その小さな建物は、多くのアニメーターたちにとって憧れの場所でした。
『京アニクオリティ』
ここで生まれた作品はそう呼ばれ、世界中の人たちを元気づけてきました。
しかし1ヵ月前の”あの日”、その日常は一瞬にして奪われました。
【カメラマンリポート】
「京都市伏見区の上空です。爆発火災の影響で、現在も白煙が上がっています」
7月18日、男が放った火に包まれた「京都アニメーション」第1スタジオ。
35人が死亡、34人が重軽傷を負いました。
現場近くに設けられた献花台では、いまもなお、全国から、そして海外から多くのファンが訪れています。
人生に大きな影響を受けたファンも
京都府宇治市で創業し、30年以上の歴史を持つ京都アニメーション。
当初はアニメーションの仕上げ作業を専門的に行う下請け会社でしたが、90年代から作画・背景・演出などを自前で行うようになります。
2000年代に入ると、「けいおん!」や「涼宮ハルヒの憂鬱」をはじめヒット作を次々と制作。世界に知られるクリエイター集団にまで成長しました。
キャラクターたちの姿に背中を押され、人生が変わったという人も少なくありません。
【学校が苦手だったファン】
「私は、けっこう人に対して引け目を感じてしまうことが多いけれど、(涼宮)ハルヒは、自分の思うことを突っ走るようなタイプで、もうちょっと自分を出してもいいんだなと思えて、それで救われました」
【学校が苦手だったファン】
「学校にいけなくなったときがあって、」
「Free!の作品では、最初は仲がよかったのに、あとからいざこざがあった2人が最終的に仲間としてみんなと一緒に泳ぐっていうのが、友情の固さというか心打たれて、友達っていいなと思って学校に行くようになったら、アニメ友達というか、おたく友達がしゃべりかけてくれるようになって」
緻密な取材、卓越した”描写”手法
多くの人の心を動かす「京アニクオリティ」を支えているのは、卓越した“描写“手法だと専門家は話します。
【近畿大学総合社会学部 岡本健教授】
「世界中のクリエーターが特に悲しんでいるというのは、同じプロが見てもここまでやるのかっていう、感動を覚えさせるクオリティの高さがあったというのは言える」
宇治市にある高校を舞台に、全国大会を目指す吹奏楽部の姿を描いた「響け!ユーフォニアム」
この作品で目を引くのが、主人公が演奏するユーフォニアムなどの楽器です。
作品に登場する音楽室のモデルとなった京都府立東宇治高校。
アニメの放送前、京アニのスタッフたちが何回も取材に来ました。
【京都府立東宇治高校 吹奏楽部顧問 近藤和郎教諭】
「楽器がどんなふうにケースの中に入っているのかだったり、どんなふうに動くんやとか、細かいところまで見てられたのはすごく印象的でした」
スタッフたちは楽器や演奏する部員を観察。
楽器の複雑な構造を、CGを多用するのではなく、「手描き」で丁寧に描いたのです。
【京都府立東宇治高校 吹奏楽部顧問 近藤和郎教諭】
「指の動きとか構え方とか、楽器の構造やったりって言うのが、クオリティが高いつくりをされているなと思いました」
京都市左京区の商店街が舞台となった「たまこまーけっと」。
この作品でも、実在する店などがそのまま再現されています。
【花の春風・亀井道正代表】
「冷蔵庫の中は冷たいので、出してしまうと花が咲いたりするんですけど、そういうシーンも出てきまして、そういうところまでアイディアをもとに作ってらっしゃるのかなと」
商店街では、アニメの放送後、ある変化が起きました。
【花の春風・亀井道正代表】
「ファンの方がたくさん聖地巡礼じゃないですけど、たくさんの方がこの商店街に来られてるんで」
ファンが作品の舞台となった場所を実際にめぐる「聖地巡礼」。
その流れを作ったアニメ制作会社のひとつが、京アニだと考えられています。
「京アニクオリティ」のもうひとつの特徴は、キャラクターの”動き”にあると、スタッフとも親交があった京都文化博物館の森脇さんは指摘します。
【京都文化博物館・森脇清隆さん】
「喜怒哀楽あるいは疾走感とか、表現したい演出の意図っていうのがあって、その意図を実現させるためには手を抜かない」
神奈川県相模原市にあるアニメーションの作画スタジオ、「ART BASE BAM」
ここでは、アニメーションの設計図といえる絵コンテから原画を作っています。作業のほとんどは手描きで、扱うのは10種類以上の作品です。
【ART BASE BAM 坂本次男代表】
「これなんかは、たまたま主人公が前向きに走ってくるんですね。この2枚だけでも、だいたいの大きな動きはできちゃうんです」
アニメーター歴30年の坂本さん。「けいおん!」の“あるシーン“に衝撃を受けました。
【ART BASE BAM 坂本次男代表】
「歩き方を、足だけで何人か歩いている足だけの動きをもって、誰がしゃべってるかの表現を足だけでするんですよ」「横歩きだったのが斜めに途中で歩いたり、ちょっとテンポをかえて歩いたりってところで、セリフと合ってる部分があるんですよね。いままでうれしいって表現は顔うつしたり、ジェスチャーでもってやる、それが歩き方でうれしさを出す」
京アニの基礎を築いた「師匠」
キャラクターの感情を、繊細な「動き」で表現する京アニの技術。
その基礎を、築いた人物がいます。
事件で亡くなった木上益治さん、61歳。
「AKIRA」など多くの作品に関わり、京アニ初のオリジナル作品「MUNTO」では監督を務めました。
京アニの「師匠」ともいえる人物です。
専門学校時代、木上さんと共に作画を学んでいたという渥美さん。
木上さんの見方は独特だったと話します。
【木上さんの同級生・渥美敏彦さん】
「(木上さんは)動きを見るんですよね。走ったりとか、ジャンプしたりとか。そういうのを見てて。『このジャンプは凄い』とかね。そういうのを研究してましたね。自分とは違うなと感じました」
木上さんが学生時代に描いた動画の下絵。
12枚の絵をアニメのように連続して見てみると…
【木上さんの同級生・渥美敏彦さん】
「こういう寝てるところとか、寝てからこう、身体をこう、足を持ち上げてね、身体のバランスですね。とても自分じゃ真似できない」
学生時代から、才能の片鱗を見せていた木上さん。
京アニで働いていた女性は、「アニメとは何か」を、木上さんから学んだと話します。
【京都アニメーションの元社員】
「絵を描くのが早いうえに上手。いつも笑顔で、直接指導するというより、そっと線を書き足して、それを見て私たちが学ぶ。アニメはこういうふうに書くんだよと背中で教えてくれたのが、木上さんでした」
“京アニ“が作品に込めた思い
そしてもうひとつ、木上さんが後輩たちに伝えたもの。
【京都文化博物館・森脇清隆さん】
「キャラクターへの愛情。描いているものへの愛情。(木上さんの)スピリットが伝統で伝わっていると感じられる」
緻密な描写と繊細な動きで世界を魅了してきた京都アニメーション。
京都の博物館には今、歴代の作品のポスターが並べられています。
その横に、今から16年前、当時あまり知られていなかった京アニが書いたメッセージがあります。
『英語のanimateという言葉には『元気づける、活発にする』という意味があります。私たちは、人を元気づけられるような、活発にできるような作品を作り続けたいと思います』