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18時台の特集/バックナンバー

2017年3月8日

阪神・淡路の教訓いかし…宮城・南三陸に商店街が復活

東日本大震災からまもなく6年。
被災した宮城県南三陸町に復活した商店街。
そこには阪神・淡路大震災での教訓がいかされていました。


2017年3月3日、津波の被害をうけた宮城県・南三陸町に“さんさん商店街”がオープンしました。

獲れたての海産物や地元の土産物などが並び、お客さんでにぎわいました。

 

「いらっしゃいませ〜。マグロ丼ひとつ、汁はサービスです。」

 

【お客さん】
「やっぱ嬉しいですよ いよいよ待ちに待ったですよ」

「大変だったからうれしかったですね」

 

この地区にようやくできた唯一の商店街です。

震災前、ここには別の商店街がありました。

そこで鮮魚店を営んでいた三浦洋昭さん。

できたてのささかまぼこなどが店先で味わえるのが売りで、いつもお客さんでにぎわっていました。

 

【三浦洋昭さん】

「それがお店の跡で、その隣に広がる敷地も、昨年リニューアルしたばかりのお店で。私はトイレ3回つかって終わりました」

 

かつて、海沿いには家が立ち並び、水産加工場もたくさんありました。

津波によって南三陸町では620人が亡くなり212人が行方不明のままです。

商店街もここにあった暮らしも一瞬で流されてしまいました。

 

【三浦洋昭さん】

「できるだけ早いスピードで年内中にオープンしたいと考えています」

 

震災から7カ月経ち三浦さんは、同じように店を失った仲間と仮設の商店街を作ろうと立ち上がりました。

 

そんな三浦さんたちに手を差し伸べたのは、神戸市長田区の商店街の店主、伊東正和さんでした。

阪神・淡路大震災による火災で、伊東さんが経営する店があった大正筋商店街一帯は焼け野原になりました。

再建までに10年かかり、巨大な商業施設が完成する頃には、多くの商店主が、店の継続をあきらめていました。

伊東さんは、南三陸の商店主たちに自分たちと同じような苦しみを味わってほしくないとこんなアドバイスをしていました。

【伊東正和さん】

「すごい建物を作ったために、共益費・管理費がバカほど高い。営業した時の顔は、みんな笑顔だったんです。ようやく、辛抱して辛抱して、自分の店できたなと。ところが、そのランニングコストがかかりすぎてしまって、今大変な目にあっている。仮設店舗をしながら、本設のことも考えて頂きたい」

 

伊東さんが伝えたかった教訓。

それは出来るだけ早く店を復活させること、そして、10年後の町の姿を見据え無理のない計画を立てるというものでした。

伊東さんの後押しを受けて、震災からわずか11ヶ月後で、もとあった商店街から少し離れた場所に仮設の商店街が完成しました。

 

【三浦洋昭さん】

「いち商店街じゃなくて町の復興を我々でやっていくんだという思いで突き進んでいくしかない」

 

地元南三陸で獲れた食材だけで作ったどんぶりなどが話題となり、仮設商店街は観光客も訪れる名所になりました。

去年12月、5年間営業していた仮設商店街はついに役目を終える時が来ました。

海沿いの土地が海抜10メートルまでかさ上げされたため、元の場所に再建することにしたのです。

新しい商店街の代表も務めている三浦さんは大忙し。

自分の店はスタッフに託し、他の店舗の準備が順調か声をかけてまわります。

 

【三浦洋昭さん】

「は〜だいたいこれで終わりました。うちのスタッフには大変迷惑かけています。」

 

三浦さんのお店も開店準備が着々と進みます。

 

新たな門出には神戸から伊東さんもかけつけました。

【伊東さん】

「おめでとうございます。なんかあなたの門出を祝うような天気ですよ。これからが一番大変ですけど」

 

【三浦さん】

「そうです。本当にそうです」

 

三浦さん達は、神戸の教訓を基に商店街の設計に工夫を凝らしました。

巨大な商業施設を作るのではなく、地元産のスギを使った木造平屋にしました。

建設やメンテナンスにかかる費用を抑えて無理なく営業を続けていくためです。

商店街には農家直送の野菜が並ぶ店や地元の新鮮な魚を扱う店など28店舗が軒を連ねます。

近くには、震災の記憶をとどめる防災庁舎もあります。

 

【海苔店の店主】

「やっとはじまったなって。本設の建物で。なんかあの時のまんまなのよね気持ちは。あの震災の日のまんまでね。なんて言ったらいいんだろう、落ち着かないというか納得できないというかそんな感じですよね。そんなこと言ってられないからそろそろ前を向いていくしかないですね」

 

しかし、置かれている状況は決して楽なものではありません。

住宅はこの商店街から離れた高台に移転が進んでいます。

町の人口は被災する前よりおよそ3割減っていて人口流出に、歯止めはかかっていません。

今は被災地を支援しようと訪れる観光客や地区で唯一の商店街として利用する地元客もいますが、継続的にお客さんを繋ぎとめる策を考えていかなければいけません。

 

【三浦洋昭さん】

「2年後には震災特需、復興事業が完全に終わりますので。我々はそうこでどう変化して対応していくか、考えてお客さんに来ていただけるような策を講じていくしかないと。来るなら来てみろという覚悟をみんなもっているのかな」

 

【伊東正和さん】

「本設商店街に戻られて、笑顔ですか、忙しいけど皆さんの笑顔が見れるのは、自分のことのように嬉しい。誰かのために役にたてれば、なればそれは良かったなって」

 

一度失われた商店街は町の復興のシンボルとして新たな一歩を踏み出しました。

そこには神戸から伝えられた経験が生きています。

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