ヨット単独世界一周に“再挑戦” 24 歳の元・海上自衛官 日本人の達成者は4人のみ“無寄港・無補給”最年少記録の更新へ “転職先の会社”のサポート受け...いざ出航! 2023年11月03日
単独でヨットに乗り、途中どこの港にも立ち寄らず、食料や燃料などの補給も一切しない“無寄港・無補給”で世界一周を目指す 24 歳の青年がいます。日本人ではこれまで 4 人しか達成していない、命がけの取り組みです。
【木村啓嗣(ひろつぐ)さん】
「平凡なヨット人生ではなくて、何か自分に挑戦できるようなチャレンジをしたいなと思いました。絶対に世界一周してやりたい」
取材班にそう語った彼のまなざしは熱意にあふれていました。
風の力だけで帆走し、必要な電気は太陽光、水力で発電するなど、自然エネルギーと共に、そして地球と共に成し遂げる挑戦となります。
達成すれば日本人“最年少記録”が更新される、元・海上自衛官の”再挑戦”を追いました。
■決して易しくはない“夢”への旅路
ヨットでの世界一周を目指しているのは、兵庫県西宮市に住む木村啓嗣さん(24)。大分県の高校でヨット部に入り、卒業後は海上自衛隊で潜水艦の乗組員として勤務していました。しかし、単独・無寄港・無補給で世界一周をする夢が諦めきれず、3年前に転職。そこから夢をかなえる準備をしてきました。
【木村啓嗣さん】
「高校に入ってからヨットというものを知って、ヨットと海にドはまりしてしまいました。たまたま26歳10カ月で白石康次郎さんが達成されているというのを知って、迷うこともなく(挑戦)したいと思って、自分の限界を知ってみたいというのが走り出しの源でした」
そして、2022年11月。ヨットハーバーで大勢の人に見送られながら、出航を前にあいさつをする木村さんの姿がありました。
【木村啓嗣さん】
「もしかしたら明日帰ってくるかもしれないけど、その時もこのくらいの人数で迎えてくれると助かります!応援のほどよろしくお願いいたします」
ついに夢をかなえるために出航しました。
【木村啓嗣さん】
「11月15日の朝8時10分です。伊豆諸島の間を抜けています。ここから先は行ったことがないエリアなので、ちょっと緊張感が増します」
ヨットの上で撮影された映像では、決して易しくはない船路の状況が語られていました。
【木村啓嗣さん】
「5日目です。北側に低気圧がある関係で、まあまあ荒れています」
その挑戦は、わずか10日で断念。日本に引き返すことになりました。一番の理由は、単独航行に欠かせない自動操舵システムの故障だったといいます。木村さんは「正直、行けるところまで行って、死にかけて、誰かに助けてもらう選択肢もあったと思います。それで達成できなかったら、もう一度行くチャンスなんて、もらえないなと思っていました。自分なら行けると思っていたのに、という感情。引き返すのは悔しいけど、今のままでは達成なんて程遠い」と、悔しい心境を語りました。
■悔しさを胸に再挑戦 夢をサポートする周囲の存在
今年4月、チャレンジ失敗からおよそ5カ月が経過した頃。木村さんは世界一周への再チャレンジを目指して動き出していました。
【木村啓嗣さん】
「ここが今回一番大きな損傷箇所で。ここを直さないと世界一周には行けないという状態」
もともと故障していた自動操舵システムだけでなく、船体にも損傷が判明。航海における海の恐ろしさをまざまざと感じました。
【木村啓嗣さん】
「とにかく船はより強く造っていかないといけないという状態が明白なので。自分が思っていたよりも、さらに強くしておかないといけない。2回目も失敗するわけにはいかないので、2回目に対するプレッシャーを感じつつ、しっかり準備していきたいなと」
ヨットの修理が終わった5月、西宮市からハワイのオアフ島まで、無寄港・無補給で航海するトレーニングを実施しました。
【木村啓嗣さん】
「揺れがきつくて、めちゃめちゃしんどいです!今日だけでもいいので、家で寝たいですね。今日ぐらい家の湯船に漬かりたいです」
およそ2カ月半かけて、ハワイからの往復に無事成功し、手応えをつかみました。
