し、60年以上この街の人の暮らしを刻み続けた団地は、京都市立芸術大学の建設に伴い、年内に取り壊されます
【団地の住人】
「やり始めたら早いですもんね、風呂もあんなんなっちゃって。うちの棟もあんななっちゃって。寂しいですね」
団地は、64年前、住民運動によって建てられました。
当時、「被差別部落」と呼ばれていた崇仁地区は、インフラ整備が著しく遅れていたため、団地は住民にとって「夢の住まい」だったといいます。
住人は、新しくできた公営住宅へ引っ越し、急ピッチで開発が進められています。
変わりゆく街に、集まった学生たち
【京都芸術大学3年 奥山愛菜さん】
「この辺のおうち、何回か通わせてもらって、廃材をもらったり、おしゃべりするのがすごく楽しかった思い出があります」
京都芸術大学に通う奥山愛菜さん。
去年、授業の一環で訪れて以来、住人たちと交流を続けています。
【京都芸術大学3年 奥山愛菜さん】
「建物が壊されていたり、行くたびに変化がある土地だということを行った時に、すごく感じ取って、最初はなんで自分が気になったのか分からなかったんですけど、よく考えてみたら自分の過去とつながっているなと思って。寂しかったし、覚えていない、大事なことがあったはずなのに忘れている」
実家は岡山県で代々スーパーマーケットを営んでいましたが、小学校に入学するころに廃業。店や祖父母の家が取り壊されてしまいました。
変わりゆく崇仁の町が、故郷と重なります。
今年2月、奥山さんは作品の制作にとりかかっていました。
作っているのは、崇仁地区に設置する舟形のベンチ。
材料の多くは、住人たちの引っ越しで出た廃品です。
【京都芸術大学3年 奥山愛菜さん】
「これは、団地の方の水屋(食器棚)の引き出し。私水屋って言葉知らなかったんですけど、亡くなられた旦那さんと一緒に買ったと言ってて」
晩酌が大好きな住人が酒のアテを作るのに使っていた「まな板」や、大事な着物を入れていた「和ダンスの扉」。
【京都芸術大学3年 奥山愛菜さん】
「取り壊しになる建物とかそういう物の思い出や、傷がついていたりする生活の跡とかを形を変えて、使えるものとして街に置かれるようになればいいなと思ったので」
住民たちの「声」を、卒業作品に
崇仁地区に惹かれ、この街と交流する若者は他にも。
今年、京都市立芸術大学を卒業した、寺本遥さんもその一人です。
【京都市立芸術大学卒業 寺本遥さん】
「足スジが一番硬いんですか」
【崇仁地区に住む 高橋のぶ子さん】
「足スジが一番硬い」
【学生】
「これは?」
【崇仁地区に住む 高橋のぶ子さん】
「ハチノス」
【学生】
「わー、毛布みたい」
見慣れない牛の内臓に、驚く学生たち。
数種類の牛の内臓を醤油で煮込んだ「スジの煮こごり」。今では作れる人も少ないといいます。
この崇仁の「郷土料理」を受け継ごうと寺本さんら学生が集まり、教室が開かれました。
【崇仁地区に住む 高橋のぶ子さん】
「フクゼンって言って牛の肺や。これ、と殺場に行ったら、ほって(捨てて)ある。崇仁地域のごちそうや。貧乏人これしか食べられなかった。昔、冷蔵庫ないし。これだったら作って鍋のままこごっていたら置いておいても腐ることもないから」
「こんなん初めてや、教えるのな。そら、楽しい」
【京都市立芸術大学卒業 寺本遥さん】
「スジがこの地域でよく食べられるようになったのが、以前の差別の副産物的な、なごりだっていうことを知って、その中でもよりよく暮らしていこうとする生活の尊厳とか切実さがこもってると思いました」
今年2月、寺本さんは自身の卒業制作のひとつとして、「スジの煮こごり」のレシピと、住民から聞いたエピソードを文字とイラストにして展示。
料理だけでなく、地域のお年寄りから聞いた話をもとに作った崇仁の地図も制作しました。
今と違う街並みを青いペンで、そしてイラストで表現できない細かいエピソードを記した多くの付箋が張り付けられています。
【京都市立芸術大学卒業 寺本遥さん】
「川の流れが今はこう通っているんですが、昔はこのように曲がっていてというようなことをたくさん教わりました」
――Q:なぜこういった作品を制作?
「昔の姿がなかなか残っていないので、それを残しておきたいと思ったのと、たくさんの人の話が集まって、昔の(崇仁の)姿が立ち上がるみたいなものを作りたかったからです」
今の姿も残すため、寺本さんは、住人たちの引越しを撮影。
その映像を、古い小さなモニターに映し出し、作品にしました。
【団地の住人】
「なんか犬も感じてるみたいでそわそわしている。向こうに慣れるのかなって」
記録されているのは、激変する町に生きる住人たちの声です。
【京都市立芸術大学卒業 寺本遥さん】
「崇仁という町の名前で大きく語られる歴史と、そこに具体的に住んでいる個人が(自分の中で)結びつかないってことがあり、だからこの作品では今回は、具体的な固有名を出してもっとよくみんなにも(崇仁について)知ってもらいたいし、よく考えたいと思った」
跡地には大学が移転、街のこれからは
4月。
かつて多くの人々の生活を支えた団地は、立ち入り禁止となりました。
刻一刻と姿を変えていくまちの一角に、奥山さんのベンチが設置されました。
そこに並べていたのは、地域の人たちからもらった不用品。
【京都芸術大学3年 奥山愛菜さん】
「スーダラ節とか入っています」
それぞれに、持ち主の思い出が書かれたタグをつけ、物々交換することにしました。
女性が時計を持ってきました。
【地域の住民】
「弁当箱もって帰るわ。孫きたら弁当もって学校いくときに(使う)」
お弁当箱と交換。
すると、そこへ、たまたまこのお弁当箱の持ち主だった人が通りかかり…。
【地域の住民】
「これ、もらっておくでー」
川で拾った小石に思い出の絵を描いて持ってきてくれた子供もいます。
【地域の子ども】
「家族みんなで海で魚釣りしたときの思い出」
――Q:何と交換したの?
「浮遊するキラキラクラゲ。私はキラキラするものには目がないから」
【京都芸術大学3年 奥山愛菜さん】
「モノだけじゃなくて、物語(思い出)を交換するってことだから、いろんな対話がたくさん生まれたらいいなと思っています。(3年後)大学が建って、川のこの場所って人が集まる場所になるんだろうなっていうのが想像できて、楽しみです」
その後、新型コロナウイルスの影響で、「物々交換」は中止となりましたが、収束したら、また開催する予定です。
3年後には、大学の新しい校舎ができます。
その時、このまちはどんな姿をみせてくれるのでしょうか…。