早朝の奈良。
三脚をかつぎながら歩くのは、映像作家の保山耕一さん(55)です。
【保山耕一さん(55)】
「当たり前のことやん、桜が咲くことも、梅が咲くことも、朝が来ることも。でも、病気してから間違いなくいえることはそれが当たりまえじゃない。季節が正しくめぐってくるということがどれだけ、幸せなことかってすごく思う」
保山さんのカメラには、人々が、普段見過ごしている一瞬がおさめられています。
再発すれば、5年生存率は5%…後遺症と闘う日々
「鮮明に覚えているけど、(手術しないと)余命1か月、2か月ですねって言われたときに最初に思ったのが、『なんて自分の人生は短いんやろ』って。思っていた何十分の1。もう終わりなんって。自分の人生に限りがあって、それがこんなにも短かったんやっていう現実に言葉がなかった。『もう終わりなんや、俺』って…」
6年前、ちょうど50歳のとき、末期の直腸がんと診断されました。フリーランスのテレビカメラマンとして、活躍している最中の、残酷な宣告。
医師からは、「再発すれば、5年生存率は5%」と告げられる中、抗がん剤治療で乗りこえ、後遺症と闘う日々を送っています。
「50歳の時の俺は今から考えたら、ほんまに嫌な奴でしたよ。フリーランスなので自分で仕事を奪わなければダメ。やりたい仕事なんて椅子取りゲームと一緒で、席1個だけなんですよ。そのためには実力ですよ」
「仕事は全部なくなって、何にもなくなった。その時、自分に友達が一人もいないっていうことも…自分に分かって。30年以上、仕事しかしてへんかったから、自分には撮影することしかやることがなくて」
「次の桜が撮りたいから」
保山さんは、毎朝、自宅のある生駒から始発列車に乗ります。
がんの後遺症で頭痛やめまいが襲い、さらに、直腸を摘出したため、排便をコントロールすることができません。
「もともと毎朝撮り始めたのは、職場復帰したいから体力付けるために。リハビリで始めたんです。1%、2%また奇跡みたいなことが起きたら、体が元に戻ったらって。病気を克服したらって思うから、やっぱり続けているというか…」
撮影した映像は、編集し、音楽をつけて、作品としてSNSやユーチューブで公開しています。
今年1月、保山さんに嬉しい出来事がありました。
奈良を撮り続けた映像作品が評価され、大和郡山市から水木十五堂賞を授与されたのです。
記念の上映会は満席となりました。
「次の桜がみたいから。次の桜が撮りたいから。頑張っています」
純粋に風景と向き合い…「答えが見えかかってきている」
「テレビやっているときは違う目で見ていた。これ見て視聴者はこう思うやろとか、なんか、本当に撮りたいものではなくて、放送されたときにこんなリアクションあるやろとかディレクターに対して、『すごい絵、撮ったやろ』とか、風景の本質とは関係ないところで戦っていたような気がするけど」
「今は台本も無くて、ディレクターもいないので純粋に風景に向き合えるというか、そうなったときにこんなに美しかったんやみたいなことは思いますね」
「どうしたら見てくれている人の心に奥に届くものがとれるのかなっていう、答えが見えかかってきている。なんかまだ死にたくない。もうちょっとなんかやりたいねん」
「私に残された時間」が「私の命」
春日大社に、保山さんが大切にしている「1本の枝垂れ桜」があります。
つぼみが膨らみ始めた3月。
「春日大社の南門の横の枝垂れ桜は、特別なんです。桜そのものも美しいんですけど、春日大社の南門の朱の色と、石灯籠の苔むしているグリーンと。日本の美という感じで。こんなに美しい場所に咲いている、美しい桜があるなんて奇跡だと思います。日本の桜の中で一番美しいと思う」
そして4月3日。
保山さんにとって、「特別な日」がやってきました。
【保山耕一】「毎朝来てはるんですか?」
【参拝者】「週に一回くらいです。今日は綺麗ときいたので」
「あなたの命って何ですかっていうと、答えは一つで。それは、『私に残された時間』が『私の命です』って思っています。時間=命。自分に与えられた時間がなくなったら命もそこまで。時間こそ命。大切に自分の命を使わなければならない」
「僕はいま、一日一生なので。明日悔いがないように、今日やりたいこと、やれることを全部やって今日を終わりたい」