横幅2mの大作。
東大寺の大仏を描いた「祈り」という名の作品です。
描いたのは当時20歳の左半身が不自な青年でした。
30年経った今も仏を描き続けているある画家を見つめました。
【岩下哲士さん】
「今でも東大寺の大仏が一番好きやし。これも名前が違うだけで大仏やし、やっぱり好きやから。好きなものでないと絵にかけへん。」
滋賀県甲賀市に住む、岩下哲士さん。
1歳3か月の時に急性小児片麻痺を発病し、その後遺症で左半身が不自由になりました。
【岩下哲士さん(当時21歳)】
「小さいとき、病気ばかりして救急車で何回も運ばれてたから」
29年前、関西テレビは初めて画集を出版した哲士さんを取材していました。
【ご住職と話す哲士さん】
「みんなはちゃんと手を合わせるのに僕だけこんなんやけど、僕きれいに手を合わせられへんのが辛い。いつかはお父さん、お母さんと離れて生活せなあかんのかな」
両親と三人で暮らす哲士さんの夢は画家になることでした。
== 29年前の家族の話 ==
【父・好孝さん】
「先のことはわかりませんけどね。どうなるか。ちょっとわかりません。」
【岩下哲士さん(当時21歳)】
「やっぱり絵描く」
【母・淳子さん】
「絵描いていきたい、じゃあてっちゃんが絵が好きやと言ってる間はお母さんも関わって行きたいな」
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よく描いていたのは仏の絵でした。
描いている時は嫌なことを忘れ、心が落ち着きました。
その後哲士さんは何冊もの画集を出版し、教科書や指導書に作品が取り上げられ、開いた個展は300回を超えました。
それでも作風は少年の心のまま、変わることはありませんでした。
佛教大学と提携し毎年開いている京都での個展は今年で30年目を迎えます。
個展をする時、両親はいつも2人で準備をやりくりし、左半身が不自由な哲士さんの手を
借りることはありませんでした。
しかし両親ともに80歳に近づき、様々な病気や手術も重なり、年々、個展を続けることが難しくなってきました。
【母・淳子さん】
「ひょっとしたらね、30年で終わるかもわからないしとか。できれば今まで通りに守ってやりたいなあ。ほんで守ってほしいな思ってる、哲士に守ってほしい思う。」
数年前から哲士さんの絵に共感する画家や彫刻家が設営を手助けしてくれるようになりました。
【哲士さんを支援する仏師・前田昌弘さん】
「てっちゃんはそのまま色も形も自然と筆で描いてるんで尊敬しますよね。間近で触れるんで、ありがたいなと。」
両親に見守られ、絵を描いてきた哲士さんも50歳。
8歳から描いてきた絵は1000枚を越えました。
家での夕飯。
【岩下哲士さん】
「やっぱりな、ずっと続けて絵は描いていきたい。」
【母・淳子さん】
「助け合わなあかんのやで、てっちゃん助けてもらうばっかりじゃあかんねん。今度助けてあげないと。」
【岩下哲士さん】
「3人寄れば文殊の知恵いうもんな。意味わからんけど。」
病気や不安を乗り越えて今年も家族3人で30年目の個展を 迎えることができました。
「岩下哲士展」は京都で25日まで開かれています。