大阪の児童養護施設を出て「プロレス」の世界に飛び込んだ女性がいます。
難病を発症して引退することになりましたが、地元で行った最後の試合に施設の子どもを招待しました。
戦うことを通して伝えたい思いとは。
30年、戦い続けたリングを降りる
リングで戦うプロレスラーの中で一際大きな声援を受ける小さな選手がいます。
「ボリショイ!ボリショイ!」
コマンドボリショイ選手は、4月21日を最後に、30年間戦い続けたリングを降りる、人気女子プロレスラーです。
満員のファンの中で声援を送る子どもたち。ボリショイさんが招待した児童養護施設で暮らす子供たちです。ボリショイさんは、引退前最後の大阪での試合に、特別な思いを持っていました。
ボリショイさんは、中学卒業まで大阪市淀川区の児童養護施設「博愛社」で育ちました。
様々な事情で家族と暮らせない子供たちのための施設です。
【コマンドボリショイ選手】
「記憶はないんですけど、あとから聞いた話だと、きょうだいがたくさんいたので、私だけ乳児院に預けられて。きょうだいみんなで一緒に暮らしたこともないし、親と暮らした記憶も無いです」
周囲の反対を押し切り、プロレスに入門
関西テレビはボリショイさんがまだ中学生の頃に取材をしていました。
2歳で施設に入ったボリショイさんは小学生の時に見たプロレスに感動し、人生を捧げることに決めました。
【ボリショイさん】
「プロレスラーになるって決めていたので、全然勉強に身が入らず、空手ばっかりやっていました。夢です。それしかなくて。『絶対になる』という感じ。なるために中学3年間をどう使うかっていう」
施設の職員、学校の先生、空手の師範、全員の反対を押し切りました。中学卒業と同時にオーディションを受け、見事合格を勝ち取りました。
まだ中学生のボリショイさんでしたが、当時のインタビューには生き生きと、そして力強く答えていました。
(当時のボリショイさん)
『決意?もう大阪に帰って来えへんと思います。頑張ります』
プロレス界で得た「新しい家族」
プロ入りして以来、ボリショイさんは常に女子プロレスのトップを目指して走り続けてきました。2年前には女子プロレス団体「PURE-J」(ピュアジェイ)を旗揚げ。若い選手を育てています。
練習中のリングでは若い選手に向け、ボリショイさんの厳しい指導の声が飛びます。
「ちっちゃい!動きがちっちゃい!ちゃんとエルボー出さないと。あとチャージが遅い。練習不足」
一切の妥協を許さない厳しい姿勢。入門以来貫き通しています。
東京に出てきた時から見守る人は、他の選手とはプロレスに対する心構えが違っていたと話します。
【入門当初から知る 斎藤利志昭さん】
「そういうところ(児童養護施設)出身だからというわけではないんですけど、1つのものに向かって行って、『もう私はこれでやっていくんだ』という感じでしたから」
「いただきます」
練習の後、「PURE-J」のメンバーと一緒に食事。リングから降りると、雰囲気はガラッと変わります。
【マリ卍選手】
「体調悪い時とかストーブとか持ってきて、『もう寝て寝て』って。意識もうろうとしたら布団かけに何回か見に来てくれたり」
【コマンドボリショイ選手】
「単なる心配性やん」
「ファミリー、家族だよね。でも私はお母さんじゃないよ。よくお母さんって言われるけど。お姉ちゃんぐらいにして」
東京で“新しい家族”を得たボリショイさん。しかし、8年前から体は病に侵されていました。
治療法の無い難病…「引退」を決意
「ここが骨化してこう(神経)を触っちゃってるんだと思います」
「黄色じん帯骨化症」。
脊髄の周りのじん帯が骨になる、治療法のない難病です。その症状の一端を教えてくれました。
「マリちゃん(マリ卍選手)こんなんできる?私これがね、気持ち悪くてできないんだよね」
リズムを刻むように、つま先でトントンと床をたたくような動き。骨になったじん帯が背中の神経を圧迫するため、足の細かな動きができなくなりました。
「試合の時は気が張って、深く考えないようにしてやってるんですけど、どこかでゴールを決めないと取り返しのつかないことになるかなと思って」
育った大阪で、伝えたい思い
引退を決めたボリショイさん。
出身地大阪での最後の試合には強いこだわりがありました。
「私が児童養護施設にいた時もそうなんですけど、プロ野球選手が来たりとか、先生が連れて行ってくれたデパートは嬉しかったし、普通の家庭の人たちが、お父さんお母さんに連れられて目にするような景色を、施設の子たちにも少しでも多く外の世界を見せたい」
試合の前日。ボリショイさんは博愛社を訪れました。
そこで職員から渡されたのは、一度も見たことがなかった、ボリショイさんの保育記録でした。
【コマンドボリショイ選手】
「ええ、かわいい。知らなかったです。初めて見た」
【博愛社 西岡浩二 施設長】
「でもせつないよね。2歳になってすぐやもんな」
「私の人生で一番小さい写真だ。いやあ、かわいい。『排泄の習慣がまだついていない』って、へえ…。『大勢がそばに寄っていくと、大きな声で泣く』…」
親から聞くことが出来なかった、幼いころの姿です。
施設の広場に出たボリショイさん、遊んでいた後輩たちを大阪での試合に誘います。
「あした最後やねん。私」
「めちゃめちゃ行きたいんです」
「本当?おいでよ、おいでよ。みんなに見てほしいねん」
この場所で育ったから。
気持ちは誰よりもよく分かるから。
1人でも多くの子どもに自分の姿を見せたいと願っています。
施設で暮らす子供たちに…身をもって伝えたい
試合当日、大歓声に迎えられリングに登場したコマンドボリショイ選手。
(リングアナ)
「コマンドボリショイ選手へ博愛社の子どもたちより激励の花束贈呈です」
駆けつけた博愛社の子どもたちが見守る中。
「赤コーナー110ポンド、小さな巨人コマンドボリショイ~!」
試合開始のゴングと共に湧き上がる会場。
「秒殺になるだろおまえ!あぶねえな!」
「勝負の世界は厳しいってボリショイさんに教わりました」
時にコミカルに、また、技の応酬は華麗に大胆に…
女子プロレスの醍醐味を凝縮したその姿に会場の熱気も上がっていきます。
「ボリショイ!ボリショイ!」
歓声にこたえるコマンドボリショイ選手。
ずっと競い合ったライバルとの一戦。
博愛社に預けられてから、プロレスラーになり、今に至るまでの全てが詰まっていました。
試合後、大阪のファンに向け引退の挨拶をするボリショイさん。
「30年という長い間、プロレス界で頑張ってこれたのは応援して下さる皆さんのおかげです。本当に長い間応援ありがとうございました」
大阪での現役最後の試合が終わりました。
「ちゃんとお世話になった先生、今施設で暮らす子供たちに見てもらえて。将来何の不安もないよ、頑張ってやと、私が身をもって伝えてあげられるなと思って」
児童養護施設を飛び出して選んだ自分の道。ボリショイさんがリングから伝えたかったのは、努力を重ねて夢をかなえた自分の姿でした。
「ありがとうな。応援してくれて。頑張りや。大丈夫やからな」