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「近江牛」は昔“彦根牛”だった!絶品すき焼きと知られざる歴史に「たまらんわ~」 彦根城に“大津城”の移築を指示した徳川家康 理由は「ゲン担ぎ」【大東駿介の発見!てくてく学】10月04日 10:00

俳優の大東駿介さんが、訪れた街のうんちくや、まだ地元住民にも知られていないような魅力を探す「発見!てくてく学」。 今回の舞台は滋賀県彦根市。彦根城の内堀にかかる表門橋からスタートです。 【大東駿介さん】「僕初めて来ました!」 彦根のシンボル「彦根城」と、実は彦根がルーツの「近江牛」の知られざる秘密を学びます。 【大東駿介さん】「近江牛は彦根なんですね。ということは…近江牛が食べられることは確定してる!」 お肉大好きな大東さんが彦根の魅力を学んでいきます。 ■敵の侵入を遅らせる!? 石段の幅が不規則な理由

彦根城は1606年頃に完成し、天守は国宝に指定されています。天守が国宝に指定されているのは国内で5カ所だけです。彦根城の石段を登りながら、大東さんは不規則な幅に気づきます。 【大東駿介さん】「ちょっといびつですよね」 この石段の幅が均一でないのには理由があります。 【大東駿介さん】「まちまちな理由…1段1段違う人が造ってるからバラバラになってたとか?」 違います!正解は「攻めてきた敵の足並みを乱して侵入を遅らせるため」なのです。 【大東駿介さん】「そうか、1歩で登ろうと思っても…確かに登りづらい。同じリズムで確かに歩かれへんようなんねん」 ■お団子におの!? 彦根城の天守に残る「謎のマーク」

彦根城天守の内部には木材にお団子やおののような、不思議なマークが付けられています。 【大東駿介さん】「カラクリがあるんですね。隠し扉の場所?」 大東さんは仙台から来た観光客に聞いてみます。「造った人が証拠を残したい」という推理ですが、これが正解かはわかりません。 正解は「城」ではなく、「石」が好きな彦根市役所文化財課の岡智康さんに教えてもらいましょう。 【彦根市役所・岡智康さん】「実はこれ、『移築』をした証なんです」 工期を短縮するために周辺の廃城から移築された彦根城。実は彦根城は「リサイクル城」とも呼ばれていて、天守はわずか2年で建てられました。 ■不思議なマークの秘密は…

天守内の特徴的なポイントは「急な階段」。現存する天守の中で一番急なんだとか。 登っていくと…「お団子」や「斧」のマークを見つけました! さらに「い」や「ろ」など「いろはにほへと」のような平仮名が書かれています。 【彦根市役所・岡智康さん】「どことどこを組み合わせればくっつくと言っていた可能性もありますし、もしかしたら、この木材を解体する時に『俺が運んだんだ』っていう運んだ手柄を示すために刻まれたものかもしれない」 先ほどの観光客の推理通りかもしれませんが、はっきりとした理由は分かっておらず、謎が残ります。 ■大津城から移築を決めたのはあの家康!

ちなみに、彦根城の天守は大津城から移築されたそうです。彦根藩主・井伊家の歴史を記した「井伊年譜」にも記載されていました。 実は大津城は関ヶ原の戦いで大軍を食い止めて時間稼ぎに成功した、縁起の良い城とされていました。徳川家康がその縁起の良さを彦根城に取り入れようとしたのです。 【大東駿介さん】「移築の痕跡も、家康の一言があったから残ってる。これはおもしろい」 ■肉禁止の時代に「近江牛」が販売できたワケ

続いて大東さんが学んだのは、近江牛にまつわる驚きの事実です。江戸時代、肉食が禁止されていた時代に彦根では近江牛が食べられていました。 【大東駿介さん】「アカンやん」 禁止されていたのに、どうやって販売していたのでしょうか?ヒントは「牛肉としては売っていなかった」 【大東駿介さん】「肉じゃない素振りしてたんや!」 島根から来た3人に考えてもらうと…「こんにゃくだった!」との回答が。滋賀の特産品・赤こんにゃくにちなんで答えてくれましたが、正解ではありません! 3人はその場で答えを教えてもらえませんでしたが…「TVer」でも映像が配信されていますので、島根でも見られますよ! ■「千成亭」で絶品の近江牛すき焼きを堪能!

その秘密を探る途中、大東さんは彦根のキャッスルロードにある「両替商」という看板がある建物に立ち寄ります。 ここは元々町屋風だった「関西みらい銀行」の建物を、外観はそのままにリノベーションした宿泊施設でした。 銀行の名残りが一番感じられるのは「金庫」。扉そのままに、中はギャラリーになっています。 さて、本題の「近江牛」の謎を訪ねると…“薬”として売られていたという情報が! キャッスルロードに店を構える近江牛料理が有名な店「せんなり亭 伽羅」で、大東さんは近江牛のすき焼きを味わいながら秘密に迫ります。 【大東駿介さん】「旨味の塊や。めちゃくちゃ美味しい。肉質しっかりしてるんですね。贅沢なすき焼き!ネギうま!」 ■「とんち」をしても食べたい「近江牛」

極上のすき焼きを堪能したところで、千成亭の上田勝之さんから、江戸時代に近江牛が薬として販売されていた驚きの歴史を聞きます。 当時の中国の薬学書には「牛肉は滋養に良い」と書かれており、井伊家の家臣・花木伝右兵衛がこれを読み、牛肉を薬として流通させることを思いついたのです。 幕末の写真には「江州 彦根 生製牛肉漬 薬種」という文字が確認できます。 【大東駿介さん】「とんちみたいなもんですね!それぐらい知恵を働かせても食べたい」 ■”彦根牛”の復活を目指す千成亭の夢

実は江戸時代は「彦根牛」と呼ばれていて、「近江牛」というブランドが広まったのは昭和以降だということも判明しました。 現在、彦根の地で牛を飼育している場所は1軒もありませんが、千成亭は「彦根牛を復活させたい」という夢を抱いています。 「彦根牛」の名称で彦根で牛を育てる取り組みを計画しています。 【大東駿介さん】「近江牛のそもそもである『彦根牛』を取り戻す。それは楽しみですね!頑張ってください」 大東さんは彦根の歴史と食文化の深さに触れ、近江牛の知られざる秘密を堪能した一日となりました。 (関西テレビ「newsランナー 大東駿介の発見!てくてく学」2025年9月25日放送)

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