先月、大阪・堺市で新たに開業する病院の建物が完成しました。『堺平成病院』。透析治療やリバビリなどに力を入れる地域密着型の総合病院です。8階立ての建物で、およそ300人の入院患者を受け入れられる作りになっています。
坂上祐樹・医師「(利用者の皆様に)喜んでいただけると思います。かなりゆとりをもって建てていますので。」
この新病院、これまで50年以上にわたり地元・堺市に根付いてきた2つの病院がここに移転。合併して、新しく生まれ変わるというものです。その一つ『浜寺中央病院』。昭和26年(1951年)設立、増改築を繰り返してきた病院は、67年目を迎えていました。
『浜寺中央病院』リハビリテーション科係長・蜷川和美さん「雨漏りがしてくるので、下にバケツを置かないとダメだったり、だいぶシミもついちゃってなんですけど…」
建物はかなり老朽化、雨漏りに悩まされていました。
今、全国各地で多くの病院がこういった建て替え時期を迎えています。病院の着工件数の推移を見ると、1960年代中頃、そして1970年代後半の着工件数がピークになっていることがわかります。築40年以上が経過し老朽化した病院は、大規模な耐震補強が必要になっていることもあり、建て替えを含めた何らかの対応に迫られているのです。
今回、移転合併するもうひとつの病院『堺温心会病院』。昭和41年(1966年)設立、4回もの増改築を繰り返してきた病院もこの春、幕を閉じ生まれ変わります。
『堺温心会病院』看護部長・岩城八重喜さん「1日に250~300人の患者さまに来ていただいています。ここで生まれた子が、ここに診察に来ていたりもしています。」
『堺温心会病院』で働いて20年以上。看護部長を務める岩城さんは、今回の引っ越しを指揮する現場のリーダーです。
岩城看護部長「ステーションとしては狭い。収納の場所が、色んな物がどうしても混在してしまう。薬の管理もかなり難しい状況で。狭い中で工夫はしているんですけど…」
築50年以上、入院患者の病室も過ごしやすいとは言えません。
岩城看護部長「ベッドの感覚が狭い感じなんですね。昔の造りで、たぶんその時は(規準を)通っていたと思いますが、かなり古い建物の構造になっていると思います。」
入院患者のほとんどが地元の高齢者。100歳を超える患者さんも少なくはありません。今回の引っ越しで一番の課題となるのは、高齢の入院患者の移動です。中には寝たきりの方や医療機器のチューブがつながったままの方もいます。
岩城看護部長「短い距離とはいえ、途中で何かあってはいけない。安全に移動していただける工夫を綿密に計画しています。」
病院の引っ越しは4月1日。3月の上旬から随時行っているのが、人形を使った移動シミュレーションです。
岩城看護部長「ほとんど人間と同じぐらいの重さの人形を借りていますので。呼吸器をつけた状態ということを仮定して動かす。何回も何回もシミュレーションをして、検証しています。」
新しい病院へは救急車で移送。重病患者も駐車場まで移動させなければいけません。看護師の他に、医師や臨床工学技士なども加わり、5名以上の体制で患者の移動を行います。
『堺温心会病院』院長・正木浩喜さん「患者さんの呼吸状態、血圧、精神状態に異常はないか、機械が十分に作動しているかどうか、治療をしながら運ぶので、状態の把握することが大事です。」
当日移動させる患者さんは、2つの病院をあわせて240人です。
岩城看護部長「医者の配置、看護師の配置、ベットも新病院に持って行ったりしますので、手順というか順番というか緻密にスケジュールを立てています。」
どの順番で、どのスタッフが同行し、新病院のどこの部屋に移動するのかー。患者ごとの移動スケジュールを作る日々。これを元に、多くのスタッフが当日動きます。
岩城看護部長「ほぼほぼ当院は、救急を止めたり診療を止めたり入院制限をしたりしていない。(引っ越しの)ギリギリまでそれをしない中での調整なので、かなり綿密にしておかないといけません。」
医療をストップする訳にはきません。引っ越しの前日まで通常業務。スタッフが混乱しないように移動患者1人1人に容態を記したゼッケンを作成しました。
岩城看護部長「かなり残り時間が少なくなって焦っています。」
看護部長の岩城さんにとってめまぐるしい日々が続いていました。
3月21日。開院間近のこの日、新病院に2つの病院のスタッフが集まっていました。
看護師役「お薬手帳はお持ちですか?院内処方と院外処方ありますが、どちらにされますか?」
