「母をこの舞台に連れて来られたのは幸せ」夢の舞台・パラリンピック初出場で躍動 パラアイスホッケー日本代表エース 東大阪市出身・伊藤樹選手「チームを勝たせてあげられていないのがダメ。また一から」挑戦続く04月04日 16:00
ミラノ・コルティナパラリンピック。足に障害がある人がスレッジと呼ばれるそりに乗り、スティックを両手に持って行うパラアイスホッケー。
氷上の格闘技ともいわれるこの競技で、日本代表をけん引するのは、東大阪市出身の二十歳のエース伊藤樹選手。
4年前には年齢制限で最終予選に出ることすらかなわなかった伊藤選手は、今回の大会直前にも大きなアクシデントに見舞われたものの、夢に見た舞台で得点を重ね、強豪国に肉薄する戦いを見せました。
パラリンピックを終え帰国した伊藤選手を母親の紅子さんたち、家族が出迎えました。
【伊藤樹選手】「点を取る目標は達成できたのはよかったけど、チームを勝たせてあげられていないのがだめですね。また一からやります」
■事故から5日後「足じゃなくて、手だったら良かったのに」アイスホッケーへの思い
幼稚園の頃にアイスホッケーを始めた伊藤選手は8歳の時、母・紅子さんが運転する車で練習に向かう途中、センターラインをはみ出してきた対向車と衝突する事故に遭いました。
伊藤選手は脊髄を損傷し、下半身が動かなくなりました。
事故から5日後、別々に入院していた母・紅子さんに見せるため親族が撮影した動画には、伊藤選手のアイスホッケーにかける思いが記録されています。
(Q.ホッケーどうする?)
【伊藤樹選手(事故から5日後・2014年)】「足じゃなくて、手だったら良かったのに」
■中学生で日本代表合宿に パラリンピックで「金メダルをとりたい」
「リハビリを頑張って氷の上に戻りたい」と考えていた伊藤選手が出会ったのが、パラアイスホッケーでした。
あっという間に上達していった伊藤選手。中学生の時には、初めて日本代表の合宿に参加しました。
【伊藤選手(2018年・当時13歳)】「事故がなければパラアイスホッケーにも出会わなかったし、仲間たちと一緒に話したりプレーすることはおもしろい。
世界と戦って勝てるようなチーム・選手になりたい。そこから積み重ねて(パラリンピックで)金メダルをとりたい」
日本代表の仲間も、幼かった伊藤選手の成長を見守ってくれました。
■2022年の北京大会は
しかし、北京パラリンピックの出場をかけた世界大会には、年齢制限で出ることすらできず、チームも敗れました。
【伊藤選手(2021年・当時16歳)】「あ~、北京行きたかったなあ~」
【母・紅子さん】「北京行きたかったよ~。見たかったよ~」
【伊藤選手】「みんなうまいよ。世界はうまいやつばっかりだ」
■母に語った「目標もあるし最高の人生だ」1人アメリカで挑戦・日本のエースに
高校卒業後は家族のもとを初めて離れ、1人でホッケー大国のアメリカに移り住みました。
【母・紅子さん】「前はついていけてたけど、やりたいって言ったら、連れていくとか見守るとかしていたけど、もう目の届かないところに行っちゃった。
関空から出発する日、向かう車の中で、『やりたいこともできているし、チャレンジしたいこともあるし、目標もあるし最高の人生だ』って言ってたんですよ。
最高ってすごいですよね」
アメリカで着実に力をつけた伊藤選手は、日本代表のエースになりました。
去年11月、勝てばパラリンピックの出場が決まるノルウェーとの試合。
伊藤選手は1人で3得点を挙げるハットトリックの活躍で、チームを夢の舞台へ導きました。
■突如襲ったアクシデント「腸閉そくで手術」それでも…
しかしその翌月、伊藤選手の姿は、病院にありました。腸閉そくで、緊急手術を余儀なくされたのです。
【伊藤選手】「ベッドに座っているとめまいが止まらなくて。めちゃめちゃ痛いですよ。まだ1週間だからそりゃ痛い。」
生々しい手術の痕を見せながらそう語った伊藤選手。こんな時でも、ホッケーのことで頭がいっぱいでした。
【伊藤選手】「スレッジだけ乗ってかるくハンドリングしたいから、4日の東海練習行きたい」
【母・紅子さん】「やめてよ。安静にするってさっき言っていたのに」
【伊藤選手】「その頃には3週間経っているんだよ。ただ氷に乗りたいだけ、氷の上でハンドリングしたいだけ」
【母・紅子さん】「様子見て決めましょう…」
■強豪国をギリギリまで追い詰めた日本 伊藤選手「初めて見た景色」
突然の試練も乗り越えて迎えた、パラリンピック。
【母・紅子さん】「樹からけさ、頑張るってラインが来て、きょうはやったるぜって。初めて。 試合前に。びっくりしちゃった」
この日の試合、世界ランキング3位のチェコを相手に、伊藤選手が得点を挙げるなど、日本は2-3とギリギリまで追い詰めました。(最終結果は8位)
敗れはしたものの、そこには初めて見る景色が広がっていました。
【伊藤選手】「ここまで育ててくれた母をこの舞台に連れて来られたのはアスリートとして幸せですし。
上見上げた時に日本の国旗とか観客がいっぱいいて、本当にこんな最高の舞台はないなと、本当に幸せでした」
「歩けなくなっても、できることはたくさんある」そう語った伊藤選手。これからも氷の上で、挑み続けます。
(関西テレビ「newsランナー」2026年3月31日放送)