4月25日で、JR福知山線脱線事故が起きてから15年。
お伝えするのは、優しい兄を事故で失った男性の今です。
兄の遺体を前に立てた誓いを胸に、看護師として命を救う最前線に臨んでいます。
事故現場での祈りを…今年は断念。
107人が亡くなった脱線事故現場。
事故から15年となる追悼慰霊式が行われる予定でしたが、新型コロナウイルスのため、慰霊式は中止されることが決まりました。
遺族は複雑な心境です。
【事故で兄を亡くした上田篤史さん】
「事故現場に行くことは、すごく特別で、あそこでお祈りを捧げるって、絶対毎年しなきゃいけないぐらいのことだと思う。それができないのは兄にも申し訳ないなと」
上田篤史さん(30)は、事故で兄の昌毅さん(当時18)を亡くし、これまで、命日には現場で手を合わせていました。
しかし今年は、現場に行くことを断念しました。
「人の命を助ける仕事に」…兄の遺体に誓う
篤史さんの仕事は、看護師です。
勤務先は、神戸市立医療センター中央市民病院で新型コロナウイルスの患者に対応する最重要拠点です。
最近は、同僚たちが、院内でウイルスに感染したことが判明し、今は人との接触を控えています。
今回の取材では、ビデオ通話でインタビューに応じてくれました。
【上田篤史さん】
「家族だけじゃなく、周りの人を危険にさらすかもしれないって考えたら、やっぱり制限せざるを得ないなと、近くに、行けなくてごめんねっていうような思いです」
15年前、篤史さんの兄・昌毅さんは、通学のために、電車に乗り、帰らぬ人となりました。
希望した大学に入学した直後の事故でした。
【上田篤史さん】
「玄関を開けて、すぐに母が飛び出てきた感じ。一言、『ダメやった』と言ったんです、泣きながら。父もテレビを見ながら、泣いていて『ここに兄ちゃんがおるんや』って」
昌毅さんは、「マイペースで、やさしい」兄でした。
弟思いで、事故前日の夜も篤史さんの体調を気遣い、「早く寝ろよ」と声をかけていました。
そんな昌毅さんの死は、上田さん家族の人生を大きく変えました。
【父・上田弘志さん】(2005年10月)
「兄のことを伝えると、弟が泣き崩れるその姿を見るのが本当につらかったです」
父親の弘志さんは事故の後10キロ以上も痩せてしまい、体調が優れない日が続いています。
それでも事故を起こしたJR西日本と向き合い続け、すべての裁判を傍聴しました。
そして、篤史さんは…
【上田篤史さん】
「兄の遺体を前に、まず誓いみたいなものを自分の中で立てた。『僕、人の命を助ける仕事に就くわ』って、兄に向って言ったんです。その時なりに、兄の死を絶対無駄にはしたくないというのがあったと思うんですけど」
兄の死を目の当たりにして、篤史さんは、人の命を救う職に就くことを決意しました。
【上田篤史さん】(2014年の追悼慰霊式にて)
「不慮の事故で運ばれてくる患者さんも多い中、泣き崩れる家族を見ると、つい自分と重ねてしまいます。でも兄は病院で治療を受ける間もなく亡くなりました。私が兄のためにできることは、兄の分まで自分の人生を精一杯生きることです」
過酷な現場で、医療者として
「人の命を助ける」と兄・昌毅さんに誓ってから、15年。
今、新型コロナウイルスで苦しむ人達を救うという過酷な日々が続いています。
【上田篤史さん】
「だいぶ疲弊しますし、まさに戦場。いつ自分が罹るかもしれないという恐怖というか、僕たちも医療者であると同時にそういう恐怖を感じながら働いているのが事実。本当に重篤になってしまった人を何人も見てきたが、そういった人が助かるように、自分がそこに入って助けられるように」
「僕は兄を突然亡くして、その悲しみを、身をもって経験していますので、同じように、どうしても助からなかった命、それに直面した家族の思いは痛いほどわかる。しっかり寄り添って、少しでも辛い気持ちを、自分の関わりで少しでも軽減できるようになったらいいなって」
JR福知山線脱線事故から15年。
篤史さんは、今年、過酷な闘いを続けながら、兄に思いを寄せます。