2006年7月6日(木)
ニッポンで幸せを…~在日日系人の光と影~

ニッポンで幸せを…~在日日系人の光と影~

内容

夢をかなえるためにやってきた外国人労働者たちの光と影。 いじめ、差別、に遭っても尚、日本で暮らす。その実情とは--?

今年5月、政府は将来、外国人労働者を現在の1.5%から3%に増やす方針を明らかにした。少子高齢化が進むなか、日本の下請け企業(主に東海地方に集中)を支えているのは、日系ブラジル人やペルー人、インドネシア、フィリピン、中国人の就学生たちである。
人口20万人の三重県鈴鹿市も、町の5%(1万人)が外国人労働者とその家族で占める。彼らは1990年の入管法改正をきっかけに、ビザの発行が優遇され、来日した人々だ。鈴鹿のある中京地区は、自動車産業の好景気で、人手不足だが、彼らの雇用条件が改良されたわけではない。相変わらず彼らは、人材派遣会社の所属で間接雇用、注文が減少すればすぐに解雇される運命にある。現在、外国人労働者は、大きく2つのグループに分かれる。1つは、10年近くいるのに日本語が話せない日系2世たち。もうひとつは日本生まれの母語が話せない日系3世たちだ。様変わりする外国人労働者の社会で、変わらないのは町の体制だ。そのひとつが交通標識、日本語なので外国人は読めず、交通事故が急増している(10年前に比べて8倍)。番組は「ふたつの祖国二つの言葉」をテーマに、鈴鹿市に住む外国人労働者の家族に密着し、2つの祖国の間でゆれる彼らの心模様に迫る。浮かびあがってきたのは、彼らが日本人から差別をうけ屈折した気持ちをもっていること、それでも彼らの子供たちは、日本での永住を希望していることだ。国際時代の今、今後も増え続ける外国人とどう共生していけばよいのか、法の整備も含めて問いかけていく。

日本語が喋れないばかりにいじめ差別を受けて心に傷をもつ日系人たち

「僕は日本人の心をもっている。ただブラジルで生まれただけなのに、なぜ日本人はイジメるのか」と声を震わせる日系3世の小笠原徳行さん(23)。来日して16年、鈴鹿の小学校に入った時は、日本語が分からないためトイレに行くにも絵を描いて説明したという。同級生からいじめられ、町では外国人だというだけで殴られた。度重なるイジメに、一時ブラジルに帰国したが、両親が働く日本に再び戻っている。小笠原君の母サヨコさんの場合は、ブラジルにいた時は日本人嫌いの教師に竹の定規が折れるくらいに叩かれ、結婚して日本の工場に勤めたが、職場の日本女性にいじめられた。母子はイジメから鬱病になり、2人とも病院通いをしている。しかし国民健康保険に加入していないので、診察料が高く、夫の給料23万円で 3人がかつかつに暮らしている。徳行君は早く病気を治し、働かなければと焦っている。

ブラジル移民のUターン組も迫害に耐えてきた 鈴鹿のブラジル人学校

徳行君の祖父母、橋本義雄さん(70)とテレサさん(69)も近く住んでいる。
ブラジル移民のUターン組だ。老夫婦は農園経営に失敗し、子供たちと一緒に帰国した。「1番苦労したのは、日本の敗戦の時。日本人と分かれば何をされるか分からないので、買い物にもいけなかった」と敗戦直後の恐怖を語る。日系人の多くは、2つの国でいじめられた苦い経験をもっているが、胸の中にしまい込んで暮らしている。彼らの夢は、日本で稼いだ資金でブラジルで事業をおこすことだ。だから橋本家では、日本生まれの孫を鈴鹿のブラジル人学校(全校生420人で小・中・高の教育機関がある)に通わせている。いずれブラジルに帰る時のことを考えてのことだ。しかし孫たちは「日本がいい」と言っている。

日本語が分からないばかりにハプニングの連続 3ヶ国語が飛び交う大家族

日本に住んでいて日本語が分からないとどういうことになるのか?清水一家にそれを見ることができる。ウイルトン君(15)は、日系2世のペルー人の父と日系2世のブラジル人の母、7人兄弟。3Kの団地には、兄夫婦とその子供2人、もうすぐ2人目を出産する未婚の母である姉が同居している。家族はただ今、13人。ウイルトン君は1歳の時から日本に住み、日本の学校を卒業した。他の3人の弟たちも日本生まれで、日本の小学校に通っている。しかし父はスペイン語、母はポルトガル語、兄夫婦もポルトガル語、日本の中学校を中退した姉もポルトガル語なので、家の中は3ケ国語が飛び交っている。「バイリンガルでいいじゃないか」と思うが、現実は、子供たちの語学力はどれも中途半端で、言葉の背景にある文化や歴史を理解していない。昼間工場で働き、夜、定時制の高校に通っているウイルトン君は、週2回高校で「取り込み授業」と称する授業を受けている。通訳の先生から日本語を習うのだ。将来、車の整備士の免許をとり、日本で暮らしていくつもりなので、彼にとってこの授業は大切である。ウイルトン君の住む団地には、日系人が講師をつとめるNGO「母語教室」がある。こちらは日本生まれの子供たちにポルトガル語の手ほどきをする教室。ウイルトン君の弟たちも時々参加する。子供たちは、両親が叱るポルトガル語は分かるが、文章は書けず、サンパウロの場所も地図で示すことができない。

日本語が分からなかったために出産日を間違えて 子供は大事な通訳

ウイルトン君の姉パトリシアは、16年間も日本に住んでいるのに、日本語が分からない。そのため妊婦だったとき、医師から告げられた出産日を1ヶ月も間違えていて、家でも病院でも大騒ぎになった。13人家族だと誰かが病気になる。三男が学校で怪我をし、またもや大騒ぎ。母親マルレーネは、子供たちに学校だけは行くようにと口やかましく言う。子供の将来のためだけでなく、母親にとって子供は通訳なので、しっかり日本語ができないと困るのだ。