【解説】高市総理「台湾有事は存立危機事態になり得る」答弁はなぜ反日デモを引き起こさなかったのか 「尖閣国有化」受けた反日デモでは「警察」や「共産党市委員会」に矛先 2012年反日デモの現場から考える06月27日 20:00
「武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得る」
2025年11月、衆院予算委員会での「台湾有事」に関する高市早苗首相の答弁。
これを機に中国政府高官の日本や高市政権に対する「強い非難」が目立つようになるが、一方で、街頭に大規模な反日デモの姿はない。
筆者は2012年に中国各地で起きた大規模な反日デモを上海特派員として取材した。
この時のデモは、野田政権による尖閣諸島の国有化がきっかけだった。
「尖閣」と「台湾」。
どちらも中国政府が重視する「核心的利益」にかかわる事柄でありながら、なぜ市民レベルの反応が異なるのか。
当時の取材の記憶を振り返りながら考えてみる。
■制御を失っていった群衆と、立ちすくむ国家
2012年9月、野田佳彦政権による尖閣諸島の国有化を受け、中国各地で大規模な反日デモが相次いだ。デモは全国100以上の都市に広がり、日系企業や日本関連施設、日本車が次々と標的となった。
中国では本来、デモや集会は厳しく規制される。しかしこの時、インターネット上のデモの参加を呼びかける投稿は削除されることなく拡散された。
結果、「反日デモ」の規模は雪だるま式に膨れ上がっていく。
中国当局は通常、政府への批判につながりかねない大規模な集会やデモを即座に封じ込める。にもかかわらず、2012年の反日デモは事実上黙認され、全国規模に拡大した。
背景には、国内に蓄積された不満を対外的な怒りへと転化させる「国民感情のガス抜き」という狙いがあったとの見方がある。「反日」という抗議対象は、体制批判に直結しにくく、世論をまとめやすい「都合の良い」ものだった。
■日本人だと気づかれないよう
海外特派員はデモ取材の機会が多く、危機管理を踏まえた取材の仕方にも慣れてくるものだが、この時のデモ取材は性質がまったく異なっていた。
怒りの対象が「日本人」そのものであり、日本人記者自身が危険にさらされる可能性があったからだ。日本人と気づかれにくい服装を選び、小型カメラを用い、中国人スタッフと行動する。それでも、数万人規模の群衆の中に入ると常に恐怖が付きまとった。
ケガをしたり、命を落とすなどして「自分がニュースになる」ことだけは、絶対に避けなければならなかった。
■赤い横断幕が語る「組織的関与の可能性」
デモで強く印象に残ったのが、短期間で大量に準備されたとみられる、完成度の高い赤い横断幕の存在だ。文言やデザインには強い統一感があり、字体や配色もそろっている。
デモ参加者が思い思いに用意した即席のプラカードとは明らかに異なり、個人レベルで準備したとは考えにくい不自然さがあった。
「赤い横断幕」が並ぶ光景は、日本への抗議の声の背後に、一定の組織的関与があった可能性を感じさせるものだった。
■「愛国無罪」の矛先が警察に向かう
デモが激化する中、日本車がひっくり返され、破壊される様子が中国各地で確認されるようになった。現場では「愛国無罪」という言葉が繰り返され、それが行為の免罪符のように使われていた。その空気が、日本車の破壊や略奪に対する心理的なブレーキを外していった。
しかし、破壊された車両の中にはパトカーも含まれていた。当時、中国で使われていた警察車両の多くは、日本メーカー製であったからだ。
「愛国」を掲げた行為が、結果として警察という国家権力を象徴するものにも怒りの矛先が向かうという大きな皮肉。
デモの中では、知らず知らずのうちに、警察や国家権力そのものへの不満が噴き出し始めていた。
■デモの群衆が人民解放軍の施設を包囲
湖南省長沙市では、日系スーパーがデモ隊に襲撃された。店外に持ち出されたソファなどの備品に火がつけられ、周辺は一時、黒煙に包まれた。店内への放火は免れたが、その後、略奪行為が行われていたことが、市民が撮影したSNS映像などから明らかになっている。
それと並行して、一部のデモ隊が人民解放軍の関連施設周辺を取り囲む場面も確認された。反日を掲げて始まったデモが、徐々に中国政府や共産党の権力そのものへと視線を向け始める。
■潮目が変わった深センのデモ
広東省深セン市で行われたデモには、万単位の参加者が集結した。当初、標的になるとみられていたのは日系商業施設だったが、デモ隊は途中で進路を変え中国共産党・深セン市委員会の前へと向かった。
まさに潮目が変わった瞬間だった。
事態を重く見た当局は、武装警察を投入し、催涙弾を使用してデモの強制的な鎮圧に踏み切った。
白い煙が立ち込め、群衆は一斉に後ずさる。目に鋭い痛みが走り、喉の奥が焼けるように熱くなった。息を吸うたびに、強い刺激が胸の奥まで落ちてきた。そのような状態の中で、何とか態勢を保ち、自分のカメラに向かって現場の状況をリポートしていた。

当時の反日デモに共通していたのは、誰が主導しているのかが最後まではっきりしなかった点だ。
隊列や掛け声には統一感があった一方で、群衆の前面に立ち、全体を指揮する明確なリーダーの姿は確認できなかった。怒りは感情の連鎖によって膨張し、群衆そのものが空気に押されるように動き続けた。
その曖昧さが、制御の仕組みを欠いたまま暴走を招いていった。
当局にとっても、この構図は扱いづらかったはずだ。指導者や組織が見えれば、拘束や切り離しによる沈静化が可能だった。しかし、管理する相手が「群衆そのもの」になったとき、どこで沈静化の線を引くべきかが見えにくくなる。
深センで催涙弾が使用されたのは、中国当局にとって限界を超えたことを示す出来事だった。白煙の中で群衆は後ずさり、明確な方向を失ったまま、デモは押し流されるように沈静化していった。
■群衆の怒りの正体が分からなくなる
反日デモの現場のはずなのに、自分が見ている群衆の怒りの正体が分からなくなる瞬間があった。それは、隠されてきた本当の怒りの矛先が、ふと姿を見せた瞬間だったのかもしれない。
あの光景はいまも、目に焼き付いたまま消えずに残っている。
現在の反日感情は、街頭ではなく、ネット空間で広がっているように見える。「反日の言葉」は増幅されても、群衆として可視化される前に抑え込まれているのが実情だ。
それが社会の成熟によるものなのか、2012年の記憶が中国当局の判断にいまも影響を及ぼしているのか。習近平氏の考えを知るすべはないが、私は2012年の経験が歯止めになっていると、当時の現場を知るものとして感じる。
(関西テレビ 報道映像部 田中秀尚)