疎開地だった箕面になぜ不発弾が? 住宅街で見つかった「1トン爆弾」の謎 浮かび上がった「掩体壕」の存在10月03日 08:00
箕面市内の住宅地で見つかった不発弾。無事に撤去が完了しましたが、ある「謎」が…。
戦時中は疎開地だったはずの箕面市でなぜ不発弾が見つかったのか。
取材を進める中で浮かび上がってきたのは、50年前にも同じ地で不発弾が発見されていたという事実。そして、軍用機などから空襲を守るシェルター“掩体壕(えんたいごう)”の痕跡でした。
戦争と無縁と思われていたこの町に、いまも眠り続ける歴史の断片があったのです。
80年以上前の「記憶」を求め徹底取材しました。
■信管付きの「1トン爆弾」が住宅街に
9月27日、大阪府箕面市で行われた不発弾の処理作業。阪急箕面駅からわずか300メートルほどの閑静な住宅街に現れた物々しい光景に、近隣住民およそ2400人が避難を余儀なくされました。
見つかったのは、全長180センチ、直径60センチ。通称「1トン爆弾」と呼ばれるアメリカ製の爆弾で、起爆装置の信管が付いたままの状態でした。太平洋戦争中に使われたものとみられます。
処理作業にあたったのは、毎年3〜4件の不発弾処理を行う陸上自衛隊第103不発弾処理隊です。
【陸上自衛隊第103不発弾処理隊 木下剛隊長】「戦後81年たっておりますが、(信管のねじが)そんなに固くなく、思った時間よりは短くできたのかなと思っております」
信管が無事に取り外され、慎重に引き上げられました。しかし、この不発弾はある"謎"を残したのです。
■疎開先になぜ爆弾が?
取材班が後日、処理隊のもとを訪ねると、木下隊長はある違和感を語りました。
【陸上自衛隊第103不発弾処理隊 木下剛隊長】「戦時中の箕面市は、大阪市などからの疎開先、および後方支援の拠点になっていた。爆撃などの被害はなかったのかなと考えます」
大阪府内で不発弾が見つかりやすいとされるのは、軍事工場が集中していた大阪城周辺や吹田市など。
一方、箕面市は疎開先として位置づけられており、攻撃の対象になりにくい場所だったはずです。
それにもかかわらず、なぜそこに不発弾があったのか。
取材班が市内を回って手がかりを探す中、有力な情報を持つ人物と出会いました。
■「50年前にも爆弾が出てきた」
箕面市で80年以上暮らし続けてきたという上田春雄さん(82)です。
【上田春雄さん(82)】「ドライブウェイが拡幅されることになりまして、そのために工事した時に爆弾が出てきた。僕の30代前半ぐらいの時に、1回体験してるんです」
上田さんによれば、およそ50年前にも箕面市で不発弾が発見されており、当時のエリア住民は全員避難し、電車も運行停止となる大混乱だったといいます。
箕面市もその存在を確認していました。
疎開先であったはずの箕面市で、不発弾が複数回にわたって見つかっているこの事実は、この町が何らかの理由で"狙われた"可能性を示唆するものでした。
謎はさらに深まりました。
■学芸員が掘り起こした“軍事施設”の記録
謎の解明に乗り出したのが、箕面市立郷土資料館で戦時中のできごとを調べる学芸員の金田満帆さんです。
「newsランナー」は金田さんの協力を得て、箕面市に残る未知の戦争の跡を調べることにしました。
まず地元の老人会を訪問すると、92歳の内田善丈さんがある記憶を語り始めました。
【内田善丈さん(92)】「軍が軍事物資をたくさん運ぶために、道が広くないといけないということで、幅の広い道路ができ上がって、その道路の171号線沿いに、掩体壕という半円形の格納庫を作りまして、それを道路沿いに何カ所か作った」
「掩体壕」とは、軍用機などを空襲から守るために作られた「シェルター」のことです。
この証言は、学芸員の金田さんにとっても初耳の情報でした。
【内田善丈さん(92)】「B29が飛んで行ったあとで見ると、必ず飛行機雲が通るんですよ。とにかく暑い日、そんなん見た記憶がありますね」
戦争を実際に体験した世代のわずかな“記憶”が、埋もれていた歴史の糸口を手繰り寄せたのです。
■公文書が裏付けた“もう一つの箕面”
後日、金田さんから取材班に連絡が入りました。調査に大きな進展があったというのです。
金田さんが箕面市役所の資料庫に保管されていた大量の資料を調べ直したところ、戦時中の資料が見つかりました。
【箕面市立郷土資料館学芸員 金田満帆さん】「飛行機を疎開してたような、掩体壕という施設があったという記録が残ってますね。おおよそ現在のイナイチ=171号線沿いに、(掩体壕の)場所があるようなことは確認できている」
資料には、掩体壕を建設するために日本軍へ土地を貸し出したことが明記されていました。
■直接の関連があるとは言い切れない
では、その掩体壕を狙って爆弾が投下されたのか。取材班が問うと、金田さんは慎重な見方を示しました。
【箕面市立郷土資料館学芸員 金田満帆さん】「場所がちょっと、狙ったとはいえないんじゃないのかなというところがありますね」
今回見つかった不発弾の発見場所と掩体壕の位置には距離があり、直接の関連があるとは言いづらいとのことでした。
不発弾の謎の全貌解明には至りませんでしたが、金田さんはこの調査が持つ意義を語りました。
【箕面市立郷土資料館学芸員 金田満帆さん】「当時の日本は必ずしも、どんな場所でも戦争とは無縁だったというところは、ほぼないと思います。
今回、空襲がなかったといわれている箕面市で、実際に掩体壕のような軍事施設があったということが分かったのも、またひとつ当時の箕面市を、よく知るきっかけになった。
80年以上たった今の時代でも、対応に追われるという部分が出てくるので、何かしらの形で後世に伝えていく事は大事だとあらためて思いました」
全貌の解明には至らなかった不発弾の謎。
戦後81年、私たちの知らない歴史はいまも眠っているのかもしれません。
(関西テレビ「newsランナー」2026年9月30日放送)