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18時台の特集/バックナンバー

2017年3月9日

福島第一原発事故から6年・福島は今

東京電力・福島第一原発の事故からまもなく6年。

福島第一原発はどうなっているのか。

そして、周辺の町はこの6年で何が変わり、何が変わっていないのか。

福島の今を取材しました。

 

原発に近づくほど、徐々に高くなっていく放射線量。

住宅の入り口を封鎖するバリケード。

関西では、見ることのない光景が広がっていました。

 

【新実彰平キャスター】

「ここがJRの浪江駅ですね。ここに電車が今は来ることはない。シャッターも閉まっている。あそこを見てください。傾いた家があそこにある。人の気配は感じられない」

 

福島県・浪江町。

現在、住民登録をしているのは、およそ1万8500人ですが、全員が、町の外に避難しています。

浪江町は、福島第一原発からもっとも近い場所で4キロほどしか離れていません。

町の西側は帰還困難区域に指定されていて、許可が無ければ立ち入ることができません。

一方、今月末、一部の地域は避難指示が解除されます。

その地域を取材しました。

 

【新実キャスター】

「ここ小学校ですね。浪江小学校。グランドが草ぼうぼうで。ここに子どもたちが帰ってくるイメージが沸かないですよね。6年前は、子どもたちがここで遊んでたんでしょうね、ものすごくさびしい景色です」

 

 

行政区長を務める佐藤秀三さんに、町を案内してもらいました。

 

【新実キャスター】

「すごい穴。これ全部イノシシが掘った穴?」

【佐藤さん】

「そうです。これはイノシシの糞。これなんか新しいですよ。昨日です。1匹、2匹ではない」

【新実キャスター】

「生活圏になっているんですね」

 

人がいなくなって、イノシシが住み着きました。

国や福島県が去年9月に行った調査によると、町に戻らないと決めている人は52.6%。

それでも佐藤さんは、ふるさとに帰ると決めています。

 

 

(Q6年という期間は長かったですか)

【佐藤さん】「ちょっと長すぎた避難するのには。生活基盤ができたし、放射能のリスクに対する考え方は個人差がある。遠くに逃げた人はいまだに放射能は怖いと思っている。とにかく人が住むこと住めることが復興なので人が住めば必要なものはできてくる。そういう段階の街づくり。ちょっと遅いかもしれないが、そういう街づくりになるかもしれない」

 

 

福島第一原発は、原子炉内の核燃料が溶け出すメルトダウンを起こしました。

水素爆発によって、壊れた建屋から大量の放射性物質が外に漏れ出し、人が立ち入られない場所になってしまいました。

 

【東京電力社員】

「1号機の建屋から1キロぐらい離れた場所になります。線量は0.5マイクロシーベルト/時という状況です」

 

6年近くが経った今、福島第一原発の中は、少し様子が変わっていました。

 

【新実キャスター】

「私の後ろに見えているのは3号機です。水素爆発を起こして放射性物質を放出した3号機から200メートルほどの場所なんですが、敷地内のおよそ9割がこういったマス軽装備で歩くことができる。除染が終わって作業員の作業効率も上がった。斜面も固められている。放射性物質を含んだ土砂などが舞い上がらないように対策している」

 

放射線量が下がったため、原子炉建屋内や、その周辺を除く敷地内のおよそ9割の場所で、軽装備での作業が可能になりました。

線量が高いエリアに入るため、防護服に着替え、半面マスクをつけます。

【新実キャスター】

「建屋が見えてきました。2号機。大きいですね。想像していたよりもかなり威圧感があります。2号機の目の前まで来ました。ここでも解体に向けた作業を行っている。線量の高いところで作業をしている人がいることに驚かされます。当たり前のことなのかもしれないですけど、こんな目の前で佐合を毎日されているんだと思うと驚かされます」

 

毎日6000人を超える作業員が、廃炉に向けた作業を行っています。

ただ、大きな障壁もあります。

廃炉を進めるためには、溶け落ちた核燃料が、どこにあるのかを調べなければなりません。

しかし、6年近く経った今も、全貌が分かっていないです。

水素爆発を起こしていない5号機の原子炉の中に入りました。

2号機と、同じ形をしています。

ことし1月、2号機に、無人カメラが入りました。

これが、その時の映像です。

圧力容器の真下の様子が初めて映し出されました。

この場所の放射線量は推定で毎時650シーベルト。

人が数十秒で死に至る非常に高い線量であることから、金属の足場の上に、へばりついている堆積物は溶け落ちた核燃料の可能性があります。

また、足場が途中でなくなっていることから、さらに、この下に溶け落ちたとみられます。

原子炉内の状況すら、まだ把握できていない現状。いつ本格的な廃炉に入るのか、先は見えません。

原発から、およそ7キロ離れた浪江町の請戸漁港を訪ねました。

 

【新実キャスター】

「この3月から漁が許される範囲が広がるということで、ここにも6年ぶりに漁船と漁師さんが戻ってきた。まさにこれからもう一度頑張っていこうという時期なんですが、陸に目をやると更地のような状況なんですね」

 

かつては、400軒ほどの住宅が建ち並ぶ漁師町でした。

津波は町の姿を変えてしまいました。

 

 

先月、6年ぶりに漁港に船が戻ってきました。

震災前は90隻を超える船がありましたが、戻ったのは26隻です。

鎌田寛典さんは、18歳の時、この漁港で漁師を始めました。

鎌田さんの船、第八海勝丸。

津波で多くの船が陸に打ち上げられ、廃船にすることを選んだ漁師もいましたが、

鎌田さんは、買い替えずに修理をすることにしました。

 

【鎌田さん】

「廃船にすると決めた船は重機でぐしゃぐしゃにされていた。それを見たら嫌だなと思って。もったいない6年だった。長かった6年だった」

 

この漁港に戻ってきて、初めての漁です。

避難した町に根付いた人もいます。

浪江では、若い人たちが帰ってこないという言葉を、よく耳にしました。

 

(帰ってこられない理由は?)

【浪江町の漁師・渡辺貞勝さん】

「そりゃ原発じゃない?あまりにも目の前に見えるんだもん。若い人は帰ってこない。まだ廃炉にもならない。廃炉になっていたら、何もなければ、違うんだろうけど、今からだもん。これから30年も40年もかかるっていってるんだもん」

 

シラウオ漁から帰ってきました。

高い時は1キロ1万円の値をつけましたが、今は1500円ほどです。

 

(Qどんな姿を取り戻したい?)

【鎌田さん】

「マイナスからのスタートだから、震災前以上に活気あふれる港になってもらいたい」

 

帰ってきた漁港には、まだ市場さえありません。

ここに辿り着くまで、6年、かかりました。

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