101歳でやっと故郷に...ハンセン病元患者 差別を恐れて故郷帰れず81年 20歳から過ごした療養所を離れ故郷の大阪に 101歳で初めての一人暮らし 「大阪で死にたい」12月06日 16:00
記憶の中にある大阪は、どこへやら。新大阪駅の改札を前に、101歳の男性は戸惑いの表情を浮かべた。
【北野貞晴さん】「昔と全然違う。今はどこ行ってんだかわからない」
北野貞晴さんは大正12年(1923年)生まれの101歳です。
この日、北野さんは、ふるさと・大阪での一人暮らしに向けて、準備を進めていました。100歳を超えての決断には、ある強い思いがありました。
【北野貞晴さん】「大阪で死にたいって思いだした」
その背景には、81年という歳月と、国の誤った政策に翻弄された人生がありました。
■群馬の山奥で過ごした81年
北野さんが暮らしているのは、群馬県・草津町の山間にある国立療養所「栗生楽泉園」。かつて、ハンセン病だった人たちが暮らしている場所です。
堺市で、4人きょうだいの長男として生まれた北野さん。ここに来たのは、20歳の頃でした。
【北野貞晴さん】「(20歳のころに)病気が出始めた。ちょっと顔が浮腫んだとか」
ハンセン病は、らい菌による感染症で、病原性は弱いものの、当時は有効な治療法がなく、顔や手が変形するなどの後遺症が出る人もいました。
■国による隔離政策の罪
国は「恐ろしい伝染病だ」と恐怖心をあおり、すべての患者を一生隔離する法律、「癩(らい)予防法」を作って、患者を次々と療養所に閉じ込めました。
療養所とは名ばかりで、粗末な食事、重労働、監禁などの人権侵害が横行。街には、患者に対する差別や偏見が広がりました。
【北野貞晴さん】「食べ物屋は特にね。一回行ってみた。むこうの方にお客さんがいた。『今(店主が)いないから駄目です』って言われた。店主は(他の客の料理を)作ってるんだよ。(自分を)見て断わられちゃった。それから草津の飯屋は入ったことない。嫌う人もいる。それはしょうがない」
戦後、治療薬ができて、治る病気となりましたが、法律だけが放置され、国の隔離政策が誤りだと断罪されたのは、2001年になってからでした。
その後、療養所を出て、地域社会での暮らしを選ぶ人もいましたが、北野さんは、療養所に留まりました。
自分が大阪に帰って、家族が差別されることを恐れたからです。
家族に縁を切られ、帰る場所がなくなった人も多く、今でも全国14カ所の療養所で、およそ640人が暮らしています。
■「医療・看護・介護」安住の地となった療養所
いま療養所は、国が「医療・看護・介護」を継続して確保することを法律で定め、高齢の入所者たちにとって、安心して暮らせる場所になりました。
料理や音楽を楽しみ、気心のしれた仲間と会話をする。北野さん自身も、ここが終の棲家だと思って、暮らしてきました。
しかし、101歳になった今年、突然、大阪に帰ることを決断。周囲を驚かせました。
【療養所職員】「大阪に帰るんですね。前からそういう気持ちだった?」
【北野貞晴さん】「今年に入ってからだね」
【療養所職員】「不安はないですか?」
【北野貞晴さん】「大阪で死にたいからね、不安とかそういうのはないねん。そういうので行くのではないから」
決断の理由は、「大阪で死にたいから」とだけ話していた北野さん。いよいよ引っ越しが迫った先月、こんな本音を打ち明けてくれました。
■帰郷を決めたのは「自分のことを知っている人はもういない」から
【北野貞晴さん】「(親類の)代も変わってるし、世話になったおじ・おばも亡くなったし、子どもの子どもがやってる時代だから(自分のことは)知らないんですよ」
自分のことを知っている人は、大阪にもういない。
101歳になった今だから、帰る決断ができたのです。
そして、81年暮らした療養所を出る日がやってきました。
職員・入所者、大勢の人が見送ります。
【北野貞晴さん】「わたしの旅立ちに際しまして、みなさん集まって頂いて誠にありがとうございます。81年お世話になって、治療ならびにいろいろなことをして頂いてありがとうございました」
■まだ残る偏見 「私は私で皆さんと仲良くしようと一生懸命頑張る」
いよいよ、大阪での一人暮らしが始まります。
新生活のサポートをするのは、府の委託を受け、元患者や家族を支援する団体の職員たち。行政の福祉担当者も関わり、地域での暮らしを支えます。
新生活を始めて、1週間。近所付き合いが、徐々に増える中、すべてが順調というわけではありません。
近所に、北野さんが療養所から来たことをよく思わない人がいる、という話が入ったのです。
【支援センター職員】「北野さんは栗生から来たでしょう。園で暮らしてたこととか自分の病歴をどの範囲まで話したいのかなと。それとも誰にも知られたくないのかを確認しておきたい。この近所とかで言われたりとか心配してる」
【北野貞晴さん】「そういう人は思ってればいいんだ。苦にしてたらここにいられない。勝手に言え、なんぼでもって感じ。私は私で皆さんと仲良くしようと一生懸命頑張るから」
実家があった場所には、まだ行くことができていません。
北野さんは12月に102歳の誕生日を迎えます。
(関西テレビ「newsランナー」 2025年12月2日放送)