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“タカラジェンヌ”御用達「フルーツサンド」 手塚治虫も影響を受けた宝塚の魅力を調査07月19日 10:00

宝塚といえば、華やかな歌劇団が思い浮かぶ人も多いのでは。 この街には歌劇以外にも魅力的なスポットがあります。 今回、大東駿介さんが訪れたのは、宝塚駅から宝塚大劇場に続く「花のみち」。 そこから始まる宝塚の隠れた魅力を探る旅です。 ■タカラジェンヌは“花のみち”を歩かない?

大東さんが訪れた「花のみち」は、周りの道より1段高くなっている特徴的な道。しかし、意外なことに宝塚歌劇団の団員たちはこの道を絶対に歩かないといいます。 「なぜだと思いますか?」という問いかけに、大東さんは「ここはファミリーやいろんな世代の方が楽しめる場所で、あくまでもお客さんのための花道だから」と推測するが… 正解は「花のみちを歩いている時に、下の道にお客さんがいたら見下ろすことになってしまうから」という理由でした。 これを聞いた大東さんは「全然知らんかった。それは絶対通らへんわ」と納得の様子。 宝塚ならではのプロ意識が感じられるエピソードです。 ■タカラジェンヌの御用達グルメは

大東さんが次に向かったのは、タカラジェンヌの御用達グルメ。 街の人々に尋ねると、「サンドイッチならルマン」という答えが返ってきます。 「何十年も前からの定番」という声に興味を持った大東さんは、早速その店を訪ねることに。 「サンドウィッチルマン」は1964年に宝塚で創業。店内には30種類ほどのサンドウィッチが並び、中でも宝塚名物となっているのがたまごサンドです。 このたまごサンドの秘密は、スクランブルエッグと特製マヨネーズの中に刻んだゆで卵を混ぜ合わせた独自の製法。 大東さんは「卵のいいとこ取り!」と感動した様子。 極上のフワトロ食感のために、50個もの卵を一気に鉄のフライパンで炒めていて、火入れがとっても難しいのです。 ■母から受け継ぐ味と宝塚の思い出

ルマンの味を守り続けているのは2代目の社長です。 その母である創業者は94歳で亡くなるまで、店に立ち続けていたといいます。 実は開業当初、店の近くには宝塚音楽学校の寮があり、地方から出てきた研究生や宝塚歌劇団員たちが頻繁に訪れていた。創業者は彼女たちの「母親」のような存在だったそうです。 「ケーキみたいなサンドイッチが食べたい」という歌劇団員たちのリクエストから生まれたのが、生クリームたっぷりのフルーツサンド。 大東さんはこのフルーツサンドも食べると「これだけクリーム入れてるのに全然しつこくない。甘みも強すぎない」と驚きを隠せない様子でした。 女優の黒木瞳さんもこのフルーツサンドのファンで、近くに来るとお取り寄せしているのだとか。 ■牛にはモーツァルトの音楽を聴かせているたからづか牛乳

「ルマン」の社長から「たからづか牛乳」という新たな情報を得た大東さん。「ルマン」の隣にある「たからづか牛乳」の店へと足を運びます。 「たからづか牛乳」は2013年にオープンしたお店。牛乳の他にヨーグルトやプリンも販売しています。 特筆すべきは、宝塚の西谷地区にある山口牧場で育てられた牛の牛乳を使用していること。 しかも、その牛にはモーツァルトの音楽を聴かせているという徹底ぶりです。 この牛乳は一般的なものとは一味違い、上部には天然の生クリーム層ができ、飲む前には振って混ぜるという特徴があります。 「牛乳振ることあんまないよな?」と驚く大東さんだが、一口飲むと「美味しいわ!全然ちゃう。振る前と振った後」と感動。 店員さんも「この牛乳飲んだら他の牛乳が飲めなくなるぐらいの美味しさ」と太鼓判を押します。 さらに、ザラメ入りのヨーグルトも絶品だといいます。 実際に味わった大東さんは「甘ったるさがなくて、元々のヨーグルトが持ってる酸味に乗ってふわっとした甘みがくる」と表現しました。 ■宝塚が育てた天才・手塚治虫の世界

大東さんの宝塚探訪は、「漫画の神様」手塚治虫の足跡をたどる旅へと続きます。 手塚治虫は5歳の頃から約20年間、宝塚で暮らしていました。その縁から、手塚治虫記念館が宝塚に建てられています。 手塚治虫の大ファンだという大東さんは、何度もこの記念館を訪れたことがあるようで、興奮気味に魅力を話します。 様々なジャンルの漫画を生み出した手塚治虫の多彩な才能に驚きます。 生涯で約700もの作品を生み出した手塚治虫。そのアイデアの源となったのが、宝塚での日々だった。 例えば「リボンの騎士」は、宝塚歌劇から影響を受けた作品。 手塚治虫の母親が宝塚歌劇好きで、幼い頃から宝塚歌劇を見に連れて行ってもらっていたそうです。 ■漫画界に革命・手塚治虫の生きざま

また、小学校5年生の時に描いた「ピンピン生チャン」という最初の漫画や、中学時代に描いた精密な昆虫の写生なども展示されていて、その早熟な才能がうかがえます。 手塚治虫の作品年表を見ると、同時に11本もの連載をかけ持っていた時期もあることがわかります。 その多忙さゆえに、それまでになかった型破りなアイデアを次々に取り入れていった。 「実は手塚治虫はほとんど下書きなしで漫画をどんどん書いていってたそうなんです」と館長の水野さんは説明します。 現在では当たり前となっているキャラクター以外の背景などを分業して描くアシスタント制度も、手塚治虫が最初に取り入れたものでした。 中でも最大のヒット作「鉄腕アトム」は、日本初の連続長編アニメ番組として放送された革新的な作品。 漫画界だけでなくアニメ界にも革命を起こした手塚治虫は、まさに「漫画の神様」と呼ばれるにふさわしい人物でした。 ■アニメーション制作を体験できるコーナーも

記念館では誰でもアニメーション制作を体験できるコーナーもあり、大東さんも2枚の絵を描いてアニメーションを作る体験に挑戦。 大東さんは「出来映えで言うと見ての通りですけど、喜びで言うと100点です」と、手塚治虫が教えてくれた「生み出す楽しさ」を実感していました。 (関西テレビ「newsランナー」 2025年7月10日放送)

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