10月18日(金)

清の「言いたい放題」

「菊花賞」現役時代から一番こだわったレースだ。それが63年経った今も変わらない。関西には、他にも桜花賞、天皇賞(春)、宝塚記念と有名なレースがあるがこのレースだけは格別、やはり三冠レースのシメのレースだから、意識するなと言われても無意識のうちに意識しているのか。
アナウンサーの実地研修の阪神競馬場へ連れて行かれたのが競馬との出会い。
それまでは学校が仁川にあるにもかかわらず全く関心がなく、むしろ土曜日になると電車が大混雑、偏見を持っていたぐらい。
研修で行くということでアナウンス室からもらったお茶代3000円。「お茶飲んでも仕方ないやろ。馬券買おう」と先生役の先輩アナが言い、そこで「馬券とは」を教えてもらい、3着までに来れば的中の複勝券を買うことに。
専門誌の印(二重丸)はその馬一頭に本命の二重丸がついているくらいの人気馬。
3着までには来るだろうという指南のもとに買ったところ、なんと4着。一瞬にして紙クズ。
馬券には絶対はないんだから馬券は買うな、の指導で最終レースまでブラブラ。
最終レース(12レース)になってもうひとレースしかないから買うなら買ってもいいよ、ということで折角来たんだから、と、同期3人で買ったところ自分だけがビギナーズラックに恵まれ的中。これは面白い…と、以来、今日までなんと63年間の競馬人生。“縁”の不思議さを感じる。もし、的中していなかったら。
それで菊花賞だが初めて現場で見たのが昭和38年。この時もメイズイという快足馬が皐月賞、ダービーを制し二冠馬。
その勝ち方から三冠は間違いなし、と競馬会は三冠のカップまで準備していたのに3コーナーで失速、三冠馬にならず、その翌年、東京オリンピックが行なわれた昭和39年にシンザンが日本で2頭目の三冠馬になったのだ。初めて、菊花賞を実況したのは昭和44年、アカネテンリュウが勝った時、天候悪く最悪の馬場状態でこれには参った、とお手上げだった。
菊花賞にもいろんな思い出があり、機会があれば又、書くが、ひとつあげるとすればミホノブルボンが三冠になったかと思われたゴール寸前、ライスシャワーにかわされ2着になった時の平成4年、三冠馬になれば「競馬の世界には横綱がいます!」の文句が言えなかったのが残念で、今も悔しさが残っている。
こういう文句は前もって考えているのではなく咄嗟。実況はヒラメキの勝負だ、と思っている。今年は実力拮抗でそんな馬はいないが、相変らずルメール旋風が吹き荒れているところからアーバンシックか?自分は反抗してコスモキュランダに。
楽しみだ、デムーロ頼む!
ファンの皆さんは…