再挑戦となる今回の総航行距離は、約5万2000キロを予定しています。兵庫・西宮から太平洋を横断し、南米最南端のチリを経由。その後、南アフリカを通過して、オーストラリアの横を通り、西宮へ戻ってきます。特にルートの中盤で通る、チリ最南端のホーン岬が最難関ポイントです。その難しさについて、地図を指さしながら説明する木村さん。
【木村啓嗣さん】
「ここ(ホーン岬)にチャレンジする人が多くて、80%くらいの人が通過できないんですけど。ここに山の壁があるので、風がぶつかるんですね。すごく風が強いので、ここを通過するとこっちに戻れない。風が吹き込んでいるから」
そんな木村さんが勤務しているのは、大阪・高槻市の総合リサイクル会社「浜田」。木村さんが目指す世界一周を、約20人の社員たちがサポートしています。今回のチャレンジでは、ヨットの整備や、天候に応じた適切なルートを見定めるなどの重大な役割を担っています。
今回の再挑戦には億単位の費用がかかったようですが、「浜田」の社長・濵田さんは、夢を追う木村さんを全面的に支えています。
【浜田 濵田篤介社長】
「ヨットが好きな、生意気な坊主やなと思いましたね。直感的に応援したいなと思って、うちの社員として仕事をしながら、準備を進めていって。実際こんなにお金がかかるとは思っていなかったんですけど」
世界一周の挑戦は一人だけのものではなく、チーム全体の夢になっていました。
■いよいよ出発…心配する家族の想い
10月、出航まであと4日に迫った日。故障していた部分の工事も無事終わり、一段と強いヨットになったところで、いよいよ海へ降ろします。
ヨットにはたくさんの食料を詰めた箱が積まれていましたが、食事を取るのも海の上では容易ではないといいます。
【木村啓嗣さん】
「これは“ボーナスタイム”の食料です。ボロネーゼ。これは温めるだけなので。パスタとかは自分に余裕がないと作れないんです。揺れている船内でお湯を使うのも、そういう海の環境じゃないとできないので。そういう関係で、これが食べられるときは贅沢飯です」
ついに出発に向けた準備は整いました。出航前夜、実家の大分から家族がかけつけ、みんなで食事をしました。
Q.木村さんはどんな人ですか?
【姉 咲貴さん】
「小さいころから傍若無人というか。竹を切ってきて、弓を作って、釣り竿を作ったり。小さいころからサバイバル能力はすごいなと思っていましたけど、ここまで大ごとになるとはあんまり思ってなかったです」
【母 妃佐妃さん】
「さみしい時はどうするの?って思いながら、そこはちょっと心配ですね」
【木村さん】
「あんまりさみしいと思うことはないな。さみしいより、何というかすさまじい恐怖と不安の方が、影響力がでかいな」
【母 妃佐妃さん】
「必ず成功して帰ってくるだろうという思いもありながら、“もう行かんでいいやん。普通の会社員として暮らしたらいいやん。何がダメなん?”って言いたいけど、そういうのは(木村さんには)通用しないので、もう行ってらっしゃいと言うしかない。啓嗣はうちの家の原動力です。半年間いないのが私にとっては、すごく、すごく心配でさみしいです」
【木村啓嗣さん】
「これはかなり恥ずかしい放送になりそうですね」
お母さんの愛情あふれる言葉に照れた様子の木村さん。食事の後は、家族みんなで木村さんを囲んで写真を撮りました。
そして迎えた当日。木村さんの世界一周チャレンジを応援する人たちが集まり、ヨットハーバーは人でいっぱいになりました。
【木村啓嗣さん】
「昨年、残念ながら戻ってきてしまったので…今回も戻ってくるんですけど、ちゃんと世界一周を周って、途中で引き返すことのないようにがんばっていきたいなと思っています。僕なんかのために来てくれて、ありがとうございました」
順調に行けば、帰ってくるのは来年の5月ごろの予定です。今まさに海の上を進んでいる木村さんから、番組にビデオレターが届きました。
【木村啓嗣さん】
「テレビをご覧の皆さん、こんにちは。こんばんはかな?世界一周挑戦者の木村啓嗣です。時刻は10月30日の朝9時です。小笠原諸島の東側、約200キロの位置を東に、ハワイに向かって走っています。順調に進んでいます。今日これから風が弱くなる予報なので、スピードは落ちてくると思うのですが、しっかり風をつかんで走っていきたいと思います」
この大きな夢への旅は、まだ始まったばかりです。
(関西テレビ「newsランナー」2023年10月30日放送)