外来患者の受付から診察、薬の処方まで、一連の流れを確認するシミュレーションです。グループの副代表らも参加し、現場はピリピリとした雰囲気に包まれていました。
『平成医療福祉グループ』副代表・武久敬洋医師「今使っている(古い)案内札を使うの?その意味がわからない。やり直した方がいいですね、あまりに分かりにくいので。」
患者の視点に立った分かりやすいレギュレーションを確立させなければなりません。
『平成医療福祉グループ』副代表・北河宏之医師「2つの病院が合併してやることになるので、どうしても前の病院での”こだわり”が残ってしまうことがある。それをいかに新しく意識を変えられるか?新しいシステムでいかにスムーズに流すかということを、みんなで考えてやっているところです。」
そして迎えた引っ越し前日。新病院に続々と救急車が入って来ました。
岩城看護部長「全部で8台になるはずなんですけどね。平成医療福祉グループの病院が25ぐらい全国にあるんですね、そこからみなさん明日の為に前入りしていただいて、総合力で…」
グループの力を結集して患者移送が行われます。岩城看護部長は様々なケースに備え、救急車に積まれた医療器具を点検。全ての点検を終え、『堺温心会病院』に救急車が揃ったのは夜10時でした。60年にわたり地域をささえた病院は、この夜の急患受付をもって幕を閉じます。
岩城看護部長「患者さんをなんとか無事にお届けできたら…、それだけです。」
ひとりの看護師として赴任してから20年以上。岩城看護部長は、『温心会病院』最後の夜に一抹の寂しさを感じていました。
岩城看護部長「ちょっと感慨深いものがありますけどね…、ちょうど阪神淡路大震災とか、O-157(集団食中毒・1996年)に遭遇したんでね。ちょうど私が夜勤をしている時でしたので、そんなこともあったなとか。」
時に厳しい医療の現場も、ここで経験してきました。
警備員さん「お疲れ様。」
岩城看護部長「ありがとう。お疲れ様です。」
思い出のつまった病院とこれでお別れ。
岩城看護部長「なんとなく寂しい感じですけどね。我が家みたいな感じですからね。」
『堺恩心会病院』は、こうしてその歴史に幕を下ろしました。
夜が明け、いよいよ引っ越しがスタート。朝8時30分から入院患者たちの移送作業が行われました。
看護師「救急車に乗りますね?」
医師「動きます!」
寝たきりの患者さんをシミュレーション通り、安全かつ迅速に救急車に乗せ、新病院へ。医師やスタッフの手には岩城看護部長が組んだ緻密なスケジュールがありました。移送の順番、スタッフの配置、1つのズレが大きな混乱に繋がる恐れも…。
看護師「1人後ろについてきてください!」
看護師「酸素ボンベ足りてる?」
看護師「あるよ、ある、ある。」
岩城看護部長「スムーズにいっているかと思います。みんなのチームワークが良いのでスケジュールの順番通りにいけば新病院の受け手の方も順番通りに、(患者を)受けてもらえますので。」
岩城看護部長は送り出しの確認、新病院への連絡にあたっていました。当然、この日の容態が思わしくない患者さんもいます。
岩城看護部長「サイレンを鳴らしていきます。(患者の)状態が少し落ちたかなと判断できたので、サイレンを鳴らして行きました。今、新病院で処置をしてくれています。」
新病院に到着した救急車。ここでも、予め配置されたスタッフが手早く患者さんを病室へ、必要な処置があれば、すぐに対処できるよう病棟には通常業務を行う看護師も配置されています。新病棟は大忙し…。
看護師「患者さんが移送されるだけではなく、ケアをしないといけないのでちょっと大変です。」
『浜寺中央病院』でもリフトカーを使い、次々に車椅子の患者さんを移動。平成最後の春、こうして2つの病院は無くなり、新しい1つの病院へ…。
そして4月3日。1ヶ月前に完成した建物が病院としてスタート。以前の2つの病院の特性を併せ持ち、より機能と体制を備えた病院に。
入院中の100歳の男性「(引っ越しは)スムーズだったね、案外。すごい引っ越しだもんね、大変だ。」
100歳の患者さんにも負担のない今回の移動だったようです。
岩城看護部長「新しい療養環境にお届けすることができたので、張り詰めた糸がふっと切れたような感じ。建物自体がすごくきれいになったので、その分ソフト面をもっと上げていく。医療の質、看護の質、リハビリの質をもっともっと向上させて納得していただけるような病院にしていきたいと思います。」