4月25日で発生から15年となるJR福知山線脱線事故。
事故と向き合う人々の思いと現状をお伝えします。
今回お伝えするのは、事故で最愛の妻を亡くした料理人の男性です。
15年が経ち、成長した息子とともに今、苦境を乗り越えようとしています。
2人の背中を押すのは、妻のある言葉です。
居酒屋「ながほり」。
かかってきた客からの電話に、店主は「休業の説明」をしていた。
【中村重男さん】
「もうずっと休んでるです。4月4日から休んでいるんです」
今は、テイクアウトのみで営業しています。
それまでは店主の中村重男さん(62)が、息子の海里さん(29)と店に立っていました。
――Q:息子が一緒なのは心強い?
【中村重男さん】
「だんだん慣れてきおったからね。最初にやりだした頃は、すごいストレス。なかなか言っても分からないし、すねたりするし。ところが嫁もらって子供生まれて、マンション買ってからちょっと、親の気持ちがわかってきたんでしょうね。それからはだいぶとストレスも無くなって」
15年前のJR福知山線脱線事故で、中村さんは妻・道子さん(40)を亡くしました。
【重男さん】
「道子は、優しい妻であり、優しい母であり、『一生懸命生きる』という事を海里に、『人生の大事さ』『まじめに生きれば絶対いいことがある』と」
海里さんは、まだ14歳でした。
中村さんは妻を亡くした悲しみの中、男手一つで、息子を育てて来ました。
息子のために朝早く起き、夜遅くまで店に立つ日々でした。
毎年、4月25日は、妻の亡くなった場所でその時を迎えてきました。
【重男さん】
「死にたくて死んだわけではないから、残されたもの、生きているものはしっかりしないと申し訳ない気がする。手を抜いていきたら『代わってよ』と言われる気がするから、『海里のこと見ないなら私と代ってよ』と」
「ながほり」は、12年前に移転し、店を広げました。
居酒屋で初、そして10年連続、ミシュランの星を取った名店には、著名人も多く訪れます。
海里さんは大学を卒業後、酒蔵や料理店で修業をつんできました。
「人生は竹のようなもので節目が肝心。節目で頑張らなければ伸びていけない」
母の言葉を胸に、ここまで来ました。
――Q:お父さんの姿を見てすごいと思うわけでしょ?
【海里さん】
「思うから跡も継ごうと思ったし…一緒に働きたいと思ったし」
海里さんは、家庭を築き、去年お父さんになりました。
順風満帆な日々でしたが、今年に入ってから新型コロナウイルスの問題が、「ながほり」をも直撃しています。
お店は4月4日から休業し、「きりたんぽ鍋」のセットと豚の角煮、わずか2種類のテイクアウトだけに切り替えています。
【重男さん】
「(京都大学iPS細胞研究所の)山中伸弥教授もよく来てくれるから先生にメールで聞くと大変長期になると聞いていて。いつまでもしていてもあれかなと、先生に『早めに休もうかなと思うんですがどう思われます』というと英断ですといわれて。『しんどいけど頑張ってみましょう』と。4月4日からお店を休んで」
【客】
「ご近所の皆さんと分けて、おいしくいただきます」
「すこしでも手助けというと変ですが、私たちも美味しいものをいただいて幸せになるし、少しでも応援させていただきたい」
【海里さん】
「みんな苦しいので、僕らだけが苦しいのではない。乗り越えていかないといけない」
新型コロナウイルスの影響で25日の追悼慰霊式も中止になりました。
現場の「祈りの杜」も閉じられています。
【重男さん】
「私は一人で、家族は今回はなしで、私ひとりではいくつもりです。4月25日、これは僕にとって特別。同じ時間帯にそこに立ちたいというのは変わらない。道子が生前に言っていた言葉、みなさん知っているが人生は竹。その都度その都度かかってきて大変、今までにない辛さですけど頑張っていくしかない。その背中を次の世代に見せたいし、前しか向いてない」
妻の言葉に背中を押されながら、この苦境を生きています。