6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で29年です。神戸市の東遊園地では追悼行事「1.17のつどい」が開かれ、地震が起きた時刻の午前5時46分に祈りが捧げられました。
このつどいで遺族代表として言葉を述べたのは、神戸市に住む鈴木佑一さん(34)です。
佑一さんは当時、兵庫区の「神戸母子寮」に母と兄と3人で住んでいましたが、母子寮は震災で全壊。兄と母の富代さん(44)とともに下敷きになり、富代さんを亡くしました。
1月17日に近づくと、お地蔵さんが並べられた祠がある「神戸母子寮」跡地に必ず来ます。
【鈴木佑一さん】「僕の母のお地蔵さんは、兄が作ったものです。ここで手を合わせると自分のいろんな気持ちの整理になったりするので」
震災後、父は兄を引き取り、佑一さんは児童養護施設に。わずか5歳で1人ぼっちになりました。
【鈴木佑一さん】「このままだったら自分は1人で人生終わっていくと感じて、すごい怖かったんですよね。頑張って生きるというよりかは死ぬのが怖いから頑張るという状況でした」
ほとんど記憶にはない母の姿。それでも、たった1枚の一緒に映った写真にある、母の言葉に支えられました。
【鈴木佑一さん】「(母との写真の裏に)『愛する佑一と』というメッセージがあって。愛してくれていたんだなと思うし、母にとって自分は大切な存在だったんだなと思いますね」
家族の存在と再び向き合った佑一さん。兄と会う決心が、去年やっとつきました。
【鈴木佑一さん】「今はこの写真を兄と一緒に観たりできますし。家に飾るようになったなと思いましたね」
悲しみの中でも家族の尊さに気づけたのは、出会った人々の温かさに触れることができたからだと言います。
今年は母の名前が銘板に刻まれた東遊園地で、地震発生時刻の1月17日午前5時46分を迎えます。
【鈴木佑一さん】「周りで関わってくれる人が自分の人生を少しでも支えてもらったので。そういう人たちがいるっていうことに感謝をして、何かしら僕が生きていることが役に立てたらな」
17日のつどいでは、鈴木佑一さん(34)が、遺族代表として言葉を述べました。
【鈴木佑一さん】「私は震災で⼤切な⺟を失いました。しかし、震災の後に多くの素晴らしい方々に出会い支えてこられてきたことも事実です。その⼈達に感謝をして、何か少しでも恩返しをしていくために生きていく。自分が経験した震災のことを伝えて1⼈でも元気になってくれる方がいたらと思い今日この場所に立たせていただきました。これからも私の⼈生で嬉しいこと、悲しいこと、辛いことなどが沢山あると思います。そこで新たに出会っていく⼈たちに感謝をして日々生きていきたいと強く思っています」
街が復興し、どれだけきれいになったとしても、心の進みは1人1人違っています。阪神・淡路大震災に終わりはありません。
(関西テレビ「この瞬間に祈る」 2024年1月17日放送)