10月15日(火)

振付師
川崎悦子
63歳。東京・恵比寿のダンススタジオ「BEATNIK STUDIO」主宰。4歳からクラシックバレエを始める。1984年、一世風靡セピアのデビュー曲「前略、道の上より」で自身も振付家としてデビュー。その後、ドラマ・CM・映画のダンスシーンや舞台の振付などを幅広く手がけ、長きに渡り振付界を牽引する。また、日本オリンピック委員会の強化スタッフとしてアスリートの表現力アップの指導も行う。

番組情報

劇中のダンスが話題を集めたドラマ「女王の教室」に「モテキ」。更には、滝沢秀明がプロデュースする「滝沢歌舞伎ZERO」や舞台「劇団☆新感線」など、数多くのヒット作の振付を手掛けてきた振付師がいる。川崎悦子、63歳だ。
彼女が手がけた振付の中で、取り分け大きなインパクトを残したのが“武富士ダンス”。金融会社のCMにダンスを取り入れるという斬新な演出が、当時大きな話題となった。その活躍ぶりは分野を超え、日本オリンピック委員会強化スタッフとしても名を連ねる。63歳となった今でも仕事のオファーが絶えない。

昭和・平成・令和と踊り続ける理由は…

厳格な家庭に育ち、4歳からクラシックバレエを習っていた川崎。高校生の時は役者になるのが夢だったものの、親からの猛反対で一度はOLに。しかし、役者の道を諦めきれず、すぐに退職。親からは勘当された。その後、役者として目が出ることはなく、お金を稼ぐために始めたのがバレエ経験を活かしたダンス講師のアルバイトだった。ダンスの楽しさを改めて知った川崎は、趣味でダンサーとしても活動を始める。そんな彼女がブレイクしたきっかけは、26歳の時。哀川翔や柳葉敏郎など名だたる俳優が在籍した「一世風靡セピア」の前身で、当時全くの無名だったグループ「劇男零心会」の振付を担当することに。後に「一世風靡セピア」としてデビューすると、「前略、道の上より」が大ヒット。その振付が話題となり、川崎に多くのオファーが舞い込むようになった。

TVにCM、舞台…。実に多くの作品の振付を手掛けてきた川崎だが、振付が思いつかず辞めようと思ったことが何度もあるという。それでも、彼女が昭和、平成、令和に渡って踊り続ける理由とは?

セブンルール

  • 1出だしの振付に時間をかける
  • 2年長者ぶらない
  • 3振付は朝6時から考える
  • 4何事も第一印象で決める
  • 51日2本 映画を観る
  • 6本気のときは裸足になる
  • 7うまく踊るより楽しく踊る