関西のニュース

【速報】福島第一原発事故受け関西に避難した人たち起こした裁判 国の責任認めず 大阪地裁 2022年に最高裁が国の責任を否定して以来、同様判決続く09月02日 11:04

福島第一原発の事故を受けて福島県などから関西に避難した人たちが国と東京電力の責任を問うた裁判で、大阪地裁は国の責任を認めませんでした。 最高裁判所が2022年に「東京電力に適切な対策をとらせていたとしても事故を避けられなかった可能性が高い」として国の責任を否定して以来、原発事故を巡って国の責任を認めない判決が続いています。 ■事故から2カ月 3歳長男と5カ月長女連れて避難

福島第一原発の事故を受けて福島県などから関西に避難している221人は、国と東京電力に対して、原発事故への対策を怠り、事故後も十分な支援をしなかったとして、あわせて29億2000万円あまりの損害賠償を求めています。 原告の多くは事故による避難指示を受けていない地域から避難してきた人たちです。 ■避難指示区域・区域外からも多くの人が避難

2011年3月に起きた東日本大震災。津波によって福島第一原発は事故を起こし、周囲に放射性物質が飛散しました。 政府は避難指示などの区域を決定し、この区域内から一時、11万人以上が避難しました。(2012年8月時点・裁判資料などによる) 郡山市は、原発からおよそ60キロ。政府から避難指示を受けることはありませんでしたが、森松さんたちは、周囲に放射線量が高い場所があり、国などが示した基準によって子供が外で遊ぶことを制限されるなど、郡山での生活を心配し避難に踏み切りました。こうした人たちは多い時で5万人ほどいたとされます。(裁判資料などによる) 森松明希子さんは2013年の取材に「こんなに長く2年半も避難しないといけないなんてそのときは思ってもいなかった」と語っていました。 ■勤務医の父は地域医療のため地元に…

一方、勤務医である夫の暁史さんは、地域医療を支えるため、地元に残る選択をしました。 子供たちが幼いころは、年に数回、郡山市に帰ることもあり、そんなときには料理好きの暁史さんが腕を振るいました。 当時2歳だった明愛さんは、父親の作る料理を「おいしいの!」と喜び、「ずーっとおる」と話すことも。

子供たちが大阪に帰るのを見送ったあと、暁史さんはコップに注いだ酒を飲みながら家族の写真を見つめていました。 【父・暁史さん】「ついつい酒量が増えちゃうんですよね、恐ろしいことに。原発事故のあと、辞めてしまった医師も多いので、支えないといけないんです。家族は元気で、大阪にいればいいのかなって…」 「親として、少しでも子供たちのリスクを下げたい」という思いからの決断でした。 ■事故から15年 家族バラバラの生活は続き

裁判は提訴から12年経った、去年12月にようやく結審を迎えました。しかし、大阪での生活が続き、子供たちの進学や交友関係など、地元に帰ることは難しくなっていました。 2026年8月のお盆、今も郡山市に1人残る父・暁史さんは、家族とバラバラの暮らしを「うちに帰ってきて誰もいないとき、ふと、めちゃくちゃ寂しくなる」とつぶやきました。

裁判の原告団長となった母の明希子さんは、さまざまな場で、家族がバラバラに暮らさざるをえなかったという被害を認め、不安に思った人が誰でも避難できる権利を確立することを求めて訴えてきました。 【明希子さん】「国と東電が共同でちゃんと賠償して、そして国策でこれが間違いだったということをそれから責任をとるべき人がとるという判決をくださなければ、私たちの未来はないというふうに思っています」

そして15歳になった長女の明愛さんは、今年初めて避難生活と裁判について、初めて人前で自分の言葉で語りました。 【森松明愛さんのスピーチ】「私には事故の記憶は当然ないですし、物心ついたときにはすでに父と離れて暮らしていたので、正直言うと、ふるさとを奪われたという実感を自分の言葉で語ることは難しいです。けれど、15歳になった今の当事者として、今の社会に対して強く感じている危機感があります。 本来、今の日本では戦争反対と当たり前に言えるのと同じように、原発反対も当たり前に言える社会であるべきです。しかし、国民が事故を忘れていくのと同時に、何年、十何年かけてじりじりと原発が正義になります。ただ、今一番多いのは、どうでもいいという無関心な層です」 原発事故が起きなければ、家族が離れて暮らすことはありませんでした。

この記事をシェアする

最新のニュース

関西のニュース一覧