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「初めてや!分からへん!」大阪城の地下7メートルに眠る"謎の石垣"の正体は? 上下すら判別できない謎写真に兵動さん困惑…雨との戦いでさらに焦る 空堀商店街から始まる歴史再発見【兵動大樹の今昔さんぽ】04月26日 10:00

一枚の写真から街を再発見する「兵動大樹の今昔さんぽ」。 今回の舞台は、大阪市中央区谷町6丁目にある空堀商店街です。 大阪城公園に近く、美味しいものがたくさんあって、歴史も深い空堀商店街の前で兵動さんが受け取ったのは、1959年(昭和34年)に大阪で撮影された一枚の古い写真。兵動さん、受け取った瞬間から大混乱です。 【兵動大樹さん】「え、何これ、どっち? これ初めてや!分からへん、どっちや」 写真の上下すら判別できないという異例の展開。 どうやら上から下を撮影しているようで、何かを発掘しているようにも見えます。 今回はここから思いもよらない歴史の大冒険が始まります! ■空堀には“石垣”が残っている?

さっそく商店街で聞き込み開始! 通りかかった女性に写真を見せると、「まだちょっと生まれてない」との返答が。 【兵動大樹さん】「『ちょっと生まれてへん』っていう言い方が大阪やねん。ちょっとだけ生まれてないねん」 別の男性に写真を見せると、「大阪城の石垣?」という推理が飛び出しました。 さらに和菓子店の店員さんからは、「石垣はこの向こう側も下もある。そこを通っていくと石垣がある」という具体的な情報も。 空堀の街には至るところに石垣が残っていて、なんと店内に石垣がそのまま残されているお店まであり、石垣の席を予約するお客さんもいるのだそうです。 ■空堀の石垣の正体は「大阪城の堀?」それとも…

地元の方に教えてもらったスーパーの裏側を見に行ってみると、確かに立派な石垣がありましたが… 【兵動大樹さん】「石垣やな。ここが大阪城の堀の名残りって言ってはるやろ。でもこれ極めて新しいねん、すごく。『掘ったぞ感』があるやん。微妙やな」 ちなみに「空堀」という地名は、大阪城の南側にあった一番外側の堀「南惣構堀(みなみそうがまえぼり)」があった場所に由来しています。 水の入っていない空の堀だったことから「空堀」と呼ばれるようになったのです。 今回の写真は、その外堀の一部なのでしょうか? ■空堀は「瓦の土」の採取場だった?

商店街の方に「昔のことに詳しい人」として紹介された1765年創業の鰹節店「丸与」へ向かいます。 写真を見せると、大将が重要なヒントを教えてくれました。 【鰹節店の大将】「大阪城ちゃいますか?」 【兵動大樹さん】「スーパーの前の筋にも石垣がありましたけど」 【鰹節店の大将】「あれは違います。あれは瓦の土を取って段差になったから石垣で埋めた」 江戸時代後期の地図を見ると、空堀商店街あたりには「瓦土取バ」の文字が。 瓦を作るために土を取り、崩れないように作った石垣が残っているのだそうです。 つまり、スーパー裏の石垣は大阪城の堀の名残ではなく、瓦の土を採った跡に築かれたものだったのです。 ■この石垣の正体は…

今回の写真は、空堀に残る石垣ではなさそうだということが分かってきました。 さらに以前の取材でもお世話になった空堀商店街の「宇治茶園」へ。 海外からのお客さんにも評判のお茶をいただきながら、写真について聞いてみます。 【宇治茶園・宮下さん】「(これは)大阪城内の掘削やと思うわ。元の焼けた大阪城の石垣とちゃうかな」 写真の石垣は地中深くにあることから、空堀ではなく大阪城内の石垣ではないかとの見立てです。 1614年の大坂冬の陣の後、徳川家が講和条件として外堀を埋めさせ、その半年後の夏の陣で大阪城を落としたのです。 ■いまの大阪城はにせもん?ほんまもん?

いよいよ大阪城へ。城内にある「豊臣石垣館」で、館長の跡部さんが出迎えてくれました。写真を見せると…。 【跡部さん】「大阪城です。地下に埋もれている石垣が発見されて、その調査をしているところ」 現在の大阪城天守閣は豊臣時代、徳川時代に続く三代目で、市民の寄付によって建てられたもの。 そして今、地上に見えている石垣はすべて徳川時代のもの。豊臣時代の石垣は、徳川幕府が分厚い盛土で「埋め殺し」にしてしまったのです。 【跡部さん】「ですから『秀吉の時代の石垣』というのは地上では見ることができないんです」 【兵動大樹さん】「居酒屋とかでおっさんが、『あれほんまの大阪城ちゃうねん、豊臣の大阪城は地下にあんねん』って言うてんのは、まんざらウソでもないっちゅうことですか」 【跡部さん】「まんざらウソでもないけど、地上の大阪城もほんまもんです」 豊臣石垣館で展示されている石垣には、大坂夏の陣で燃えた火を受けた赤色の痕跡も残されています。 ちなみに兵動さんは、この施設の建設にふるさと納税で寄付をしており、館内に家族全員の名前が入ったネームプレートが残されていました。 ■雨との戦い!地下7メートルに眠る"謎の石垣"をついに撮影

今回の写真は、豊臣石垣館に展示されている石垣(1984年発見)とはまた別の場所。 1959年に発見された当時は「謎の石垣」と呼ばれていたそうです。地下7メートルに眠っており、普段は非公開ですが特別に開けてもらえることに。 ところが、複数の鍵を開ける作業中に雨雲が接近! 「雨のときは開けない」というルールがある中、時間との戦いが始まります。 鍵の番号を探す跡部さん、迫る雨雲、強まる風―。 ようやく蓋が開いた瞬間、雨がパラパラと降り始めました。 【兵動大樹さん】「カメラ貸しといて! すぐ閉めるから!」 慌ててカメラを受け取った兵動さんが必死に撮影。 フタを閉めた瞬間、なんと雨がピタリとやんだのです。 【兵動大樹さん】「止むんかい!ちょっと待って、秀吉ジョーク?!」 ■写真の場所を発見!

今回の写真は、1959年にこの豊臣時代の石垣を調査していたときのでした。 【兵動大樹さん】「言うときます。(地上で見えているものも)ほんまの大阪城ですから。豊臣時代の大阪城はこの下でございますんで。また思いを馳せていただきたいと思います」 (関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」2026年4月17日放送)

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