歌い継がれる『しあわせ運べるように』を能登へ 阪神・淡路大震災で生まれた歌が神戸から全国に 「苦しみを乗り越えられるような歌にしたい」 2025年01月10日
29年前に神戸で生まれた「歌」が、能登半島地震の被災地に贈られました。
■阪神大震災で生まれた歌を石川へ
神戸で長く歌い継がれている「しあわせ運べるように」。阪神・淡路大震災の犠牲者への祈り、そして復興への願いを込めた歌です。
2024年2月、新潟中越地震の被災地から中学生たちが神戸を訪れました。この歌の作者、臼井 真さんに会うためです。
小学校の音楽教師だった臼井さんは、現在は神戸親和大学で教師を目指す学生を教えています。震災以降、歌を通じた交流が今も続いていました。
被災した石川を思い、一緒に歌を届けます。
【新潟・山古志中学校の生徒】「避難生活を強いられている人がいると思うので、その人たちが早く安全な普段通りの生活に戻れるようになるといいなという願いを込めたいです」
【神戸親和大学の学生】「今はつらい思いをされている方がすごく多いと思うんですが、神戸も復興してきたように、輝いている未来が必ず待っているんだよという歌詞の意味も込めながら、それが伝わったらいいなと思います」
【臼井 真さん】「心の傷が何年たっても、特に遺族の方は開いた傷がふさがるわけではない。だけど、その傷が少しでも小さくなるようにという思いで、歌っていってほしいと思います」
■能登に届いた歌 「胸いっぱいになりました」
神戸で生まれた歌は、東北や熊本など、全国の被災地に広がりました。
被災し、希望を抱くことが難しくなった人たち。そんな中でもこの歌を聞くことで、この歌を歌うことで、少しだけ心が安らいだのです。
【熊本・帯山西小学校の児童】「私たちも地震を経験した時にたくさん支援をしていただいたので、少しでも力になれたら」
【熊本・帯山西小学校の児童】「つらい思いや悲しい思いをしてきた人もいっぱいいると思うので、その悲しみや苦しみを乗り越えられるような歌にしたい」
石川に心を寄せて。全国各地の子どもたちが、それぞれの思いを乗せた歌を歌います。
子どもたちの歌を聞いた能登の人たちは、どのように感じたのでしょうか。
【能登町の避難者の男性】「まだ(被災して)2カ月なので、なかなかそういう気持ちになれないかもしれないけれど、みなさんに思っていただけているので、私たちも1歩ずつでも前に進めるように気持ちを持たんといかん」
【能登町の避難者の女性】「ここには子どもが少ないんですけど、年寄りが多いので、大人が見るとじーんときますよね。子どもの歌を聴いていると涙が出てきますね。胸いっぱいになりました」
歌の作者・臼井さんは、この歌についての思いを次のように話しました。
【臼井真さん】「歌は衣食住が安定した頃に届くと思う。能登の震災から約2カ月の今はまだ早いかもしれないけど、このタイミングで現地の子どもたちが自分のふるさとに向けて歌ってほしい」
傷ついた被災者に寄り添う気持ちを込めた歌は、これからも歌い継がれていきます。
(関西テレビ「newsランナー」 2024年3月5日放送)